第2話

 風が顔を打ち、いくつもの風の筋が全身をいたずらに通り抜けていく。

真っ黒な箱の中を縦横無尽に飛んでいるのは私だけだろう。

目を下に向け意識を向けると視覚が一気に広がり細部までよく見える。

ああ、人間だ。


 つるりとした木製の長椅子が粛々と並べられ、ある者は一人で、ある者たちは肩を並べてなにやら手を顔の前で握っている。椅子に彫られた葡萄の蔓はどこか萎れて見える。背後には木造の緑の箱を大量に背負ったパイプオルガンがあった。


野外にある祈りの場は寒かろう、私の様なものでも今日の冷えは堪える。

もう少ししたら雹が降ってくるだろう。 

祈りの声はぼそぼそと口の中で止まったまま外に出ていかない。

どこに向けているのだ、それでは神にも誰にも届くまい。

私の中にむくむくと意地悪な気持ちが生まれてくる。

少し、驚かせてやろうか、そんな気分になってきた。

人間たちの祈りの先には石の洞窟があり、二体の獅子が両脇を守っている。

その奥に陶器の王冠をのせた黒い棺がある。

あれが奴らの神といったところだろう。なんともまあ仰々しいことだ。あの世に行っても王冠が必要だなんて。

私は軌道をひょいっと変え、風を切りながらぐんと下降していく。この瞬間が堪らなく好きだ。


人間が瞬きする隙に石の洞窟の背面に飛び込んだ。

そこには赤く古く錆びついた扉が粛として声もなく常在しているようだった。この扉の先に棺があるはずだ。嘴を使って閂を上げる。

赤い扉には葡萄の蔓の絵が描かれてあるが滲んで醜く汚い。

何年も閉められたままだったのだろう。扉は非常に鉄臭かった。


ギィーと鈍い音がして扉が開いていく。

音が響くと、祈っていた人間たちは一人、二人と顔をあげ目を見開き泡を食ったような顔を棺に向けている。祈りの声はぴたりと止まり、誰もが固唾を飲み棺の様子を窺っていた。


「ワンッ!」と全体に響く鳴き声が突然聞こえた。

身体を固めていた人間たちは矢庭に我先と逃げて行く。

瞬く間に人間は一人も居なくなった。いや違うな、棺の中の一人を除きいなくなった。


私は興ざめして、鳴き声の主を白けた目で見た。

声の主はこちらを窺いながら鼻先を床に掠らせ、パイプオルガンの影から現れた。


「もっと驚かしてやろうと思ったのに、お前のせいで台無しだ。どっからきたんだ。」つい愚痴が口をつく。


鳴き声の主は黒く美しい毛並みを持った大きな犬だった。

白目と黒目の境がはっきりしていて、こちらを静かに見返している。

その目つきに座り心地の悪さを感じて上体を起こした。

この洞窟の天井は嘴を上まで突き出すような格好にならないとよく見えない。

天辺には楕円形をしたステンドグラスが一つぽっかりとはめられている。楕円の真ん中に黒い葉のリーフが配置され、光に照らされたそれは真下に影を作っていた。

黒い犬は大人しく、待ちの姿勢でじっと動かない。


「出て行けよ」


私はそれだけ言うと真っ黒の箱の中に飛び出た。

黒い犬は私が飛んだのを確認してのっそりと入り口へと向かっている。

逃げて行った人間たちはいつの間にかまた同じ席に座っていた。

ちらりと下を見てから真っ黒の空の上空を目指す。

黒い空を気持ちよく進むと、風が白く色を伴って私に突進してくる。

なんて楽しいんだろう。

ひたすらに羽を風にのせて飛ぶ。

あの黒い犬は飛べるだろうか、いつか気が向いたときに誘ってやってもいい。

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