第24話「それを僕が使えれば」


 すらすらとって訳じゃなさそうですけど、どうやら良庵せんせは野巫三才図絵の『天の部』を読んでるみたいですねぇ。


 以前は全くさっぱり分からないと言ってましたけど、もしかして良庵せんせったら――


「お、お葉さん! ま、薪割り終わっただ!」

「きゅきゅー!」

「ありがと与太郎ちゃん、それになっちゃんも。お茶でも淹れるから手ぇ洗っておいでよ」


 そうそう、与太郎ちゃんは一昨日のあの晩からウチに泊まって色々お手伝いして貰ってます。

 案外となっちゃんは与太郎ちゃんを気に入ったみたいで後をついて回ってんですが、特には役に立ってないみたいですねぇ。


 与太郎ちゃんに大した怪我なんてありゃしませんでしたけど、帰ったって一人ぼっちですし、もしかしたら破落戸の残党もいるかも知れませんからね。


 ちゃんと甘酒屋のご隠居のとこにはってしばらくウチで預かる旨を伝えてきて貰いましたよ。


 もちろん、こないだ食い逃げしちまった甘酒代も持たせてね。



「こ……こんな良いお茶飲んでるんだか!?」

「良庵せんせがお好きだからお茶っ葉だけは奮発してるんだよ」


 これ買ってるお茶屋さんでもあたしらみたいな貧乏人はほとんど見ませんものねぇ。

 なっちゃんを膝の上で遊ばせる与太郎ちゃんとゆっくりお茶を頂いてると、スラリと襖が開いて良庵せんせが顔を見せました。


「僕にも一杯頂けますか?」

「ええ、もちろんです」


 あたしが淹れたお茶をしっかり味わうように飲んで一言。


「お葉さん、野巫三才図絵なんですが――」

「良庵せんせがいつも読んでらっしゃる本ですか」


 さぁ本題ですね。ほんとに『天の部』なんて読めてるんでしょうかねぇ。


「どうやらこの本、ただの野巫医やぶいの為の本では無さそうです」

「へぇ……? というと何なんです?」


 やはりどうやら良庵せんせ、何かを掴んじまったみたいです。


「この本の冒頭『人の部』、これはそのまま人――つまり僕らの為のもの。そして残る二つ、『天の部』と『地の部』、これらは恐らく……妖魔のため……いや、人ではない何かの為のものだと思われます」


 良庵せんせ……



 ……ちょっっっと違います! 惜しい!



「という事は……? 良庵せんせには使えない本って事ですか?」

「そんな筈はないと思うんですが……筆者である睦美むつみ先生が人なのですから――あ、あれ? そうとも限らない……のか?」


 あわわわわ。

 三太夫のバカのせいでせんせが要らない事に気づいちゃうじゃないですかっ! 人に化ける妖魔なんてそうはいないのに!


「ど、どうして妖魔のため、なんて思っちまったんです?」


「それはこの地の部と天の部にだけ出てくる『巫戟ふげき』という言葉なんです。これがなんなのかは分かりませんが――」


 巫戟の巫は『かんなぎ』、神を招くを語源とする言葉。

 巫戟の戟は、そのまま『げき』、三叉の矛のこと。


 前にも一度言ったくだりですが、本の中にある『巫戟』の説明もこれだけ。これで意味の分かる人はいないでしょうねぇ。

 字面からじゃちんぷんかんぷんですしね。


「――恐らくは何か不思議な力。音の同じ言葉にというのがありますが――」


 良庵せんせが宙空に字を書くように指で巫覡となぞります。

 よく勉強してますねぇ、ほんと。


「――あれはげきも、男女の違いはあれど神事を執り行う者のこと。なんとなく繋がりがありそうにも思いますが、以前調べた際には結局なんにも分かりませんでした」


 ぽかーん、と与太郎ちゃんが口を開いています。

 でしょうねぇ。何一つ意味の分かる内容じゃないですもんねぇ。



「ところがです」


 はいきた、本題の本題ですね。


「小さい頃から何度読んでも分からなかったこの巫戟ふげきというもの。この間の三太夫や兎が放った光――あれがそうなのではないかと考えたのです」


 …………大まけにまけて、もう正解で良いでしょう。

 は巫戟ではありませんがその一端ではありますし、根本的に巫戟の力を使える者はとっっっても限られてますからねぇ。



「仮にあれが巫戟だとして、それを僕が使える様になれば地の部や天の部が理解できる……――そうなれば、たとえ相手が妖魔であろうとお葉さんを守ってあげられるんじゃないかと思うんです」


 ……まっ。良庵せんせったら。

 腕を磨く、って剣ではなくて野巫の腕を磨こうって考えだったから三才図絵と睨めっこしてらしたんですか。


 良庵せんせの優しい気持ち、あたしにとっちゃ守って貰えるよりもそれが何より一等嬉しいねぇ。


 ほんとにもう、良庵せんせ、好き。



 けれど問題は、その巫戟の一端でさえもあたしが良庵せんせに教えてあげられない事ですね。


 もちろん能力的には可能どころかあたしが適任なんですが、だってあたしが急にそんなの教え始めちゃおかしいでしょう?


 あたしはただのやぶ医者の女房なんですから。



 でも、ま、なんでしたっけね、すぐ西の大陸の言葉に『整えば師が現れる』なんてのもありますものねぇ。


 ちょいと違ったかしらと思いますけど、大体合ってりゃ良い――――おや?


 どうやらお客さん、というかあのお二人さんですね。



「おーぃ! 生きてるかよ良人よしひと! なんだかコテンパンだったらしいじゃねえか! だはははは!」

「何がおかしい! こっちは本当にお前んとこの世話になるかと思ったんだぞ!」


 案内も請わずに勝手にずんずん上がってきたのは賢哲さんと脳筋姉。

 なんだかんだ言っても二人が来るとうるさ――明るくなって良いですねぇ。 

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