第3話

 「アヴァ、もう帰っていいよ」


 固い声に一瞬身体が強張り一気に目が覚めた。

縁のない眼鏡をつけた神経質そうな女が銀のブリッジを上げながら私に言う。

目が合うことなく「お疲れ様」と、そっと言われた。

何かを言おうと考えるが適切だと思える言葉は浮かばない。

結局、「お疲れさまです。」と席をたつと同僚のロボットが機械的に挨拶を返してくれた。


 私の仕事は国民の幸福度が一定数値であるかどうかを定期的に確認することだ。

元々師事していた教授の手伝いから関わり、そのままずるずると続けていた。

まず国民に対して生活満足度を聞く。そして提出される行動と感情の波線グラフと照らし合わせる。健康、教育、個人活動、ソーシャルコネクション、経済的環境、それらを全て数値化する。定期的に送られるデータを元に数値を出し、その数値から国の安定度を測る。これを繰り返す。

ただしこの数値が本当に人間の幸福度を数値化出来ているのかは分からない。

自然という資本を排除した評価の仕方と、地上に恋焦がれる国民の幸福度がマッチしているとは思えないからだ。

本来は持続可能な目標からどの程度剥離しているかを求めることで現実との溝を埋めていく目的であったが、形骸化されているように感じる。

現今の仕事は基本的にロボット主軸で効率性を重視した観点も重要であるのに、この仕事はまるで前時代的やり方であると馬鹿にされることもあったが、人間の感覚を監視する研究であることから人間とロボットの混合人事採用を用いている。


 この国で仕事についているものは人口の五割、あとの五割は国からの給付金で生活している者たちだ。


 エレベーターを待っていると、磨かれたメッキに映る自分が見える。

茶べっ甲の眼鏡で隠そうとした、眠り過ぎて腫れぼったくなった瞼。隠すどころか暗い印象を強く感じる。口はへの字に曲がり、居眠りしている間に口紅がとれたのだろう化粧がよれて歪んでいた。適当に選んだ紺色のセーターと適当にくくった長い髪、幽霊みたいだ。


 仕事をしている時、人と話している時、稀に移動中まで、突発的に眠りがやってくる。

元々過眠の気はあったが、日常生活に支障が出る程の症状になってからは早退することも増えた。


 とにかく眠りたい。


 最近の私の思考はこの一点に限られる。どこにいても、誰といても、眠くて頭がぼんやりする。

長い付き合いの教授は戸惑っているだろうに何も言わない。

どうにかすべきだと思うのに、考えるよりも眠りたくて堪らなくなって眠ってしまう。

眠るのは怠惰な時間の過ごし方で眠りに囚われるなんてどうかしてる。浅い眠りの中で眠ることへの罪悪感が襲ってくる。それでも、それを無視してでも眠ってしまう。眠っても眠っても睡魔が現れる。起きている時間の方があやふやだ。


「眠りたいなら眠ればいいのよ。誰も責めないわ。好きにしたらいいじゃない。」


年をとった母はいろいろな物に寛容になった。


 他でもないあなたの言葉に強く教えられた私はどこに置いていったらいいのだろうか。私にくれた数少ない言葉の一つは放り投げるべきだと言いたいのだろう。もしくは、発したことも覚えていないような言葉を私が心に沁み込ませてしまっただけ。

どうして私は母に優しくできない自分を恐れてしまうのか。

愛する感情は怒られたくないからという感情からくる行動ではないはずなのに、怒られたくないと思って想像する私を怒る人は誰なのか。どうして母を絶対に好きで大切であらなければならないと、どうして彼女を嫌いになる自分を許してあげられないの。

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