第35話「ヨル」


 こんのバカ、なに考えてんだよ。

 良庵せんせが寝てる母屋に向かってなんて事しようとしやがるのさ。


 さっきのヨルが作ろうとした図柄、ありゃあたしの星形とたぶん同じようなもの。


 さまざまな呪符の効果を得られる簡易な図柄。

 もちろん効果は数分の一になっちまう筈なんだけどさ……


 ……こりゃ、駄目だねぇ。



「ヨーコもオレと同じような術を使えるのは喜ばしい」


 喜ばしくも嬉しくもないよこっちは。


「しかしどうする? その術とそのまだ駄々をこねるか?」


 あたしの野巫はなんかじゃあないよ。

 けど――悔しいけど右手の甲が折れちまったのはホントなんだよねぇ。

 ヨルの図柄はあたしのと違って戟しか籠められてなかったのに、その戟の力がだよ。


 まさか図柄をぶち壊してやっただけでこっちの手が折れちまうとはね。さすがのお葉さんもびっくりさ。


 けどね、痛がってなんかやらないよ。


 左手で一本プツンと髪を引き抜いて、巫戟を籠めてぐにゃりぐにゃりとうごめかせ、治癒の図柄であっという間に癒してやった。

 これでもだなんて言うのかい?


「駄々をこねたとて変わらん。行くぞ」

「…………」


 あたしの野巫については無視かい。腹の立つ奴だねぇ。

 黙って睨んでたらヨルの奴、ふぅ、と一つ呆れたようにため息ついて足元から仄かに戟の力を立ち上らせました。


 立ち上った戟が頭上を超えて消え去ると、そこには以前のヨルの姿。


 灰褐色の肌、すらりと長い手足、青みがかった黒の長髪。特に特徴的なのが、白目のところが黒い黒白目に赤で縁取られた瞳。

 裸足に雪駄履きで黒の着流し姿、さらに 朱殷しゅあん色の羽織り。腹が立つけどよく似合ってる。


 さっきのチャラけた洋装の姿とは真逆だね。


「昔はもっと芋助いもすけだったのにさ、ずいぶんと小粋なお洒落さんになったもんじゃないか」

「ふっ、そうだろう。では未練をってやろう」

 

 無造作に持ち上げた右手に、薄赤い戟の光を再び集め始めたヨル。

 あたしの張った結界は何やってんだい、どう考えたって良庵せんせに敵意を向けてるじゃないか、そう思いはしたんだけど、どうやらちゃんと仕事してるらしいね……。


 ぱりっ、ぱりっとヨルの体をあたしの巫戟が焼いてるらしいけど、痛みどころか足枷にすらなってやしない。さっきのシチとかいう女とは役者が違うよ。

 ……こりゃ、……駄目……かな。




「もう一度だけ聞いてやる」


「…………」

「未練はあるか?」


 ……ある、よ。そりゃ。


 ――でも……



「………………な……い、さ」


 ――あたしはどうせ妖魔だよ。


 良庵せんせと末永くいたい、なんて言ったところで一緒に歳も取ってやれない。

 よく考えなくっても分かる――分かってたじゃないか。


 どうせ良庵せんせも甚坊とおんなじ、あたしを置いて先に死んじまうんだ。




「そうか。ならば良い。行くぞ」


 戟を籠めた赤く光る手を下ろし、淡々と、興味なさげにヨルが言いやがる。


「ちょ、ちょっとだけ待っておくれ! い、一刻――いや、半刻でも良いからさ!」


「……四半刻だけ待つ。余計な事を考えるなよ」




 より一層重たくなっちまった足取りで母屋に戻り、そぉっと障子を開いて書斎に入って腰を下ろしました。


 すーすー、くかーくかーと規則正しいせんせとなっちゃんの寝息が小さく響く中、しーちゃんだけがウサギの姿ですり寄ってきます。


「ごめんねしーちゃん、あたし見つかっちまったよ。悪いけどせんせのこと頼むね」


 このままここで自分の腹さばいて死んでやろうかと思わないでもないけど、んな事したら良庵せんせがどんな目に遭わされるか分かったもんじゃない。


 出しっぱなしのせんせの筆を取り上げて、何か一言だけでも書き残そうと文机に向かうんだけど、一体なに書きゃ良いかちっとも浮かんでこないよ。


 結局なにも思い浮かばなかったから――


 ありがとうございました 葉子


 ――それだけ書いて筆を置いちまった。

 せんせ、驚くかも知れないけど、何のことだか分かんないだろうね、きっと。


 でも、あたしのほんとの気持ちだよ。

 半年だけだったけど、良庵せんせ、ありがとうね、楽しかったよ。

 寝息を立てる良庵せんせに顔を近付けて、最後にもう一度口付け……したかったんだけど起こしちゃ拙いから、おでこにそっと口付けて――


 けど、やっぱりどうしても口付けたかったから、前にやったのと同じように、巫戟を籠めた吐息をせんせにふぅっ。


 これでちょっとやそっとじゃ起きません。

 だから……せんせにそっと口付けて、ちょいと調子に乗って舌入れてみたりして……


 せんせ、ずっと一緒に居たかった、ごめんね、なんか、最期の口付けが……しょっぱくなっちゃって……


 ぐいっと目元を袖で拭い、もう一度しーちゃんに「頼むね」とだけ伝えてそっと書斎を離れました。


 せんせ、さよなら。

 またどっかで逢えると良いね。




 

「ちょうど四半刻だ。行こう」


 門屋のとこで大人しく、じっと待ってたらしいヨルが腕を開いてそう言った。

 ぐいっと乱暴に抱きかかえられ、ヨルの戟に包まれ空へと――

 


 ヨル……

 あたしはこいつの……こいつの子を産むのかい……。




 良庵せんせの子を……産みたかったねぇ――


 



※ 朱殷色:時間がたった血のような暗い朱色

 

 

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