やぶ医者の女房 〜あたしの正体が妖狐だと知られたら、離縁されてしまうでしょうか〜

ハマハマ

第1話「やぶの中のやぶ」


 ウチの亭主は医者なんですけどね、やぶ医者の中のやぶ医者、それはもうとびっきりのやぶ医者なんですよ。


 あら嫌だ。

 勘違いなさったかい?


 やぶ医者ったって、やぶはやぶでも「」に「かんなぎ」の野巫やぶ医者なんですよ。


 ご存知ありません?


 野巫医者ってったらあれですよ。

 まじないなんかで病気を癒そうってぇ訳の分からぬ商売のこと。


 だからお薬も出しゃぁしませんし、患者さまの腹を開いて閉じたりなんぞも致しませんよ。


 ただまぁ『 野巫やぶ医者の中のやぶ医者』の、二つ目の『やぶ医者』の方は、まぁ、正真正銘のやぶ医者の方なんですけどねぇ。


 師もいない、経験もない、さらには当然のように巫戟ふげきの力もない、割りとどうしようもない、ほんとのほんとの薮医者さま。


 だからウチの亭主はね、野巫やぶ医者の中のやぶ医者なんです。

 でもこのあたしがついていますからね、なんとか一人前の野巫医者に――




「おようさん、アレどこやったかお知りでないか?」


 お出でになったこの方がうちの亭主、良庵りょうあんという名の医者さまですよ。


 歳は三十路を二つ越え、ヒョロリと高い背、とぼけた丸眼鏡と少し垂れた目元、髷は結わずにぴんぴんと跳ねる毛を無理矢理に後ろで引き結んだ総髪。


 こう言っちゃぁなんですが、目つきの優しそうななかなかの男前、って女房が手前てめえで言ってちゃ可笑しいですかね。



「いつもの筆ならいつもの筆入れの中ですよ」

「いやさ、その筆入れが見当たらんのです。これは物盗り……いや物の怪もののけの仕業かと」


 顎に手をやりそんな事を言う良庵せんせ。

 けれどそんな筈はありゃしません。

 ほんの四半刻まえには確かに文机の上で目にしましたもの。


「ちょいと良庵せんせ?」

「なんでしょうお葉さん」


 背筋を伸ばして立つ私に相対し、同じようにぴしゃんとウチのやぶ医者さまも背を伸ばすと……。


「あっ」


「ふふ、見つかりました?」


 ニコリと微笑むあたしをよそに、やぶ医者さまが驚いた顔で己れの背に手を回し、次に手を前に回すとその手には細長い木箱。まさに愛用の筆入れです。

 それを見詰めて首を捻るやぶ医者さま。


「どうしてこんな所に……?」


 まぁそんな事だろうと思いました。


 どうせね、仕事に掛かる前に文机を綺麗にしようとして、すぐに使うつもりの筆入れだけは帯に手挟たばさんで、文机を綺麗に拭き取ったあとでこう言ったんでしょうよ。


『いつもの筆、どこやったかな?』


 なんてね、たぶんそんなところでしょ。



「今日は呪符作りですか?」

「最近は欲しがってくれる人がちょこちょこいるからね」


 少しはにかんだ嬉しそうな顔でそう仰るやぶ医者さま。元々だ〜れにも相手にされない、効き目ゼロの呪符でしたからねぇ。そのお気持ちは良く分かります。



「良庵先生ぇっ! んなさるかよ!?」


 お客さまの様です。どうやら患者さんの様ですが、ずいぶんとお元気そうなお声ですね。


るぞ! 上がってくれ!」


 そう一声投げ掛けて、良庵せんせも母屋から渡り廊下を通ってに併設の診察室へ向かって小走りに急ぎます。


 洗濯干しの手を一旦止めたあたしも少し遅れて診察室へと踏み込むと、


「ずいぶんと元気そうじゃぁないか棟梁」

「元気そうに見えるとしたらよ、そりゃもう良庵先生のお陰だぜ!」


 あぐらで座るご自分の膝をパシんと叩いてそう仰ったのは大工の熊五郎さん。この田舎町では知らぬ者のおらぬ程には名うての棟梁なんですよ。


「ほぅ。なら効き目がありなさったかね?」


「あったあった! もう効き目どころか前より調子が良いくれぇだぜ!」

「そいつは何よりだ。これで気兼ねなく御銭おあしを頂けるというもの――」


 どちゃりっ


「足りるかい?」


 熊さんが懐から出して床に置いた巾着袋。音の感じからして結構な額のお金です。


「足りるかって……多すぎるぞこれじゃ」

「だろうな」


 ニヤリと笑った熊さんが続けて言います。


「同じのもう二、三枚欲しいのさ。かかあも膝が痛えらしくってよ」


 そんな事だろうと思いやした。実際のところもう二、三枚渡したとて十分なお金です。


 けれど、良庵せんせは渡すでしょうかねぇ。



「ダメだ」


「な……なんだとぉ!? このぼったくりやぶ――」


女将おかみさんの膝を診てからだ。症状が同じな訳ないからな」


 そりゃそうですよね。良庵せんせならそう仰るでしょうよ。

 熊さんの膝の痛みは普請中の屋根から落ちた際にちょこっと骨が折れた怪我、恐らく女将さんの膝の痛みは加齢によるもの。

 同じ呪符が効く訳がありやせんものね。



「お、おぅ、そういうもんかよ? ならかかあは明日にでも連れてくるとしてよ、一枚で良いから同じのくれねえか?」


「まだ痛むのか?」

「御守り代わりによ。こちとら体が資本だからな」


「そういう事なら良いだろう。まだ何枚かあった筈だ」


 そう言って良庵せんせが棚から一枚の呪符を取り出しました。


 が、それはいけません。


 それは巫戟ふげきの力の入っていない、ただ良庵せんせが図柄を描いただけの呪符、つまりはです。


「良庵せんせ。ちょいとそれを」


「お葉さん? これがどうかしましたか?」


 良庵せんせから受け取ったを両手で持ち、こっそりと巫戟の念を籠めます。

 それほど大した巫戟じゃありません。


 痛みを和らげ、治癒を促す、ただそれだけの念を。


「ごめんなさい。端が少し折れていたのが気になったものですから」


 初めから折れていたかの様に見せ掛けた端を元に戻しながら、良庵せんせへとやぶ呪符でなくなった呪符を返します。


「ほんと? 気付かなったよ、ありがとう」


 

 じゃあこれ、と良庵せんせが熊さんに手渡し、受け取った熊さんはそれを小さく折り畳んで首から下げた御守りへ忍ばせました。


「これで百人力、心強いぜ」


 ポンっ、と胸の御守りを掌で叩いてニッコリ笑顔の熊さんはさらにまた元気が増したようにそう言いました。

 それを見た良庵せんせもニッコリ微笑んでいます。



「良庵せんせの呪符があるからって、安心して屋根から飛び降りたりしねえで下さいね」


 熊五郎棟梁をお見送りの際そう言ってやりました。

 それを聞いてドキっと驚いた顔をしてやがりましたからね、『ちょっと無茶しても大丈夫』くらいには考えてたんでしょうね。



 野巫医者として真摯に向き合うのは良いんですけど、それにしたって良庵せんせの巫戟の無さはどうにかなりませんかねぇ。

 このままじゃいつまで経ってもの中ののままなんですもの。

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