屈託のない手紙

ろば歩(ろばあるく)

始まりの便箋

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先生、お久しぶりです。突然のお手紙ご容赦ください。

涼森南すずもりみなみ高校2-Dで、現代国語を教えてもらっていた江角薫えすみかおるといいます。

覚えていらっしゃいますでしょうか?

当時はそこまで頻繁に会話を交わしたことはなかったと思うので、もしよろしければ涼森南の卒業アルバムを見ていただければ、なんとなく見たことのある顔が出てくると思います。おそらく12年前のアルバムに私がいるはずです。


先生は今でも涼森南で教鞭きょうべんっているのでしょうか。

私は俗に言う青春と呼ばれるような輝かしい学生生活は送りませんでしたが、先生の授業のおかげで学校に通うのはそれなりに楽しかったので、先生には感謝しています。

私の友人も似たようなことを言っていました。先生の授業は、それまでつまらないと感じていた現国の概念をひっくり返すものだった、と。

先生には、学ぶことの素晴らしさや楽しさ、知的好奇心を持ち世界を見ると、どれだけ心躍るかなども、授業を通じて教えていただいたような気がします。

なので高校3年生で現国の選択肢がなくなったことには非常にショックでした(私は理系だったので)。


先生の授業の中で一番印象に残っているのは、芥川龍之介の羅生門です。先生は本当に羅生門が好きで、熱心に私たちに授業をしてくださいましたね。私はこっそり先生が授業中に何回「私本当にこの話が好きで」と発言したかをカウントしていました。具体的な回数は覚えていませんが、10回は確実に超えていたと思います。

――――――――――


可奈子かなこ、何それ」

自分の名前を呼ばれ、声の主へと顔を上げる。

「あ、ううん。昔の生徒からの手紙」

「へー、交流なんてあるんだ」

「ないんだけど、なんか急に来て。先生してたのも昔のことだから懐かしくなっちゃった」


先生という職業は決して楽ではなかった。平日は朝早く学校へ行き、その日のうちに行う授業の資料整理と、放課後の部活動のための荷物整理やら伝達事項の確認やらを休みなく必死に行っていた。休日は部活の練習や遠征があれば付き添っていたため、体感では365日生徒と一緒にいた気がする。最も、それで生徒との仲が深まったわけではないが。


しかし教師であることは本当に楽しかった。これからこの世を、この国の未来を背負って生きていく子どもたちが正しい選択ができるように、自分なりに一生懸命教えを説いたつもりだ。だからこそ、こうやって卒業してもなお――顔ははっきりと覚えてはいないけれど――手紙を寄越してくれる元生徒がいる。自分の行いは正しかったんだと教えてくれる。


「急に?ふーん・・・読むのは良いけど、今日は栄太えいたの墓参りなんだから、早く支度しろよ」

「もう支度ができてるから読んでるんだけど。それより、あなたの当番の洗濯物がまだ干し終わってないけど大丈夫?」


そう言い放つと夫――宗一郎そういちろうは唇をへの字に結んで洗面所へのそのそと歩いて行った。多少冷たく言い過ぎたかな、と思ったが、結婚10年目の夫婦なんてこんなものだろう。会話があるだけまだましな方だ。


栄太。それはとても可愛くて、目に入れても痛くない、私たちの子供のような存在だった。

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