校外活動

 二学期早々、面倒事を押し付けられたその日の放課後、俺は菅生先生に呼ばれて職員室へと足を運んだ。この場所に来たのは、復学初日以降二回目。以前の学生時代もあまり寄り付きたくないと思った場所だったから、その時の感覚も蘇って自発的に立ち寄ることはなかった。


「悪かったな、急に副委員長だなんて」


 菅生先生は、俺を立たせ自らは椅子に座って、そんなことを言い出した。


「別に構いません。ただ、思い切ったことをしましたね。あんな贔屓とも見える選出の仕方をして、禍根が残ってもおかしくなかったですよ」


「いやそれはないだろ。委員長を決める時点で皆やる気なかったし」


「……まあ、それは同意です」


「……お前は、二ヶ月復学までに時間を要したわけだろう? ようやく学校に来た後も、やっぱりクラス内では浮いた立場だったし……だから、お前にしてもらおうと思った。面倒だろうが、仕事を介すことで交友関係が築けることもあるんだ」


「そうなんですね」


 愛想笑いをしつつ、そんなことはよく知っていると内心俺は思っていた。

 菅生先生の年齢は、今年で二九歳だと小耳に挟んだことがあった。つまりは、俺より年下。

 年の功、とまでは言うつもりはないが、仕事により出来る関係の多さを俺が知らないはずがない。ちなみに、社内恋愛が比較的多いのは、上司という共通の敵を男女で共有出来ることが多いからだそうだ。


「心配してもらったみたいですみません」


「何を言う。教師が自分のクラスの生徒の面倒を見るのは当然のことさ」


 殊勝なことを言う菅生先生に、俺はついつい顔を綻ばせていた。


「……まあ、一番は頼まれたから、なんだけどな」


 ただ、まもなく菅生先生は先程とは打って変わって口に鉛でも付けているのか、と思うくらい、重々しい口を開けた。


「頼まれた? 誰に何をです?」


「伊織のお母さんにさ」


 一瞬、心臓がドキリと跳ねた。


「あまり、親に心配はかけるなよ?」


 そう苦笑する菅生先生に、俺は内心冷ややかな感情を抱いていた。

 過度とも言える箝口令に、そうして今回の菅生先生への口利き。

 さすがに、過干渉と言うべきではないだろうか。伊織という少年に対する香織の対応は。かつての香織も献身的で面倒見が良かったが、ここまで過干渉ではなかった。


 中身が俺だから言いものの、もし伊織という少年がここまで過干渉にされたらさすがに反発したんじゃないだろうか。


「……後は、橘のこともよろしく頼む」


 菅生先生は、香織のことを話す時と打って変わって、神妙な面持ちで言った。


「あいつもな、色々な事情があって、クラスでは少し浮いてるからさ」


「……わかってたなら、クラス委員長にするべきではなかったのでは?」


「あの流れでそんなことをすることこそ、お前の言う贔屓じゃないか」


「確かに」


「……口下手であまのじゃくな性格をしているから、あいつは誤解されてるのさ」


 口下手、というか、あまり多くを語りたがらない人という点は同意だった。


「お前には、クラス委員長になったあいつをサポートしてやってほしいんだ」


「まあ……クラス副委員長としての、相応の仕事はしますよ」


 まだ全然、クラス副委員長として自分が何をしていけばいいかわからないこの状況。まあさすがに、学生の枠組みを超えた何かをさせられるようなことはないだろうが、それでも安易に全て了解するほど、今の俺はかつてと違って楽観的ではなかった。


 菅生先生は、そんなヤキモキする俺の発言を聞いて満足そうに小さく笑っていた。


「じゃあ……明日のショートホームルームで話そうと思っていたことだけど、まずはお前には事前に話しておこうかな」


「何を?」


「二学期最初の、クラス委員の仕事さ」


 菅生先生は、笑顔で続けた。


「二学期最初のクラス委員の仕事。それは、校外活動だ」


「……校外活動、ね」


 あまりにざっくばらんとした説明に、俺は腕組みをして反芻することしか出来なかった。

 今以上の説明を寄越せ、と暗に視線で訴えた。


「ウチの学校は、都内でも進学校ってことで通っていることは、もう言う必要はないな。まあとにかく、そういう学校としての売り込み文句で、色々な宣伝文句を掲げているわけだが……その一つが、学生の自主性を重んじる校風だ」


「あー、ありきたりですよね」


 学生の自主性。文武両道。

 この辺の言葉は、所謂カルト教団の平和、だとか家庭、だとか幸福、愛、その辺くらい学校関連でありきたりな謳い文句だ。


「まあ事実だがそう言うな。とにかく、その売り込み文句よろしく、この学校でも学生の自主性を重んじた行事が多々ある。二年時のインターンシップ。修学旅行。三年時の職業インタビュー。学年共通の文化祭。体育祭」


 敢えて口には出さないが、それもまたありきたりな行事である。


「そして、そんな学校の風土を体感する場が一年にもあるわけで、それが校外活動だ」


 ……御高説有難がったが、疑問は一切拭えなかった。


「それで、校外活動とは具体的に何をするんです?」


「それは、一年のクラス毎に異なる」


「ああ、なるほど」


 つまり、クラス委員主導になってクラスメイトを引っ張り、校外活動で何をするかを決めて、それを実行しろ。

 菅生先生が言いたいことは、つまりそういうことだ。


「頼むぞ、伊織」


「いや、何をです」


「毎年、この行事が教師的に一番面倒なんだよー」


 ひとしきりの説明を終えて、菅生先生は悲観げな声でそう言い出した。


「……面倒とか、教師が言うなよ」


「うっ。すまん」


 粛々と謝罪して、菅生先生は続けた。


「……この行事さ、あまりにもレールが敷かれてなさすぎるんだよ」


 それだけで、菅生先生の言わんとしていることは理解した。


「修学旅行。インターンシップ。確かに、それらの行事は初めから何をするか、道筋が立ってますからね」


 それに対して校外活動は、確かに多様な選択肢があって道筋なんて呼ばれるものはないに等しかった。


「学生の自主性を重んじる校風が足を引っ張りましたね」


「……俺の目論見だと、何をするか決めるだけで一月かかる」


 クラスメイト三十人分が意見を持ち寄るのに二週間。その中から案を決めるのに……多数決なら一瞬だが、話し合えば二週間。

 なるほど。

 あながち外れた見積ってわけではなさそうだ。


 ……二学期は三ヶ月。

 最初の一ヶ月は何をするかを決めることに終始して、つまるところ作業や調整が出来るのは全部で二ヶ月。


「前回一年を受け持った時には駆け回る羽目になった」


「なるほど実体験でしたか」


 二ヶ月で作業や何やらをこなすのは、部活動や学業の片手間でこなすことを考えたら相当厳しい日程感だろう。

 その時間軸だと、後半追い込まれたのは想像に難くなかった。


「……憂鬱だ」


「そうですか」


「余裕そうに言うなー、伊織は。お前だって他人事じゃないんだぞ。何せクラス副委員長なんだからな」


「当然、クラスメイトを主導していく立場なんだから、それに追われるのは当たり前ですよね」


「……わかって、そんなに落ち着いてられるのか?」 


 菅生先生は、呆れたように言った。多分、俺が楽観的に物を考えている、とでも思ったのだろう。

 ただ生憎、俺はかつての経験を経て楽観的な考え方は捨てたのだ。


 楽観的な考えで苦しい思いをするのは、もうご免だった。


「先生、前回の一年のクラスを受け持った時は、校外活動は何をされたんですか?」


「……老人ホームへの訪問。体験」


 口が重そうだったのは、俺がそれの猿真似でもする気と考えたからだろう。

 仮に俺がそれをするとしても、クラスメイトの賛同を得られないと意味がない。だから話すことにしたのだろう。


 老人ホームの訪問、か。

 であれば、菅生先生が言っていた駆け回る羽目、とは、老人ホームへのアポ取り、綿密な打ち合わせによる見学ルート決め、とかだろうか。相手方、クラス委員の生徒側の都合を確認しながらの日程取りは、確かにさっきの反応をするのも頷ける。


「あー、憂鬱だー」


 その場の話は、菅生先生がそう言って現実逃避を始めたから終わった。

 そして翌日の帰り間際のショートホームルーム。


 陰鬱そうな菅生先生から昨日聞かされていた校外活動の話がクラスメイトになされた。

 陰鬱な態度が伝播したのか、クラスメイトの最初の反応はあまり芳しいものではなかった。


「面倒くせー」


 クラスメイトの誰かの口から、そんな言葉が聞こえてきた。


 ……ただ、個人的にこの話は面倒だ、と思ったことは一度もなかった。昨日、菅生先生から聞いたその時から、一度もだ。


 むしろ、この手の話の中でも簡単な部類に入ると、そう感じていた。

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