6 - 響野
聖一を討伐する予定の満月の日、満潮の時刻は早朝6時5分。本物の海の満潮時刻にタイミングを合わせて、岩角らは何かを仕出かすつもりらしい。
その打ち合わせを終えた後、明日香、びわ、
「ホラー映画かよ……」
コーヒーと煙草を手にパソコンに向かいながら、思わず苦笑していた。ホラー映画だとしたらあまりにも陳腐だ。神と崇め奉られる存在だった『聖一』と瞽女迫、番場家の争いだけならばまだ映画化できるかもしれないが、そこに5年の年月日本を離れていた凄腕の殺し屋に、彼と若き日を共に過ごした凶悪極まりないヤクザたちまで首を突っ込んできて、しかも──
「……海を作る、だって?」
鍵となるのは番場蜜が寄越したあの一升瓶の中身だろう。「海をうまく使って」と最後に通話した際、番場蜜は言っていた。「うまく」とは具体的にはどういう使用方法を示すのか。響野には分からない。あの一升瓶は今、たぶん、里中の手元にある。
「いい記事になりそうか?」
カウンター席に座る響野の前にコーヒーカップを置きながら、逢坂が尋ねた。響野は肩を竦め、
「まだ完結もしてない事件だし、そもそもこんな……怪談話なんだかヤクザの抗争なんだか分からない原稿、どこの出版社も買ってくれないような気がするな」
「そうかい。俺は結構、面白い話だと思うけどなぁ」
「そりゃあおじいちゃんは……」
逢坂一威は、今は第一線を退いているとはいえ、その本性は筋金入りの人殺しだ。祖父と孫とはいえ、見てきた景色が違いすぎる。他人と取っ組み合いの喧嘩をした経験すらほとんどない響野にしてみれば、金銭と引き換えに日常的に人を殺していた祖父の生き方は正直に言うと謎でしかない。その、大好きな祖父でありながら人殺しでもある逢坂という人間の本性を知りたくて、ヤクザや殺し屋を追い回すライターなどという仕事をしている──のかもしれない。
そんな自己分析は、今はどうでもいいのだ。
「岩角さんは?」
「子どもたち連れて出かけたよ。明日の準備があるとさ」
「水城さんとか……里中さんは?」
「水城は知らん。今日はまだ会ってない。里中は」
と、祖父がおもむろに一升瓶をカウンターの上に置いた。
番場蜜から受け取った、海水入りの一升瓶だった。
「うお!? これ?」
「明日、おまえが現場に持って行く、とかいう話になってるらしいが」
聞いてたか? と目顔で問われ、
「知らない知らない! えーっ! なんでこんな大事なものを俺に!?」
「俺も知らんよ。ただ、まあ、里中も何か含みがあるような顔をしてたな」
「そんな……ええ……ひと言ぐらい説明……あっ、明日香くんは? 番場明日香くん!」
びわと百裏が岩角と共に出かけたというのなら、明日香ももう起床ぐらいはしているはずだ。奥の間でひとりで過ごしているのだろうか。
「あの子は山田と出かけた」
「山田さんと!?」
「なんだ、何か問題でもあるか」
「あっある……ていうかおじいちゃんだって知ってるでしょ! 山田さんが死ぬほど手が早いの!!」
唐突に下世話な話になっていた。番場明日香が実際のところ男性なのか女性なのかは響野としてはどうでも良かったし、話をしている感じ瞽女迫澪と親密な仲だった、という気配は感じていた。その、明日香を。
「山田さんは顔が好みでも好みじゃなくてもなんかいい感じになったらすぐアレしちゃうんだよ〜!!」
「俺がなんだって?」
「うわ!」
カウンターに突っ伏して頭を抱える響野の腰を、固いものが打った。それが革靴のつま先だと気付くのに、少し時間がかかった。
山田徹が真後ろに立っていた。その傍らには番場明日香の姿も。
「俺がなんだって? 俺が? 誰と? 何をするって?」
ガツガツと繰り返し足や腰を蹴られ、バランスを崩した響野はカウンター席から床に転がり落ちた。困り果てた様子で眉を八の字にした明日香が手を差し伸べてくれる。
「大丈夫ですか? 響野さん」
「はあ……俺は……というか……」
「あのー……全部聞こえちゃってたんですけど、僕、山田さんと、何もしてないです……」
「……」
最悪の空気になってしまった。
明日香に返す言葉もなく沈黙する響野の頭を右手で一発張った山田が、
「マスター! コーヒー!」
「はいよ」
「コーヒー飲んだらマスターと響野も俺らと外出だから」
「あ?」
俺も? と首を傾げる逢坂に、山田はにんまりと笑みを浮かべて見せる。
「店は臨時閉店──で済むといいですね? もしかしたら今日が最後の営業日になるかも」
「おい山田、どういう意味だ」
「若頭、岩角の案ですよ。インチキ住職がいるなら、インチキ神主もいた方がインチキ度が増していい。マスター、あなたにも一芝居打ってもらいます」
完全に他人事のような空気を漂わせていた逢坂一威が、滅多に見ないほどの真顔で硬直していた。
「じいちゃん! コーヒー! 溢れてる!!」
本当にこんなことで大丈夫なのだろうか。
今日が純喫茶カズイの最終営業日にならないことを、響野は心の底から祈った。
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