2 - 水城
予知能力者を輩出することで名高い
「Q県に行けば何かが分かる?」
「残念、リコリス。何も分からない。今の瞽女迫家は、商売の場をQ県から東京に完全に移動させているからね」
許可を取り、ふところから煙草を取り出して紙巻きをくわえた。秋が
「リコリス、いつから煙草を?」
「吸い始めて5年は経ってるかな」
「5年……5年か」
自身も両切りの紙巻き煙草に火を点けながら、秋は細く長く息を吐いた。
「長くはない年月だ」
「肺が黒くなるって話?」
「肺が黒かろうが桃色だろうが、秋やリコリスのような人間は死ぬ時は死ぬ。そういう話ではなくて」
「5年前のこと?」
重ねて問えば、秋は眉を下げて笑った。秋にしては珍しい、どこか物憂げな笑顔だった。
「あの時、リコリス、きみはどうして
「……あの時ねぇ」
水城は秋に好意を抱いている。秋が水城に向けている感情と、それは良く似た色の好意だった。だから、こんな不躾な質問を投げかけられても、誠実に答えねばという気持ちになった。
「一応、山田くんとか、あと
「納得したい。気持ちはある。だけど難しいよ」
5年前。岩角遼は既に関東玄國会の若頭の座に就いていた。玄國会の長い歴史の中でも、いちばんの若さで若頭に指名されたのが岩角だった。年長の組員──顧問や相談役を務める年嵩の男たちに、岩角は過剰に嫌われた。彼の異常なほどに整いすぎた顔立ちと、慇懃無礼な振る舞いが原因だった。それでも、関東玄國会組長の
田鍋融の息子たち。
盤石だったはずの4人の関係が崩れ始めた切っ掛けを正しく知るものは今やそう多くはない。同じ地獄で血泥を啜って這い回る生き物であったはずの岩角がひとりだけ光の当たる場所に引き上げられたことで、嫉妬に狂った水城が兄弟分を殺そうとした、という噂が流れていることも知っている。水城は否定も肯定もせず、ただ黙って日本から姿を消した。
5年が経った。
水城の帰還を知る人間も増えつつある。岩角は水城を始末するために、個人的に殺し屋を飼っている組員たちに号令をかけたとか。
「遼のこと、殺したくなかったんだよね」
紙巻きを一本灰にして、水城はそう呟いた。
「岩角遼は、今もリコリスを殺そうとしているというのに?」
「それはそれで仕方がないんじゃない? 俺みたいに特に守るものがない殺し屋とは違ってさ、遼はもう若頭っていう重要なポストに就いてるわけじゃない。それに俺は5年前、確かに殺意を持って遼を襲撃したよ。山田くんの左腕で手打ちにしたけど、そうだね、そう……」
「リコリス」
膝の上で広げていたファイルを大きな音をたてて閉じた秋が、まっすぐに水城の瞳を見据えて言った。
「守るものがないなんて言うものじゃない。悲しいよ」
「あ……それは、ごめん」
「反射的にごめんって言うのも良くない。心がないよ」
5年前、山田徹の左腕を叩き落として、それで田鍋融の息子たちの大喧嘩は一旦収束した。水城は秋のもとに走り、そのまま国外に逃亡した。岩角遼には擦り傷ひとつ与えることができなかった。里中銀次は数名の殺し屋志願の若者を育てていたが、水城はその全員の命を奪った。全部、全部岩角遼の命の代わりに奪った。
「遼」
「きみは恋人の名を呼ぶようにあの男の名を呼ぶね」
「そうかな。どうだろ。遼は男も女も嫌いだよ」
「そうだったかな……まあ、いいか。リコリス。なぜあの男を殺さなかったのか、また思い出したら聞かせておくれ。秋はね、田鍋融が育てた殺し屋の中ではリコリス、きみがいちばん美しいと思っている」
「美し……? いや、顔だったら俄然遼でしょ!? 秋が遼のこと嫌いなのは知ってるけど!!」
「そういう意味じゃないって、いつか伝わるといいな」
肩を竦めて微笑んだ秋が、さて、と声音を切り替えた。仕事の話をする時の声だ。
「瞽女迫家の話に戻ろうか。リコリス、きみと一緒にトランクに入っていたのはこの女性──瞽女迫
テーブルの上に散乱するコーヒーカップや月餅が乗っていた小皿などは、いつの間にか秘書と思しき小柄な男性が現れ片付けて行った。艶のない黒い木製の丸テーブルの上に一枚の写真を滑らせて、秋は尋ねる。身を乗り出して写真の中の女性を確認し、水城は大きく首を縦に振った。
「この子だ」
「彼女は瞽女迫澪──当代最高の予知能力者と謳われていた」
「当代……ってそんな比較できるほどいっぱいいるの? 予知能力がある人」
「先ほども言ったろうリコリス。きみが不在のあいだに、こちら側の世界には大勢の新しい殺し屋が誕生した。拳銃や刃物を用いることなく、呪いで人を殺す者。その人間の最期の姿を予知することで、自らの命を断たせる者。具体例を挙げ始めたらキリがないほど多種多様な殺人者が、この国の裏側を跋扈している」
「ふええ」
早口の解説にいまいち付いていけない水城の目の前に、秋は容赦無く二枚目、三枚目の写真を滑らせる。
「きみが11桁に連絡を入れたことにより、里中銀次配下の掃除屋が動いた」
「あ……そうそう。あの番号今も生きてて良かったよ。っていうか、掃除屋の管理、今里中くんがしてるの? マジで?」
「里中銀次は意外と人を使うのがうまいからね。
「そ、それはすごく……趣味が悪いね……」
溜息混じりに呟く水城に蕩けるような笑顔を向けて、秋は言った。
「駄目な生物ほど愛しい、という不可思議な嗜好を持つ者は少なくない。山田徹がそうであるようにね。ま、その辺りの事情は横に置いておくとして。里中銀次は今、ほとんど表舞台に出てこない。理由は岩角遼だ。5年前のきみとの喧嘩で碌に結果を出せなかった分の仕置きとして、岩角遼は里中銀次を窓際に追いやった。彼には今役職すらない」
「でも、掃除屋の管理はしてる」
「そこはそれ、田鍋融の遺産というやつさ。いくら岩角遼でも師であり
「うおおん」
「話を戻す。こちらが亡くなった瞽女迫澪の実弟である瞽女迫
表情を引き締めた水城は二枚の写真を見比べて、大きく頷いた。
「かなり嫌な殺し方だった。俺に撃たせるつもりだったんだろうけど、俺は子どもを殺さないからね。こう、穣くんの背中に刃物を突き刺して、そのまんまで喋らせたりして──血がほとんど流れていないのが変だなって思った」
「他に印象に残ったことは?」
「他? そうだな……」
記憶力には自信がある。殺しに関する内容ならば尚更だ。その代わり、日常生活に必要な記憶や思い出なんかはぽろぽろと抜け落ちてしまうのだけど。
「山田くんは──山田くんは確か、個人的に穣くんと話をしてるんだよね。一対一で。その時に予知能力の話をされたって言ってて……先に亡くなった澪さんは確かに凄腕だったらしいけど、穣くんには大した能力はないはずだって、言ってたような」
(このガキには数十秒から数分先の未来しか見えないはずだぞ)
地獄の底のように寒い山の中で事切れた穣を見下ろしながら、山田がそう呻いていたのを覚えている。
「でも──だとしたらおかしいな。俺と山田くんが一緒にいる時にこっちの聖一が電話をしてきたんだけど、山田くんが何を食べたとか、今どうしてるとか、バシバシ言い当ててて」
「うんうん」
「つまり……」
「そう、つまりだ」
「瞽女迫聖一も予知能力者ってこと!?」
ハッと息を呑む水城の台詞に、秋は一瞬も間を置かず、
「そんなはずないだろう! ちゃんと考えなさい!」
「考えたのに……」
「考えてない! 他にも情報があったはずだ、リコリス、
他の情報。他に、山田は何を言っていた?
(瞽女迫澪と穣は分家から本家に貰われてきた養子で──)
なぜわざわざそんな面倒なことを?
(未来予知ができる人間は、半世紀にひとり程度しか生まれない。それも能力を持って生まれてくるわけではなく、先に能力を持っていた人間が亡くなると同時に突然、本当に唐突に、受け継がれる。瞽女迫澪は自身の祖母に当たる人物から、その能力を受け継いだ)
だから、澪が死んで──。
「能力が、穣くんに移動した……?」
「その通り、随分遠回りをしたが正解だリコリス。では、話を更に先に進めよう」
秋が澪と穣の写真を回収し、テーブルの上には聖一の写真だけが残る。
「瞽女迫聖一。22歳。大学生」
「学生」
「瞽女迫本家の人間で、今現在も生き残ってるのは彼ひとり」
「……アレか、火事」
「そう。勘が戻ってきたみたいだね」
山田の家のテレビでバーガーを食いながら見た。このところ火事が多いというニュース。先日の報道で、瞽女迫という苗字の人間がふたり行方不明になっており、燃え尽きた現場からふたつの遺体が発見されたという情報を耳に入れていた。
「自分で燃やした?」
「可能性は高いだろうねぇ」
「そうだよね、澪さん、穣くんって横移動した能力が必ずしも聖一に回ってくるとは限らない……まずは両親っていう可能性を潰して」
義理の妹を殺し、弟を消し、両親を燃やして、その先にあるのはいったいどんな光景だ?
首を傾げる。分からない。分かりたくもない。
「秋」
「何かね」
「家系図が欲しい。瞽女迫家の家系図が」
「もちろんお出ししよう。しかしお代は、高くつくよ」
「いいよ」
秋の、宝石のような瞳に自身の姿が映っている。
水城純治。戻ってきた殺し屋の姿。
「久しぶりに、秋の大好きな俺の仕事っぷりを堪能させてあげる」
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