第32話「僕にとっての天」


「やっぱり貴女が睦美むつび先生でしたか」

「ちょいと何言ってるか判りません」


 ついね、ほんとうっかり昔の――甚坊と話してる気分で返事しちまった。

 誤魔化されてくれないものかと振り向くと、にやにや顔の楽しそうな薮井青年が続けて言います。


「甚じいちゃんもそれで満足だろうと思いますし、まぁそういう事にしておいても良いですよ」


「どういうことです?」


 聞けば薮井青年、甚坊から頼まれたのは野巫三才図絵の事だけじゃなかったそうなんです。

 あたし――睦美蓉子はきっとどこかで生きている、睦美先生の事も探してくれ、ってね。


 甚坊にだってあたしが妖狐だとは明かしてないけど、ずっと歳を取らない不思議な女だってのは小さい頃からあたしを見てた甚坊は当然知ってる。あたしが生きてる、って思うのも無理ないね。



「いつあたしが睦美蓉子だと察したんだい?」

「祖父の描いた絵に似ていましたから。けれど確信を持ったのはついさっきですよ」


 ぺろりと舌を出した薮井青年。鎌かけやがったねこのガキ。


 はぁ、と溜め息ひとつついて、しっかりと薮井青年の目を見て伝えます。


「甚兵衛。あたしの事を良庵せんせにバラしちまったら承知しないよ」

「しませんよそんなこと。それこそ甚じいちゃんの意に反しますから」


 甚坊はこの孫に、もしあたしを見つけても幸せそうならそのままに、困っていれば手助けしてくれ、そう願ったんだってさ。


「困っておられたのは御主人でしたけど、これで甚じいちゃんとの約束も守れました。では一刻後に、おやすみなさい」



 甚坊ったら、かつてにお優しいことだねぇ。



『一緒に歳を取ってやれないあたしには応えられない』


 そう言って断ったあたしが今じゃだもの。

 申し訳なくって涙が出そうだけど……。うん、きっと甚坊なら喜んでくれるよね。



 気を取り直してそっと静かに道場を覗くと、くかーくかーと小さく響くなっちゃんの寝息と、むむぅぐむぅと良庵せんせの唸り声。


 そぉっと再び戸を閉めて、熱いお茶を淹れてから道場へと戻りました。


「一息ついてはどうですか?」

「いや、しかし――」


 かんなぎの感覚が逃げるんじゃないかと不安げに視線を彷徨わせた良庵せんせでしたけど、フワッと香るお茶の香りに誘われちまった様子。


「そう、ですね。頂きます」


 二人分のお茶を注いでそれぞれ手に取って一口含むと、ほぅ、っと漏れた吐息が被ってお互い微笑み合いました。

 なんか良いですよね、こういうの。


「良庵せんせ」

「なんですお葉さん?」


かんなぎの字の成り立ちって知ってますか?」


 ちょいと唐突ですけど、あたしだってせんせに何か足掛かりでも上げたいですし、字のことなら野巫とは別に関係ない事ですからね、あたしが知ってたって問題ないでしょ。


「成り立ち……、いえ知りません。考えたこともなかった」


「巫の字の上の横線は天、下の横線は地、真ん中の人二つと縦線は踊る人々だそうですよ」

「天と地と踊る人々……。なぜ人は踊っているのでしょうか」


「あたしなりの解釈ですけど、天や地の力を借りようってんじゃないですかねぇ。良庵せんせは誰かの力を借りる事ってあまりされないですけど、人って自分一人の力は大した事ありませんから」


 賢哲さんなんかは誰かに力を借りるの得意そうですけどねぇ。


「力を……借りる……」


 そう呟いた良庵せんせがじっと固まり、なにか考え込んでしまいました。

 時折りぶつぶつと呟いて、視線もどこか定まっていません。


 よく見りゃせんせが握った湯呑みにまだお茶が半分ほど。

 このままじゃこぼれちまうんで、そっと湯呑みを摘んで指を開かせ抜き取ると、ギュッとその手を掴まれちまいました。


「……お葉さん、僕はいつでも貴女の力になりたいと考えています」

「ええ、存じております」


 あたしの左手を握ったままの良庵せんせ。


「一人前の野巫医になることもそうですが、例え妖魔が相手でも貴女を守れるようになるためかんなぎの力を覚えたい」

「ええ。それも存じております」


 あたしの右手は湯呑みを握ったまま。


「でも、僕だけの力じゃどうにも駄目みたいです」

「せんせは一人じゃありません。あたしがずっと一緒にいますから」



 じっとお互い見つめ合ったまま、どれくらいの時間が経ったでしょう。

 ほんの数瞬だったような気もしますし、半刻ほども経ったかも知れません。


 けれど不思議と目を逸らせませんし飽きません。まだまだずぅっとこうしていられそう。


 せんせの瞳に吸い込まれそうで、あたしの瞳がせんせを吸い込みそうで。



「お葉さん。僕はずっと貴女といたい」

「ええ。あたしも良庵せんせと」


 甚坊にはして断ったクセに、良庵せんせとはずっと一緒にいたいなんて笑っちまいますね。

 あたしはせんせに出逢ってどうかしちまったんだろうねぇ。



「僕に力を貸してくれますか?」

「当たり前です。あたしは貴方の女房なんですから」


 こくん、とあたしが頷くと、お互い自然と傾く様に顔が近づいて、あたしの口とせんせの口が触れ合いました。


 お互い優しくついばむ様に口付けて。


 一度離れて瞳を見つめ、今度は吸い合うように深く口付けて。


 息をするのも忘れて吸い合って。



「せん……せ――」

「お葉さん――」


 握ったままだった湯呑みが転がり落ちて、仰向けに寝転がったあたしに、さらに覆い被さる様にせんせが――



「……きゅー?」

「……なぜそんな事になってるんです?」


 あらいやだ。

 道場の端、行灯の明かりがギリギリ届くところになっちゃんを抱っこした甚兵衛が。


 バタバタバタっと飛び起きて、二人真っ赤な顔で正座して、しどろもどろで良庵せんせ。


「いやっ、その――! かんなぎを使うとは力を、その、天から、借りる事だと考えて――」

「その考えは正しいですが、なぜそんな事になってたんです?」


 言い様は穏やかですが、言葉の端々に棘がありますねぇ。それももっともな事だと思いますけど。


「そ、その……、巫の字の……天に、力をその……、僕にとっての天、と言えばお葉さんだと思いまして、その――」


 はぁぁ、と呆れた様に深い溜め息をついた甚兵衛が良庵せんせの言葉を遮り言います。


「まぁ良いんじゃないですか」


 投げやり気味にそう言った甚兵衛がさらに続けます。


「目的は達した様ですし」

「……えっ?」


 しどろもどろで額の汗を拭った良庵せんせが顔を上げると、その目に映った甚兵衛が嬉しそうにせんせの体を指差していました。


 薄っすらぼんやりとですが、せんせの体をほの白いかんなぎの力が漂っていたんです。


 甚兵衛やあたしの巫なんかじゃない、間違いなく良庵せんせご自身の巫です。



「でもだからって。たった一晩しかない特訓の晩にさからなくっても良いでしょうに」


 いやもうほんと返す言葉もございませんねぇ。




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 唐突にいちゃこらしちまいましたけど、次話できちんと巫の説明できるかと……

 ここんとこ全然イチャイチャしてなかったし……

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