第42話「ヨルの二択」


「もちろん把握しているが、なおさら望ましいと考えている」


 あたしが人との混血だって聞いたヨルは淡々とそう言って、整った無表情な顔を僅かに歪め、どうやら微笑んでみせたらしいです。


「そんなで良いのかい? 白狐と黒狐のつがいから産まれるとかいう強い妖狐は産まれないかも知れないよ?」

「それは副次的なものだと考えている。オレはず、この黒狐の里を守らねばならん」


 面倒な奴だねぇ。ならあたしの事は諦めよう、ってなことになりゃ良いのにさ。


 黒狐と白狐の混血である姉さんよりも、人と白狐の混血であるあたしの方を望んでたのはそういう思惑もあったってことかい。

 はた迷惑な話だよまったく。


「ヨーコにとっても悪い話ではあるまい」

「はっ! どういう了見でそうなるんだい!? 悪い話でしかないよ!」


「ん? 言っていなかったか? 一子……ただの一子さえ成しさえすればヨーコを自由にすると誓う。そうすれば……リョーアンとかいう男のもとに戻る事を許そう。それならばそう悪くはあるまい」


 ………………


 姉さんとのやり取り、やっぱり聞かれてたって訳かぃ。

 けど、一瞬だけ――またせんせの所に戻れる――、なんてそんな、甘いことを考えちまった。

 そんな……よその男と子を成しといて、しれっと『ただいま』なんて言える訳ないじゃないか……


 無言のあたしへ向け、さらにヨルが言いやがった。


「数日だけ待つ。どちらが良いかヨーコが選べば良い」

「どちら……? どれとどれの事を言ってんだい」


「子を成してからリョーアンとかいう男の下へ戻るか――、それともその戻る所を子を成すか。その二つから選べば良い」


 こいつ無茶苦茶なこと言うじゃないか……。怒鳴り散らしてやりたいけど……、こいつ本気だね。

 ヨルはあたしを脅すようにその身を覆う戟の力を強め、そしてニヤッと笑いやがったんだ。



「ちょいと考えさせておくれ……」


 んだけど、足が震えちまってそう返すのが精一杯だったよ。





◆ ◆ ◆


 夕方ようやく起き出してきた賢哲さんが、目の下のクマの酷い良庵せんせに声を掛けたんだ。


「なんかあったんか? 難しい顔してよ」

「いや、なんでもない。与太郎がまた握り飯を届けてくれてる、食べよう」


 昼間せんせは熊五郎棟梁に新たに描いた呪符を渡し、前のものよりだろうが勘弁してくれ、そう付け加えて帰しました。


 それからずっとそんな、難しい顔してるんだ。


 与太郎ちゃんが握ったらしい大きくて不恰好なお握りをひとつだけ食べたせんせは再び文机に向かったけど、どうにも筆が進みません。


 あの賢哲さんでさえ声を掛けにくそうにその背を見つめてる。わっちとしてはさ、あんまり難しく考えないで欲しいなぁ。


 じっと止まった筆先から、紙にぽたりと墨が滴りました。それに気付いたせんせはすずりに筆を置き、自嘲するようなため息ひとつ。


「…………お葉さん……」


 せんせが何考えてるか分かっちゃう。

 紙に落ちた墨を見て、木札から垂れて落ちた墨――お葉ちゃんと出逢った時のこと思い出したんだね。


 分かるよ。わっちだってお葉ちゃんの事ばかり考えてるもん。

 お葉ちゃんはどうしてるかな。

 痛いことされてないかな。

 怖い思いしてないかな。

 ずっと寝てるは起きたかな。


 菜々緒ちゃん早く帰ってこないかな。

 たった一晩で良庵せんせが痩せこけて見えるんだもん。


 ほんの少しの仮眠をとって夜半、心ここに在らずの良庵せんせとニコニコ笑顔の賢哲さんはなっちゃん一人を残して夜回りへ出発しました。


「いやに上機嫌じゃないか」

「おう。早けりゃ明日にゃ菜々緒ちゃんがけえってくるかんな」


 三、四日って言ってなかったっけ? 明日だったら丸二日だよ? 良庵せんせも同じこと思ったみたいで疑問顔。


「菜々緒ちゃんはあんまり数字が得意じゃねんだ。大抵言った日より早く帰ってくる。可愛いだろ?」


 う、うーん、可愛いっちゃ可愛いかなぁ?

 良庵せんせがそれを可愛いと思ったかどうかは分からないけど、疲れた顔を少し綻ばせました。

 お葉ちゃんの事がなにか分かるかもだからね、わっちも期待しちゃうもん。


 けれど、賢哲さんかが手に持つ弓張り提灯ちょうちんが照らす先、闇夜に目をやったせんせが真面目な声で言いました。


「話は後だ。今夜はもう現れたらしいぞ」




 昨夜――と言っても明け方のことだけど――それと同じように数頭の妖魔がちらほら順に現れたけど、その度おすすめの呪符そのいちを一緒に握りこんだ良庵せんせの木刀が煌めいて、横たわる妖魔へそのを貼っつけて回る賢哲さん。


 昨日と違って上手に役割分担できてて滑らかに処理していきました。



 そして丑三つ時、描いておいた呪符の蓄えが怪しくなった頃、一人の若い女に出会ったんだよ。

 

「こんな夜更けにお嬢さんの一人歩きたぁ感心しねえなぁ」

 

 商家の軒先に佇む女へ向けて、手にした提灯を少し持ち上げた賢哲さんがそう言って近付きました。


「賢哲、せ」

「何言ってんだ。これだって夜回りの内だ」


 こんな時間、真っ暗な町に一人歩きなんて明らかに不審な女。

 賢哲さんはともかく良庵せんせは残り少ない呪符を手にして木刀を握り直しましたが……


「ねえ。どうして――でくれないの?」

「え? なんだって?」


「どうして……どうして大人しく――」

「……お、おい。オメエ何言って……」


「賢哲! それ以上近づくな! 離れろ!」

「――どうして死んでくれないのよ!?」


 賢哲さんの襟首を掴んだ良庵せんせが力一杯引っ張って、自分の後ろに放り投げて叫びました。


「灯りを消すなよ!」


 せんせは木刀を構え、ぶつぶつと何かを口にし続ける女へ警戒を強めて摺り足で近付きます。


「――あはは。あんたが悪いんだよ!? あのをきちんと仕舞っておかないから!」


 ……この女…………シチだ!

 わっちはこれでも怒ってるんだぞ! 許さないんだから!


 兎の足から全身へと姿を変えてせんせの胸を蹴って跳び、シチに向かって戟を籠めた叩き込んでやりました。

 どうだバカ、わっちだってやる時ゃやるんだぞ!


「ぎゃぁっ!? ――き、貴様あの女の尾っぽか!」


 凄んだって怖くないよーだ! 左目ざっくり抉ってやったもんね。へへーんだ!


 ……ちょっぴり調子に乗ったわっちだったけど、それどころじゃなかったんだ。


 賢哲さんがいつの間にか落とした提灯がめらめら燃え上がって照らす中――


「……ぐ、よ、良人よしひと……」

「賢哲! しっかりしろ!」


 ――賢哲さんの胸の真ん中、突き立ってたんだ……

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