第54話「せんせの奥の手」


 床といくつかの柱を残してすっかり見晴らしの良くなった庵の畳の上。

 良庵せんせにこめかみを打たれたヨルがほんの少したたらを踏んで、二歩三歩と後退り。


 その隙に、っとせんせが半透明の赤い箱へと手を伸ばしたんだけど、ばちっと音立てて弾かれちゃった。


 お葉ちゃんの姿したごっちゃんが中からどんどん叩いてるのにそっちは弾かれる素振りはなし。

 閉じ込める事と奪い返されない事、それに特化した結界みたいだね。


、下がって」


 だいたい一間いっけん(2m弱)四方くらいの箱の中、お葉ちゃんごっちゃんが反対側に下がったのを確認し、速やかに素振り刀を叩きつけた良庵せんせ。


「ぐっ――硬い!」


 呪符たば作戦実行中のせんせの素振り刀であってもちょっとこれは無理っぽいね。せんせの手が痺れちゃったみたいだもん。


「やるだけ無駄だ。オマエでは破壊できん」


 ほんの少し距離を取って振り向いたヨルが嫌らしく笑ってそんなこと言ったんだ。


「残念だけどそうらしい。ならば先にお前をぶちのめすことにするよ」

「……幾らかはマシな判断だ」


 スンっ、と再び感情の見えない平坦な表情に戻したヨルが続けて――


「それも無理だがな」


 ひゅひゅんと掌を振って再び格子を描いたヨルに対して、素振り刀を縦に――八相に構えて警戒を強める良庵せんせ。

 けど、あろうことかヨル、ごく自然にその格子を自分の胸に放ったんだ。


「……この格子の図柄はな」


 自分に放った格子を胸に受けたヨルが特に何事もなかったかの様に話し始めたんだけど、なんかとっても嫌な感じがするのわっちだけかなぁ?


「多少効果は薄れるが、あらゆる効果のしゅをこれ一つで行える便利なものだ」


「ならば……自分に放ったそれは……」


 せんせのその言葉に、ほんの少し唇の端をまた持ち上げたヨルが応えます。


「察しがいいな。まぁ、そういう事だ」


 どんっ、とヨルが身に纏う戟を増したかと思うや否や、地を蹴り勢いよくこっちに向かってくるヨルの姿がわっちの目では追えなくて――


 もちろんこんなのせんせの目にも追える筈が……


「な――、これでも避けるか」


 どうやらヨルの放った拳を良庵せんせ、すいっと上半身を反らせるだけで避けたみたい。

 なんで!? わっちこれでもお葉ちゃん六尾の妖狐の尾っぽだよ? せんせより強いはずのわっちが見えないのに!?


「ヨル、古から伝わる言葉を教えてやろう――」


 素振り刀を頭上に掲げた良庵せんせ。


「当たらなければどうって事ない!」


 せんせが躊躇なく振り下ろした素振り刀を、がぎんっ、と交差させた腕で受けたヨルが遮二無二腕を振るって弾き返し、畳の外へと飛び退きました。


 少し驚いた顔のヨル。対して油断なくヨルを見詰める良庵せんせ。


 ここまで完っ全にせんせ優勢!

 こんな展開になるとはわっち思ってなかった!


「……改めよう」

「なにを?」


「『ただの塵芥ではないらしい』どころではない、とな」

「……それはどう……も!」


 今度はせんせが突っ掛ける!

 残る庵の床、畳の上からヨルへ向かって飛び降りながらの上段打ち下ろし!


「くっ――」


 ぎりっと奥歯を噛むヨルが下がってかわした所にすぐさま逆袈裟で斬り上げて、防いだヨルの右腕をしたたかに打つ!


 さらに素早く素振り刀を引きつけ突いた!


 ……あ、ダメだ。


 どう見たって急所の喉をこれでもかと突いたのに、ヨルの表情はにやにや余裕の笑み。


「馬鹿が! 死ね!」


 ヨルの強烈な、戟を籠めに籠めた前蹴りをお腹に喰らって吹き飛ばされたせんせが地面で一度跳ねて……、庵の折れ残った柱に叩き付けられちゃった……。


 人の体でこれは……さすがに、耐えらんない……


 と、思うじゃない?

 でもせんせは「いてて……」なんて言ってけろっと立ち上がったんだ。


 ぷーくすくすって感じ! ヨルのびっくりした顔!


 せんせは少し肌けた服を正すフリで胸元に片手を入れて、呪符をこっそり摘んで握り潰し、新しい呪符をお腹に貼り直したんだ。

 せんせの奥の手、甚兵衛おすすめの呪符その三!


 巫や戟による損傷を肩代わりしてくれる身代わりの呪符!


 前に賢哲さんがシチに針ぶっ刺された時――『悪意が全くないから効かない』なんて大ボラ吹いたアレ――、あの時もこの呪符のお陰で効かなかったんだよね!


 もちろん無敵の呪符って訳じゃなくって、対象は巫と戟だけで、物理的な破壊にはなんの効果もないんだって。


 賢哲さんも『針に籠められた戟』は呪符が身代わりになってくれたけど、『針が刺さった傷』はせんせの治癒の呪符で癒したんだもんね。



 そしてせんせ、指折り数えて言いました。


「こめかみに一発、腕に二発……だと思ってたんだけどな。あの箱への一発を失念してたよ」


 あ、そっか。握り込んでた呪符の力が切れちゃったんだ。せんせは使い終わった呪符をばさりと放り投げ、再び袂から呪符を取り出し新たに握り込みました。

 でもこれ、やっぱりけっこういい線いってるんじゃない?


 呪符その一で素振り刀の攻撃力は爆発的に底上げしてさ、その三でせんせの身は護れる訳だもん。

 その二の出番はなさそうだけど、さらに治癒の呪符も使って蹴られたお腹と柱にぶつけた背中も癒やしてるみたいだし……


 上手くやれれば……勝てる、かも?



「……どうやったかは知らんが無傷とはな。もはや貴様を人とは思わぬ……。ヨーコ! 悪いがこいつは殺す!」


 腕の一本や二本は……、ってそんなこと言ってたけどね、さすがにそうも言ってらんなくなってきたってか。

 でも……ぷーくすくす!

 相変わらずヨル、ごっちゃんに向かって言ってんだもん!


 ごっちゃんも演技派でさ、お葉ちゃんぽく半透明の箱の中でどんどん壁を叩いて……たん、だけ、ど……ごっちゃん?


 見ればヨルのやつ、箱に掌向けて、どうやら再び格子を放ったみたい。


「だがヨーコに死なれては本末転倒だ。大人しく最愛の亭主の死を見守っていろ」


 ごっちゃんの動きが段々と緩慢になって、遂にはその動きをぴたりと止めて固まっちゃった……。


「な――お葉さんに何を!?」

「舌を噛み切られぬ様に動けなくしただけだ。オレの戟で満たした分、多少息苦しくはあるだろうがな」


 開いた口にも戟が入ってるみたいで確かに苦しそう。

 でもごっちゃんには悪いけど、ま、尾っぽだし。

 消し飛ぼうがなにしようがまた生えてくるし。

 わっちは同じ尾っぽだから、そうあっけらかんと簡単に割り切れるんだけどなぁ。


 なんでかウチの本体さまとその亭主は、それを良しとしないんだよね。参っちゃうなぁ。


「お葉さん! いま助けます!」

「きゅー! きゅきゅきゅー!」


 ま、だから二人のこと、大好きなんだよね。


 しょうがない、わっちがなんとかするよ。

 みっちゃんが起きるまではわっちが姉貴分だから。



――――――――――――――――――――

⭐︎甚兵衛おすすめの呪符 おさらい

・呪符その一……道具の力を借りる呪符。良庵は素振り刀をメインに選んだ。甚兵衛曰く「長年使い込んだ道具の方が良い」


・呪符その二……戟の力を祓う呪符。良庵はシチが使った『人を妖魔にする針』で妖魔となった人を戻すのに使った。甚兵衛曰く「使い方は色々」


・呪符その三……巫や戟によるダメージを肩代わりしてくれる身代わり呪符。賢哲がシチの針に刺された時、針に籠められた戟を無効化した。使用済みは焼け焦げる。

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