第三章 怪物

1 - 里中

 番場ばんば明日香あすかを配下の斗次とつぎの更に配下の虹原にじはらに預けて、1週間ほどが経った。


「それで、どないしとるん。お嬢ちゃんは」

「普通に過ごしてますね。どうやら昼間は大学生らしく」

「学生〜?」


 たちの溜まり場である小さなバーに、里中さとなか銀次ぎんじは足を運んでいた。組織の中でも閑職に追い込まれている里中には、密談をしたい時に自由に使える事務所や、表向きは飲食店だが裏では──というような都合の良い場所がない。だが掃除屋たちは関東かんとう玄國会げんこくかいという組織と直接取り引きをしているわけではなく、雇用関係にあるわけでもないので、打ち合わせや情報交換用の空間を幾つも所持している。里中は、その中のひとつに間借りしているという立場だった。


「ええ、都内の──瞽女迫澪が通っていたのと同じ大学ですね」

「さよか」

「幸いにも虹原はまだ20歳ですし、大学自体も大きいので、学生証を捏造して常に番場明日香の傍に……」

「捏造」

「あっはい」

なぁ……誰にやらせたんや」

「それは、あっ……」


 斗次お得意のポーカーフェイスが、一瞬で崩れる。ホットウーロン茶を啜った里中は、大仰に溜め息を吐いて見せた。


「阿呆が」

「申し訳ありません、しかし……」

「先に言わんかい」

「申し訳……」

「クルマ出せぇ」


 本当に、先に言ってくれれば良かった。それだけの話だった。それなのに、斗次が先周りをして、変な気遣いをするものだから。

 面倒なことになる。


「行くど、横浜」


 項垂れる斗次の腰を手にしたステッキで叩きながら、里中は言った。


 掃除屋たちのバーは都内の中でも横浜にほど近い場所にあるので、中華街にはさほど時間をかけずに辿り着くことができた。観光客や学生で賑わうメイン通りを突っ切り、迷わず目当ての場所、木野ビルディングへ。

 名を名乗るだけで、すぐに秋の書斎に案内された。斗次は中華街にあるカフェで待機。勝手なことをした罰だ。


「里中……銀次」

「ようあき


 壁中本棚で埋め尽くされた書斎に現れた木野ビルディングの悪魔は、里中の顔を見るなり手にした美濃焼の器からものすごい勢いで白い粉を掴んで投げ付けてくる。塩だ。


「何やおい! ご挨拶やな!」

「帰れ帰れー! 秋は幽霊とは取引しない!」

「誰が幽霊じゃボケカス! 生きとるわ! クソが!!」


 床が塩で真っ白になったところで秋は少しだけ冷静さを取り戻し、


「本物……? リコリスよりも幽霊っぽいんだけど……」

「リコリス? ああ水城な。アレも生きとるし、俺も生きとる。それじゃあかんのんか」

「あかんことはないけどちょっと嫌。秋は里中銀次と話をしたくない」

「俺の部下に依頼されて大学の学生証偽造したやろ」

「……」


 色の薄いくちびるを尖らせて、秋は無言でそっぽを向く。『しました』と自供しているような顔付きだ。


「可哀想になぁ、俺の部下。斗次っていうんやけど、掃除屋の筆頭でな。俺みたいな幽霊にこき使われるような身分やないのに、田鍋たなべさんの遺言のお陰でまーあ毎日毎日俺の靴を舐め……」

「斗次に靴を舐めさせているのか里中銀次!? それが人間のすることか!!」

「させとらん」

「させてないの!?」

「させるか気色悪い」

「な、なんで嘘を」

「おまえが俺とは取引せんとか可愛げのないこと言うからやろ」


 赤いベルベットのシングルソファにどっかと腰を下ろし、コーヒー、と里中は唸った。


「俺は客やぞ。飲み物ぐらい言われる前に出せや、なあ」

「……繰り返しになるが、秋は幽霊とは取引をしない。斗次は生きているから依頼を受けたが、里中……」


 長身を濃紺のダブルスーツに包んだ褐色肌の男性が、銀色のトレーにコーヒーとお茶請けの桃饅頭を乗せて現れる。優雅な所作で丸テーブルの上にそれらの品々を並べた男性は、現れた時と同じぐらい自然に書棚と書棚のあいだに消えて行った。


「里中……の次は?」

「──」


 おもむろに桃饅頭を鷲掴みにして齧る秋の目は、どこからどう見ても潤んでいた。まるでのようだった。


「秋よ、俺はな、なんも気にしとらん」

「そんなはずがあるか」

「あるがな。どうでもええ。済んだ話やないけ」

「……山田徹のようなことを言う。山田徹に愛されているだけある」

「それはそれで別の話やから山田のことは忘れてくれ。それよか秋、おまえが──5


 ダン、と秋の握り拳がテーブルを叩いた。コーヒーが少し跳ねて、床に染みを作った。


「気にしているというなら? 気にしない理由がどこにある! 秋は、田鍋融の遺言を守れなかった! 、ただ茫然とするしか────」


 ほとんど悲鳴のような声だった。泣き出してこそいないものの、切長の目の端には涙の粒が浮かんで今にも転げ落ちそうに見える。


「足の小指がのうなっても、別に普通に歩いとるし」

「……」

「役職全部取り上げられても、掃除屋は俺のもんやし」

「……」

「俺は無事で生きとる。5年も顔出さんで悪かったな」

「……本当に、本当だよ」


 手の甲で涙を拭った秋が、まるで憑き物が落ちたような顔で里中をじっと見詰めて言った。


「取り乱して悪かった。あなたのことがずっと心配で……今、無事でいてくれて嬉しい。おかえり、と言わせて欲しい。それから──改めて、あなたを守れなかったことを謝りたいと……」

「その気持ちがあるんやったら、ちぃと手ぇ貸してくれんか」

「瞽女迫一族の件か?」


 丸テーブルを挟んで正面のソファに腰を下ろした秋の台詞に、里中は小さく頷いた。


「水城も来たやろ、ここに」

「来た。家系図を見せた」

「番場家の、夢見人ユメミとかいう女を匿っとる」

「そのために大学の学生証が必要だったのか」

「せや。女の件は斗次に任せとるさけ心配ない」

「では、なぜ里中が直々にここに?」

「Q県までのアシが欲しい」

「ほう」


 要請に、秋の瞳がぎらりと輝く。


「わざわざ山奥に踏み入りたい理由は?」

「元殺し屋の勘とでも言うとこか。で、アシになるようなやつ、おらんか。クルマの運転がうまくて、そう簡単に死ななそうな」

「ちょうどいい人材があと10秒もすれば訪ねてくるよ」


 壁にかけられた鳩時計を見上げて、秋は呟いた。

 10秒が経った。


「す、すみません……お約束の時間よりちょっと遅れてしまって……」

「秋ごめん、なんか事故ってて高速! 下道の方が早かったのに無理しちゃった!」


 賑やかに登場したふたりの男の姿に、里中銀次は半笑いで呻く。


響野きょうの憲造けんぞうに水城純治──こいつらとQ県までドライブせえと?」

「楽しそうだろ? おすすめのコンビだよ!」


 先ほどまでの涙が嘘のようにあっけらかんと言い放つ秋は、地獄の人材派遣業としての堂々とした態度を取り戻して笑った。

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