第20話「安心なさい」


『さぁ三太夫、あとはお前だけだ』


 なっちゃんを抱えた姉はどうやら縁側で横になって目を閉じて、耳だけで様子を伺うことにした様です。せっかくの良庵せんせのカッコいい所を目に焼き付けないなんて勿体ないってのにねぇ。


 けど確かに辛いんですよね乗り物酔いって。あたしは馬はともかく駕籠かごがあんまり得意じゃなくって――


『ふふふ……はははは……、あっはっはっは!』


 蝮の三太夫が唐突に笑い出しました。良庵せんせに追い詰められて開き直ったんですかね。


『強いねぇ兄さん……。月に五両出すからウチに来ねえか?』


 月に五両ですって? それって年に六十両ってことですよ? という事は今の何倍に……、鯵の開きを一枚買うか二枚買うかだとかの話じゃありませんねそりゃ。



『断る』


 いやまぁもちろん分かってましたよ。良庵せんせがそれをとしないのを。


『じゃあ月に五両はそのままでよ、たまぁにウチの頼みを聞いて貰う、それならどうでぇ?』

『断る。たとえ百両でも二百両でも同じだ。諦めろ』


 良庵せんせゴメンなさい。月に百両だったら考えても良いかもしれません、なんて思っちまいました。


「お葉ちゃん、菜々緒だったら月に十両でも手を打ってたかも」


 額の問題じゃないですよね。姉妹そろってゴメンなさいね。

 けれど、良庵せんせの強さを目の当たりにしたにしては三太夫が落ち着いているのが気になりますねぇ。


『どうする蝮の三太夫? 大人しく与太郎を解放するか、それともあの連中に混ざるか、お前が決めろ』


 良庵せんせは破落戸どもで拵えた小山を指差しそう言います。そして雪駄せったを行儀良く揃えて脱いで板敷に上がって綺麗に正座。

 そうしてからゆったりと胸の前で腕を組んで続けました。


『少しだけ待つ。考えて答えろ』


 役者顔負けのカッコ良さじゃありません? あれウチの亭主なんですよ? 普段の可愛らしい良庵せんせとのへだたりが物凄くってあたしもう鼻血が出そうなんですけど。

 俗に言うってやつですねぇ。



『考えるまでもねぇ』

『と言うと?』


『おつむの足らぬ与太郎なぞはどうでも良いが、アンタの腕は惜しい』

『……? だったらどうだと言うのだ』


 良庵せんせの言葉に蝮の三太夫がにやりとイヤラシく笑って見せました。

 そして懐に手を入れて、細く折り畳まれた袱紗ふくさを取り出す三太夫。


『ふん。殴り倒して言うこと聞かせてやるよ』

『……む? それは――』


 床に置いた袱紗をぱたりぱたりと三太夫が開いていくと、中からつやつやと黒く光る数本の細い針状のもの。


 それを見た良庵せんせにピリッと緊張が走ったのが分かりました。良い勘してますうちの亭主。

 しーちゃん越しのあたしにも分かりました。


 間違いなく、あの針はのものですよ。


『――三太夫! 待て――!』

『そう言われて待つ馬鹿はいねえよ』


 一本の針を逆手に持った三太夫、勢いよく突き入れました。


 あたしも驚きましたけど、何より驚いたのはそれを目前で目にした良庵せんせ。


『何をやっている! 死にたいのか!』


 良庵せんせは膝立ちから倒れ込むように踏み込んで、三太夫の手首目掛けて筆入れを振り下ろしました。


 ――が。


 いかんせん良庵せんせの手にあるのは剣でなく筆入れ。どうしたって長さが足りません。

 三太夫が自ら突き入れた針は、その過半をずぶりとその左胸へと飲み込まれてしまいました。


『この馬鹿が! いかに細くとも刺しては死ぬぞ!』


 良庵せんせはそう怒鳴ると筆入れから素早く筆を取り出して、帳場にあった紙を裏返し何事かをしたため始めます。……


『あいにく治癒の呪符は手持ちがない! 間に合わなくとも自業自得、恨むなよ!』


 こないだ熊五郎棟梁に渡した呪符ですね。慣れたものでサラサラと淀みなく書き進める良庵せんせでしたけど……恐らく治癒の必要はありません。


 そんな事よりも……――とにかくその場を離れて下さい!


「姉さんあたしちょっと留守しますから! お話しは今度聞かせて下さい! しーちゃん、こっちたの――!」


「ちょっと待ちなさいお葉ちゃん。あっちの尾っぽと入れ替わるつもりなの? バレちゃうわよ?」

「そんなこと言ってる場合じゃありません! それにハナから何かに化けちまえばバレやしません!」


「あっちの尾っぽ、お葉ちゃんがせんせーに渡したんでしょ? バレなくても怪しまれるわよ〜」


 脳筋の姉のくせに正論ですが、ニヤニヤしながら何を言ってるんですか。

 確かに御守りから人が出てくりゃおかしいですけど、アレはきっとあたしの巫戟の力によく似た代物しろもの


 筆入れ一つの良庵せんせが相手できるものではないんですよ!



『りょ、りょりょ良庵せんせー! ま、蝮の、蝮の三太夫の体が――!』

『血でも吐いたか――なっ!? なんだこれは!?』


 呪符から顔を上げた良庵せんせが慄きそう叫びます。

 それもそのはず、みしみしみしと音を立てる三太夫の体が肥大して、小柄だったその体が与太郎ちゃんより大きくなっているのですから。


 ほら見なさい! 四の五の言ってる場合じゃないんですよ!



「安心なさいお葉ちゃん。菜々緒が行ってあげるから――」


 姉さんが? 行ってあげる?



「――! 出番だよ!」


 おえっ、と一度姉がアタシに向けて微笑んで、自分の三本目の尾っぽに声を掛けた途端にカッと光が爆ぜました。

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