現世の剣

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現世の剣

 西の空が、赤く染まっていた。

 山腹から眺める夕日は、ビルが林のように乱立した市街地から見る、それとは異なり格別の壮大さを感じさせた。

 そこは、かつて戦国時代に山城の一つとして作られた城跡。

城跡と言うのだから当然のごとく、すでに城の姿はなく、その痕跡は崩れ土に埋もれ苔むした石垣がわずかに残るだけ。

 そこには何もない。

 いつ建立され、何の目的で作られ、どのような合戦があったのか、それを教えてくれる看板も、記念碑もない。そこに城があったと想像する程度だ。地元の古文書を紐解けば、城の歴史を知ることができるかも知れないが、地域の人々も知る者はない。

国の史跡にでも指定されていれば、地元の観光協会や市町の観光推進事業で整備されていただろうが、見向きもされない城跡であった。

 人々に忘れ去られた、つわものどもが夢の跡。

 今は静かに自然へと還っている。

 安息を迎えることができた時代に、いくさに明け暮れた魂たちが眠りを妨げてはならないように。

 誰も知らない静寂の地。

 だが、そこに2人の男が立っていた。

 1人はブラックスーツの男。

 1人は道着姿の男。

 場違いな2人の男の姿に困惑を憶えてしまうのは、それぞれがそれぞれに、相反する姿だからか。

 ブラックスーツの男。

 まるでビジネスマンのようにも見えるが、ビジネスファッションとして黒無地は、ありえなかった。グローバル企業の多くは、仕事スキルのみならず、「見た目」も重視している。学生のリクルートスーツの色に黒が広まったのは1998年頃から2000年にかけて。2010年代には男性の就活生の7割が黒を選ぶほどリクルートスーツの定番となった。

 しかし、欧米では黒いスーツを着ることはまずない。欧米人にとってはブラックスーツ=喪服であり、海外で黒を普段着るのはマフィアだけとも言われる。その為、外資系の仕事などで海外の人と会うときは柄物であってもブラックスーツを避けなければならない。

 日本でもブラックスーツは「黒無地=新人が着るモノ」というイメージがあり、学生のリクルートスーツの定番というものがある。その為、新人であれば無難な印象だが、立場のある人がブラックスーツを着ると、

 仕事の経験が少ない

 スーツを着なれていない

 といったネガティブなメージになってしまうことがある。

 だが、黒は高級感や重厚なイメージがある。

 その為、ビジネス向けのブラックスーツは、引き締まった男らしさや気品といった印象を与える。礼服に由来する優雅なイメージも備わっているため、コーディネートによっては権威性を感じさせることもできる。

 ブラックスーツの人物は、刻薄な顔をした男だった。

 刻薄そうな顔ではなく、断定的に刻薄な顔をしていた。

 『聖書』によると神は自身をかたどってアダムを創造し、アダムの肋骨からエヴァを作った。

 もし《刻薄》という言葉に肋骨があるなら、この男はそうやって誕生したと言われても信じでしまうものがある。

 両親を労る姿を想像ができない。

 女性を愛する姿を想像ができない。

 子供を慈しむ姿を想像ができない。

 肉体に巡る血液に温かさは無く、雪解け水のように冷ややかな血液が流れているのではないかと思う程に薄ら寒い。

 そんな男だ。

 もう1人は、長身の道着姿の男。

 年齢にして、30代前半頃の男だ。道着を着てはいても胸板が厚く、鍛えてあるのが理解できる。物を言わぬ威風を感じさせた。

 そして、左腰には刀と脇差があった。

 時代は、戦国乱世の時代でもなければ、動乱の幕末でもない。男は、21世紀を迎えた時代に生きる現代人であった。

 しかし、刀などという時代遅れな武器を腰に差した姿は、かつての武士もののふのようであった。

 腕を組み、男は彫像のように立っていた。まるで、何かを待つように。

 男は、目を凝らすように眼を細めた。たぎって来た血の熱さに興奮したのか、鼻から息を大きく抜く。それから、男は頭に巻いた白い鉢巻の紐に手を伸ばすと今一度、結び目の固さを確認した。

 鉢巻は飾りではない。額を傷つけられた時、目に血が入らぬ用心のためにする。頭部の傷というものは出血が激しく、目に血が入ると元々体液であるため痛みはないが、視界が非常に悪くなってしまい見える色はオレンジになるという。

 また、外気に触れた血液は凝固が始まり、拭っても中々視界が開けない。それを防ぐために鉢巻をする。それは戦闘態勢という意味だ。

 自然のある風景に、ブラックスーツの男はそぐわない。

 道着姿の男は、現代という時間にそぐわない。

 そぐわぬ存在が、居るからだろうか。その場の空気に淀みがあった。開放された空の下だというのに息苦しさがある。軽い頭痛がし、目眩と吐き気を覚える。それはまるで、密室の中で練炭を燃やしたことで一酸化炭素が充満したかに思えた。

 それは、気が張り詰めていたから。

 夕日によって山々の連なる情景が、秋を迎えたように紅く燃えた木々の群れを男は見ていた。

 道着姿の男は、ブラックスーツの男に訊いた。

「《立会人》。奴は、いつ来るんだ?」

 ブラックスーツの男・《立会人》は、自身の腕時計を見た。

「ここに着く前にも言いましたが、少し遅れて来るとの連絡がありました。15分から30分程と」

 それを聞いた道着姿の男は、鼻でせせら笑う。

「遅れて来るとは、巌流島の宮本武蔵だな。佐々木小次郎は2時間も待たされた。スマホも無ければ時計もない時代だ、太陽を見てそろそろ昼九ツじゃねえかというアバウトな時代にも関わらず、小次郎は怒りによって冷静さを失っていた」

「では、小次郎はどうすれば良かったのでしょう?」

 《立会人》は道着姿の男を横目に訊いた。

「帰るべきだった。刻限通りに武蔵は来なかった。自分を恐れて逃げたのだと吹聴すれば、武蔵の評価は下がって笑いものになっていた。

 だが、小次郎はバカ正直に待ってしまい。小次郎は忍術でいうところの、相手を怒らせ冷静な判断力を失わせる怒車の術にはまっていた」

「では、お帰りになりますか?」

 《立会人》は提案したが、道着姿の男は否定する。

「冗談ではない! 待っているだけで奴が来るというのであれば、今をおいて他はない。それとも、奴が尻尾を巻いて逃げた場合、立会人は指を咥えて見ているだけか?」

 道着姿の男は、表情を一切変えない《立会人》に確認するように言った。

「御冗談を。相手がこの勝負を受けた以上、我々はこの対戦を成立させます。それだけの金を貴方から受け取っていますから。相手が約束を違えるというなら死を以て制裁を加えます。それが《立会人》です」

 正面を向いたまま《立会人》は、男にというより自分自身に言って聞かせた。

「流石は《立会人》だ。高値を払っただけはある。

 だが、殺すのはダメだ。奴は俺自身の手で殺さなければならない」

 道着姿の男は自身の右手を見つめ力強く握り、積年の時間がこもった口調で続けた。

「……でなければ意味がない。浮かばれんのだ」

 草が一斉にざわめいた。

 怯えたように。

 長く伸びた影が、蛇のように登って来る。夕日を背負った人物が歩いているだけなのだが、影だけを見るとまるで得体の知れない存在に感じたのは思い過ごしか。

 身長の15倍、20倍以上に伸びた影は千切り絵のように輪郭がぼやけ、人であって人でない鬼や天狗にも似た不愉快な異形を作り出す。本来二次元であるはずの影の表面が、腐肉を喰らう無数の蛆虫うじむしのように動き、底気味悪い闇を作り出しているようだった。

 古代人は、人の影は、その人の持っているいくつかの霊魂のうちの1つであると信じた。

 ならば、この少年の持つこの影は、少年の霊魂が作り上げた異形なのだろうか。魔術の伝承によれば、悪魔に魂を売った人間は、この地上で欲しいものが手に入れられるが、魂を売った人間は影を失う。

 そうなると、影は魂の具体的象徴であると言える。アフリカでは影は第二の本性とみなした。エジプト人は影を亡霊という霊魂の一種と考え、影をカイブト(khaibut)、ローマ人はウムブラ(umbra)と呼んだ。

 この影は幻か。

 いや、あながち外れでないことを男は知っていた。

 男は見たのだ、斜陽を背に城跡を訪れる者の姿を。

 伝え聞いた《魔物》を。

 それは、少年だった。

 黒い打裂羽織ぶっさきばおりに色のかすんだジーンズを穿いた、少年。

 高校生くらいであろか。

 長めの前髪を額にかけ、そこにしっかりとした面立ちがあった。

 だが、武骨ではない。

 顔は親から譲り受けたものだが、環境でその面立ちは変わる。

 恵まれた環境ならば、穏やかなものに。

 荒んだ環境ならば、厳しいものに。

 少年の場合は親から譲り受けたもの以上に、環境でできあがった面立ちが感じられた。ガラスのような透明で冷ややかで、浸食を受けつけない不変さを持つ。そんな面立ちだった。

 発育の良い今日日きょうびの子供は、中学生くらいでも大人と似た体格から、年齢を見誤ることもあるが、長い年月から見れば人間の2、3年の歳の違いなど取るに足らないことであった。

 だが、少年の長い前髪の奥に存在している眼に宿るものが、切った張ったの世界で生きる者さえも戦慄を憶えるものがあるとしたら、話しは別だ。未成年という青い存在としては片付けられない。

 加えて、少年の左腰には、男と同様に刀と脇差があった。

 ――いや、同じではない。

 脇差は最小の大きさで鍔があった。

 しかし、少年の刀には、鍔がなく柄頭には手貫紐てぬきおが下がっていた。

 鍔とは、刀身と柄との間に挟む金属の板のこと。鍔の役割は、刀のバランスを調整し、柄を握る手が刀身の方へと滑って負傷させないストッパーの役割がある。

 また、鍔には防具としての役割がある。

 剣道では手首を狙らわれた際、鍔に当たって打たれないことがよくある。鍔がないと、刀身で頭部への攻撃を受け止めたつもりでも、相手の刀が滑って、こちらの指が斬られる可能性もある。

 鍔がないということは、そう言った利点を自ら排除するという意味だ。それは自ら不利にしているように見えるが、あえて外しているならば何かを意図した改造なのだろう。

 考察をすれば、少年の刀は薩摩拵の特徴から推察できる。

 薩摩独特の刀装を、薩摩拵という。

 もっと分かりやすく言うと、「薩摩風の刀」と言ってもよい。薩摩の刀は、他の地域とは異なった特徴があり、その一つに鍔は一般のものよりも極端に小さい。

 刀の鍔は、自身の手を相手の刃から守るためのものであるが、薩摩ではこの防具の思想は否定されている。薩摩では、鍔は柄を握っている手が刀身の方へ滑らないための意味しかない。

 敵に襲われた際に鞘ぐるみ(納刀した状態)で戦うことを想定し、鞘ごと抜き打ちしやすい小さな鍔にすると共に、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術・示顕流における蜻蛉とんぼの構えのとき、鍔が耳にあたらないようにする。

 また、物打ち(切先三寸の所で、最も良く切れる部分)に重心をかけることで強烈な一撃を加えるためでもある。

 少年の鍔の無い刀・無鍔むがくとうは、一切の防御を否定し、引っ掛かりのない素早い抜き打ちと軽量化を行いつつ、物打ちに更なる重心をかけ猛烈な一撃を加えることを目的にしているのが予想された。

 手貫紐は、鍔を外した欠点を補うために付けているのが予測できる。

 なお、手貫紐とは、輪になった紐に手首を通して柄を握り戦闘時に刀剣を取り落とさないように使うものだ。本来は馬上で使用される太刀に見られる拵えであり、刀には見られない。

 男が待ちかねた存在。

 それが少年だった。

 未成年であることに油断が生じかけて、男は自然に歩く少年の動きを見て未成年という名の擬態に惑わされるべきではないと思った。

 歩く。

 左右の脚を交互に動かし進む。

 その動作一つを見ても、少年は凡人ではなかったからだ。

 刀は決して軽いものではない。

 左腰に差した場合、重いために左腰を持ち上げるようにして歩く。不揃いに左脚を引くように歩くのが、刀を差している者の歩き方だが、少年の歩き方は左腰が上がっていなかった。腰と脚の強靭さがあるからだ。これが弱いと、腰の上下の動きが酷くなるが、少年にそれは見られない。

 まるでウォーキングか散歩でもしているかのように足取りは変わりない。恐れを知らぬように。

 今よりこの地で行われるのは、不帰ふきの客となる剣士の儀式。

 男は家族と水杯みずさかずきを交わし、この地へ赴いた。父と母、弟は皆、それぞれ涙をこぼした。妻は男が決意を固めた時に何度も止めたが、男はそれを振り切った。

 家族との別れを行った朝、家を出ていく男の背に妻は何も言わずに抱き止めた。

あたたかった。

 身体の温かさではない、気持ちが温かった。

 こんなにも、愛されていることに。

 男が半歩進んで静止を振り切ると、妻はその場で泣き崩れたが、男は振り返らなかった。振り返れば、決意が挫けてしまうから。

 あの時ほど、自分の影の重さを感じたことはなかった。

 重い。

 息が絶えるかと思うほどに、足取りは重かった。

 生きて帰ったなら、今度は自分の方から妻を抱きしめてやろう。

 男は、そう心の内で思った。

 この地に赴くのに、それほど想いをしたのに対し、少年の軽い足取りには何の枷も感じない。血の通った人間とは思えなかった。

 男は決意を新たにする。

 だからこそ、この《魔物》を斬らねばならないと。

 生還する為にも。

 少年は五間(約9.1m)の間合いを取って立ち止った。互いに言葉を発さなかったが、少年が先に口火を切る。

 少年は左手で、ポケットから手紙を取り出した。

 右手は使わない。いつでも刀を抜けるようにしておく為だ。酒好きな人のことを《左党》《左利き》と言うが、これには諸説ある。

 左手でさかずきを持つようになったのは、武士が居酒屋で独酌をするようになった江戸時代からという。酒を飲むときの所作として、いつでも刀を抜けるように右手を自由にしておき、左手で盃を持っていた。

 このことから、酒好きを《左党》《左利き》と呼ぶようになったという。

 それが事実かは分からないが、右手を開けておく少年は行住坐臥(ぎょうじゅうざが)を戦いと考えていた行動だ。

 白い長方形の手紙。

 少年は、男に視線を向けたまま言った。

「左封じか。こんなものを貰うとはな」

 左封じの手紙とは、手紙の封じ目が左にある手紙のことで、遺言などの凶事。あるいは果し合いの申し入れ、果し状に使われる。

「今が何時代か知ってるか? 昭和の高度経済成長を昔に、平成のバブル崩壊を目の当たりにし、かつては戦争のない世紀をと希望を持っていた21世紀だぜ。何故、俺との果し合いを望む」

 少年は、左封じの手紙をポケットに捩じ込む。

 少年の問いに、男は歯噛みした。記憶すらしていない少年の態度に、怒りを覚えたように。

「……先祖が受けた、怨み」

 男は感情を込めて理由を口にする。

 怨み。

 他者からの仕打ちに対して不満と思い、憤って憎む気持ちのことを指す。また、心残りや悲しみなどを指すこともある。

 いつの時代においても、最も人を突き動かす動機となるもの。同時に、時代と世代を超えて受け継がれていく感情でもある。

 異国からの侵略は教科書に記載され、人間の歴史が終わるまで子孫に語り継がれる。愛国心を持ち自国を誇りに思う人間は、他国に踏みにじられた歴史を口にし相手国の国旗を燃やす。相手国の人間であれば何も知らない子供であっても憎しみを向け、怨みを口にする。

 同じ民族であっても、それは消えることはない。日本史においても、時代を超えた怨みは囁かれている。

 慶応四年(1868年)、会津戦争。

 最後まで徳川幕府を支持した会津藩(福島)は、薩摩(鹿児島)長州(山口)の連合軍に破れた。

 この際、長州は会津藩士のみならず民衆に対しても略奪や暴行、母子の目の前で公開処刑を行うなどの非道を行った。それだけでなく、戦死者・犠牲者を「賊徒」として死者を弔うことも許さず、老若男女の死体は風雨に曝され腐り、鳥獣に食い荒らされる悲惨な状況に置かれ、遺族にとって恥辱的な見せしめが行われた。

 こうした背景には、会津藩主が京都守護職(京都の警察)となり、新撰組を組織したことにあるとされる。 新撰組は多数の長州藩士を容赦なく斬ったことで、長州にとって会津は憎んでも憎みきれない存在となる。

 また、長州が会津をここまで叩いた理由は、明治政府が封建社会を終わらせ、文明国家を創出するにあたって頑強に封建社会を守ろうとする、旧勢力に対する見せしめの必要があったと考えられる。

 現代において、表立って会津と長州、薩摩の人々が互いを罵り合うことはないが、婚姻時や仕事との取引において出身地を口にすると感情的に良い思いがされないことがまことしやかに囁かれる。

 事実、昭和61年(1986年)には長州藩の首府であった萩市が、会津藩の首府であった会津若松市に対して、「もう120年も経ったので」と、会津戦争の和解と友好都市締結を申し入れたが、会津若松市側は「まだ120年しか経っていない」として拒絶。

 平成28年(2016年)の報道によると、親から「長州の男との結婚だけは絶対に許さん」と言われ続けて育った子供が会津地方にはおり、国道49号についても「明治時代に制定された会津を通る国道が縁起の悪い「49」にされたのは長州の嫌がらせだ」と虚偽を信じて、真顔で述べる住人がいた。

 会津に国道が制定されたのは、明治時代ではなく昭和であり、国道49号が誕生したのも昭和38年(1963年)である。

 平成31年(2019年)2月17日に放送された『新婚さんいらっしゃい!』では、福島県会津地方出身の男性が鹿児島県出身の女性と交際し結婚しようとしたものの、「夫が会津出身であること」を理由に、女性の父から結婚を認められず破局、30年以上経って父が他界した後に再会し、ようやく結婚することができたという夫婦が出演した。

 100年以上も前の出来事ではあるが、祖先が受けた痛みを過去の出来事として忘れられない歴史がある。

 また、日本史の武将の中でも、とりわけ知名度と人気の高い人物に織田信長がいる。英傑と称えられる武将だが、400年を経ても未だに信長を怨んでいる人々も存在する。

 天正伊賀の乱。

 伊賀国(三重県北部)で伊賀の忍者・地侍などからなる「伊賀衆」と織田家が戦った、二度にわたる戦の総称。

 信長は、忍びがもたらす情報の価値は認めていたものの、忍びそのものは神出鬼没で奇怪。どこに属することもなく敵にも味方にもなることから、その存在を嫌った。天下統一を目指す信長にとって、忍びの持つ力は利用するものではなく、徹底的に排除するものだった。

 戦国時代、各地の大小名は伊賀者、甲賀者の腕を見込んで一時的に金で雇い、諜報、時に敵の暗殺を委ねていた。

 元亀元年(1570年)、信長が越前(福井県)の朝倉氏攻めに失敗し、岐阜城に戻るべく甲賀から伊勢(三重県)へ抜ける千草越えを通過中に狙撃され暗殺されかかっている。甲賀の鉄砲の名手・杉谷善住坊すぎたにぜんじゅうぼうによるもので、六角氏の要請に応えたものだった。

 天正六年(1578年)、伊勢を押さえる信長の二男・信雄のぶかつは、伊賀を攻略すべく、丸山(三重県伊賀市枅川)に拠点の築城を始める。城は三層の天守を備えた大規模なもので、ついに山間部の伊賀にまで信長の手が及ぼうとしていた。

 しかし完成間近となった同年十月のある日。丸山城は突如、大爆発を起こし炎上。夜明け前に忍び込んだ伊賀者たちが、城内のあちこちに火薬を仕掛け、一斉に火を放ったのだ。城内が大混乱に陥ったところへ、さらに数百人の伊賀勢が乱入し、信雄の配下は逃亡、城は半日ともたずに落ちた。

 これに怒った信雄は、翌天正七年(1579年)九月、父・信長の許しも得ずに8000余りの軍勢を率いて伊賀に攻め込む。

 伊賀の地侍は数では劣るものの、百地丹波ら上忍の指揮のもと、信雄軍を山中に釘づけにして軍の展開を封じ、奇襲、夜襲のゲリラ戦の連続で散々に翻弄する。結果、信雄は甚大な被害を出して伊勢に逃げ帰った。

 その後、天正九年(1581年)に第二次天正伊賀の乱が起こり、織田信長が大軍を率いて伊賀衆を攻め落とし、伊賀は壊滅状態に陥った。

 織田軍は、伊賀(三重県西部)へ至るあらゆるルートから侵攻。集落や寺院はことごとく焼かれ、逃げ場のない人々は殺されていった。

 当時の文献によれば、第二次天正伊賀の乱は織田軍によるかなり一方的な殺戮だった。織田軍は伊賀各地の神社仏閣や城砦などとともに、拠点を次々と焼き払った。約2週間で伊賀全土が焼き尽くされ焦土と化したという話も伝わるほどで、まるで国中が燃えているようだとする記録がある。伊賀側は最終的には、非戦闘民を含め全人口の3分の1にあたる3万人強の人々が命を落とした。

 伊賀衆の拠点は織田軍により焼き払われたため、当時をしのばせるものは石碑や郭跡などの遺構がほとんどとなっている。それら以外に現存するものがほぼないことから、織田軍の凄まじさがよく分かる。

 あまりにも多くの血が流されたことで、《ち》が血に通じることを嫌って、百地(ももち)という姓を持つ一族は「ももち」の読みを「ももじ」に改めたとされ、現在でも百地氏は「ももじ」と名乗っている。

 信長の蛮行は、これだけではない。

 元亀二年(1571年)比叡山焼き討ち。

 この時、全ての堂宇は放火され、寺の僧侶はおろか山麓の町から避難してきた一般信徒も含む多くの人がことごとく殺害されたと伝えられる。

 死者数は『信長公記』で数千人、宣教師フロイスの書簡では約3000人、貴族の日記にも3000~4000人とあり、多くの人命が失われたと記されている。

 天正二年(1574年)長島一向一揆殲滅。

 この討伐に乗り出した信長軍は、籠城した一向宗徒に兵糧攻めを行い、一向勢は餓死者が続出したため全面降伏を申し出る。表向きはこれを受け入れた信長だが、約束を反故にし投降者を殺害。

 さらに生け捕りにした2万人の人々を数珠つなぎに集めると、生きたまま火あぶりの刑にした。非戦闘民である女性や子供も多く含まれていたことから、家臣達の間からも信長をいさめる声が出たが、信長は耳を傾けなかった。

 一向宗徒の周りには薪が積み上げられ、人々は生きながら猛火に焼かれた。灼熱地獄の中で阿鼻叫喚の地獄絵が繰り広げられ、つんざくような悲鳴が上がった。巨大な炎の人柱は、風にあおられて大きく燃え上がり、2万人という人々を一度に火あぶりにした臭いは、いつまでも消えることがなかったという。

 天正三年(1575年)越前一向一揆殲滅。

 朝倉氏滅亡後の越前(福井県)では一向一揆が台頭し、信長の支配が及ばなくなっていたため、再び越前を取り戻すべく、信長は侵攻を開始。

 信長は、一人残らず探し出せ。そして女・子供構わず、すべて斬り捨てよと命じる。

 こうして一揆勢は2万以上が討ち取られた。捉えられた人々は、奴隷や女中、妾として尾張や美濃に送られ、その数は3万から4万人に上るとされる。

 明智光秀というと主君の織田信長を討った「天下の謀反人」というイメージが強いが、信長の死を知った伊賀の人々はとても喜んだ。

 現在も、天正伊賀の乱で戦地となった三重県名張市にはお盆に、

「明智さんに、お灯明をあげる」

 といって、本能寺の変で信長を討った明智光秀に感謝し、玄関や縁側に明智提灯を灯す風習がある。

 世間では、天下統一を目前にし家臣に裏切られた悲劇の武将・織田信長であるが、しいたげられた人々はそうは思わない。400年の時を経ても、今もなお信長への憎悪の念を持ち続けている。

 怨みは、本人が受けた痛みだ。

 それを忘れなければ、人類の歴史が続く限り永遠に繰り返される負の連鎖ではあるが、それを無かったこととし忘れることは簡単ではない。負の連鎖を断ち切るには記録が霞むだけの時間と、許せるだけの寛大な心が必要だが、見方を変えれば、それは誠に、おめでたいことと言える。

 先祖の受けた苦しみ過去の出来事として忘れ、踏みにじられた先祖が受けた恐怖、悲しみ、無念の思いを余所に、歴史を昔話として面白がっている姿は、先祖に顔向けできない、先祖に背くダメな子孫とも言えるのだ。

 男は忘れなかった。

 自分の祖先が受けた痛みを、苦しみを、屈辱を、悲しみを。

 だから、こうして立っているのだ。

 少年の前に。

 めつける男に、少年は《笑い》を浮かべる。

「そういうことか。俺の祖先は多くの人をむごたらしく斬ったからな。

いや、今の俺を含めてか……」

 笑い、分かった風な口を利く少年に、男は感情を露わにする。

「何が可笑しい! 武器も持たぬ人々を斬り捨て、婦女を犯しては殺し、親を失い泣き叫ぶ赤子でさえ殺してきた化け物が! 貴様の祖先が行った悪行の数々。俺は忘れはせんぞ!」

 血液が沸騰したかのような男の怒りに対し、少年は何の痛痒つうようもみせなかった。男の言った日本語が理解できていないのか、それとも倫理や良心という血の通った感情が無いのか。

 ただ、少年は一言を告げた。

「俺を殺したいのなら、他にも方法はあった筈だ」

 少年の言葉に、男は醒めたように気づく。

 そう。殺すなら、怨みを晴らすならば方法はいくつもある。

 不意討ち、闇討ち、騙し討ち。

 自動車で轢き殺す、寝込みを襲う、多勢で囲んで切り刻む、食事に毒を混ぜ、酒に酔ったところを襲う、ライフルで遠距離から射ち殺す、秘部に毒を塗った女を抱かせる。

 手段を選ばない勝利を追求すれば、枚挙にいとまがない。

 それにも関わらず、男は少年に正面から挑んだ。

 男は一度目を閉じ、《笑い》を浮かべた。

 それは、少年が浮かべたものと同じもの。

 2人がした《笑い》は、他人または自分の行動やおかれた状況の愚かしさ、滑稽さに不快感やとまどいの気持ちをもちながら、しかたなく笑う・《苦笑》であった。

男は少年と同じものを感じ入った。目的と手段を完全に取り違えている。

 だから少年は、男は苦笑いをしたのだ。

 オリンピックという国際的なスポーツの祭典において、過去の歴史を持ち出し、勝つことで憂さ晴らしをするようなものだ。

 男は逆上したことで、品性を失っていたことに気がついた。

「……そうだな。非礼は詫びよう。貴様に果し合いを申し込んだ背景は、私怨もあった。

 だが、それ以上に剣士である貴様に、純粋に剣士として勝ちたいからだ。誰の手も借りず、俺が磨き抜いてきた俺の剣で貴様から勝利を得る。

 そして、貴様の首を花として先祖に添えよう」

 殺戮劇が始まろうとする下、一呼吸の間が訪れた。

 《立会人》は、少年と男の間に立っていた。

「よろしいですかな。私が、この果し合いの《立会人》です。勝負は一対一。使用する武器は腰の二刀のみ」

 《立会人》は、少年と男の反応を見定めながら続ける。

「――勝敗は、死を以て決する。よろしいですか?」

 問われて、男は応じる。

「委細承知」

 少年は、

「約束を違えた場合は?」

 と訊き《立会人》を流し目に見る。

 《立会人》はスーツの左脇を開いて見せた。ショルダーホルスターに1丁の自動拳銃オートマチックがあった。SIG SAUER P226だ。

 SIG SAUER P226

 全長:196mm 銃身長:112mm 重量:845g 装弾数:15+1発

 口径:9✕19mmパラベラム 銃種:自動拳銃オートマチック

 高価格でありながらドイツらしい精密感から特にプロフェッショナルから高い支持を受けているP220後継としてザウエル&ゾーン社が開発した自動拳銃オートマチック。P220との違いはダブルカラムマガジン化が最大の改良点。この為、装弾数が9x19 mmパラベラム弾仕様で、9発から15発に増えている。

 P220と同様にマニュアルセーフティーを持たない代わりに、起こされたハンマーを安全にハーフコック位置まで落とすためのデコッキングレバーを有する。

 長時間、水や泥の中に浸けた後でも確実に作動するほど耐久性は高く、アメリカのガンショップではP220より高価である。

「勝負を汚した者は、仕切りを行う《立会人》の名の下に私が粛清します。私は、そちらの男性からこの果し合いの立会い依頼を受けましたが、お二人のどちらからみても敵でも味方でもありません。《立会人》という名の通り、この勝負がつつがなく行われることを遂行し、勝負が決することを見届け証明するだけです」

 《立会人》の責が威圧感となって、その場の空気を一層緊張させた。

 だが、少年は微かに笑む。命がかかっているにも関わらず安堵あんどしたように。

「俺も委細承知だ。勝負に集中できる」

 少年は、そう言い《立会人》に応じた。対戦相手となる男だけを見る。

 敵意や殺意の眼ではなく、剣士として戦うべき相手とした認めた達観した眼であった。

「この場に伏兵や罠などは一切ありません。お互いに悔いなきよう存分に力を発揮し雌雄を決してください。

 ――では、よろしいですかな?」

 《立会人》の二度目の呼びかけに、少年と男は答えない。

 肯定もなければ否定もない。2人は左手で刀の鞘口を掴み、柄頭はやや内側に向ける。

 はらに力を入れると共に心も引き締める。

 帯刀姿勢に入った。

 それは、剣士がいつでも刀を抜くことを決めた姿勢。

 沈黙と帯刀姿勢を以って答えた2人に、《立会人》は号令をかける。

「いざ尋常に。勝負、始め!」

 男は刀の鯉口を切ると柄を握り、腰を切って抜刀した。

 夕日を受けた刃が、煌めいて少年に剣気を放つ。

 長寸であるにも関わらず、淀みのない抜刀だ。

 男が抜いても、少年はすぐに抜かなかった。

 先に刀を抜かれるということは、遅れを取るとことだが急ぐ必要はなかった。

 なぜなら、五間(約9.1m)の間合いがあれば、充分に初太刀に対応できる距離だからだ。

 それよりも男の持つ刀身の長さ、柄の長さを見極める。

 長い。

 少年は男の刀に、それを感じた。

 刀の刃長の定寸は、二尺三寸五分(約71.2cm)。

 それに対し男の刀は二尺五寸(約75.8cm)。

 幕末に使用された勤王刀に近い長さだ。

 刀身の長さは、そのまま間合いの長さに繋がる。

 剣の勝負は僅かな長さが生死を分ける。

 たかが一寸(約3cm)ではない。

 一寸(約3cm)の長さを見誤れば命を失う。手首ならば筋が斬られ、首や脇の下、腿の内側に入れば、動脈から血が吹き出す。

 男の身長は180cm。男と対峙した時から、身長から腕の長さ、脚の長さはすでに算出している。

 腕の長さと身長の関係性は、両腕を左右に指先まで真っすぐに広げた長さと身長は、ほぼ同じになる。従って、身長が高ければ腕も脚の長さも長くなるという関係性ができる。それは比例計算である程度の算出はできるが、少年はある方法で行う。

 勘だ。

 これは、直観的に事柄を感知したり、判断したり、行動したりする心の働きをさす。

 ある盲人は通りすがりの人の足音を聞いて、その人の性別、年齢だけでなく職業までを言いあてるとか、ある敏腕な刑事が些細な偶然的な出来事から何かピンとくるものを感じ取るというような場合だ。

 このような働きは誰でもが一朝一夕にして身につけるようになるものではなく、長時日の経験の積重ねから生れる。

 勘とは、何となくや当てずっぽではなく、経験に裏付けられた立派な才能だ。

 少年の中で、男の身長と刀の長さが瞬時に合算された。

 男の刀身を見た後、0.5秒で答えが出る。目から入った情報が整理されて、それに反応するのは約0.5秒かかると言われているので、勘による計算は瞬時に終わっていた。

 男の刃が届く間合い、自分が踏み込まなければならない間合いが出た。

 そして、少年は動いた。

 少年は鞘と柄との間にある切込みに親指の爪を入れる。刀には鍔は無い為、鯉口を切るには、鞘の口を削っておく必要があった。

 単に抜くだけなら別だ。

 鍔は無くても刀は抜ける。

 腰に差した刀の柄を、力任せに大根でも抜くように引っこ抜けば済む。

 だが、そんな抜き方をすれば鯉口が馬鹿になってしまう。

 鯉口、つまり刀の鞘の口は、礼や刀を逆さにした時などに刀が滑り落ちていかないよう、ややきつめに締まっている。

 それを乱暴に引っこ抜いてばかりいれば、たちまち緩くなってしまう。だから刀を抜く時は、まず左手で鞘口をつかみ、その親指を使って鍔を押し出し、きつい締まりを静かに外してやる。

 そのようにしてこそ、居合抜刀といった術も可能になる。

 少年は次に柄頭から垂れた手貫紐に右手の親指を掛け手の甲に巻くように手首に通し、右手で柄を下から迎えてやる。

 その手は、音もなく飛ぶ蝶のように、風に舞う花弁のようにヒラリと柄を迎えに行った、柄に手が触れる。

 すると少年の刀は、刀身が姿を現し終わっていた。

 抜刀開始時から抜刀中、抜刀後に至るまで、音はしなかった。

 抜刀時に、音がするのは鞘内で刃、峰、鎬などがぶつかっているためで、抜いていく刀身と鞘の角度が合っていないことを意味する。

 余計な音は気配や存在を相手に知らせてしまうだけでなく、鞘の内側を削ってしまう弊害もある。鞘は二枚の板を続飯そくいという飯粒を練り合わせた接着剤で貼り合わせているため、刃を擦りつけたり捻ったりすれば、最悪、鞘が割れ鞘口を握る手を負傷することにも繋がる。

 抜刀した。

 刀を抜いた少年の、その姿。

 闇に潜んでいた魔獣が、血肉を求めて牙を剥いたよう。恐怖を、薄ら寒さになって感じた。

 だが、殺気は無かった。

 男は闘気をみなぎらせ、むき出しになった殺気を放つのに対し、少年は静かであった。仮に2人が水面に立っていたなら、男は足元に音叉を叩いたように激しく飛沫しぶきが上がり波紋が双曲線を描いて広がる。

 対して、少年の周囲は波立たない。

 濁りなき静水は水の存在を疑わせる程の透明度を湛え、清純な景色と空と雲、そして少年を鏡のように映す。美し過ぎる水は天の姿をそのまま映し出すだけに、どちらが天か地か把握できなくなりそうだったが、少年の足元が出立点となることで初めて天と地の境目が分かる。

 それ程までに少年は、粛然しゅくぜんとしていた。

 敵を前にした男の反応は、ごく自然なもの。

 身体はストレスを感じると、その状況を回避するために交感神経の働きを強め、血圧を上げ心臓の動きを活発にし、筋肉を収縮させてケガをしてもすぐに修復できるように白血球の一種であるリンパ球が増加するなどして臨戦態勢に入る。

 それに対し、少年は男とは全くの逆の反応をみせる。

 平常時以上の平常状態は敵を前にした人間の反応としては異常なものを感じさせた。

 少年は殺気を持っていなかった訳ではない、警戒心が強いウサギですら感じられない程に完全に殺気を内に秘め置いた。

 常に発していいたのでは気力体力共に消耗する。殺気を放つのは、斬る瞬間だけで良いのだ。

 だが、常人からみれば異様だ。

 それは、少年の刀もある意味異様であった。

 男に姿を見せた、少年の刀。

 刃長二尺(約60.6cm)の刀。

 それは思いの他、短い刀だ。

 刀の定寸は、二尺三寸五分(約71.2cm)。

 つまり、少年の刀は三寸五分(約10.6cm)も短いのだが、その刀は刃肉がたっぷりとした蛤刃はまぐりばであった。

 通常、刀の断面は刃先から峰に向かって大きな膨らみは見られない。これに対して蛤刃というのは、蛤がそうであるように、刃先からの断面がなだらかな曲線を描いており、その分厚みがある。

 このような構造にすると、斬れ味は若干落ちるが、叩き斬る、叩き割るといった使い方には適しており、主に鉈や斧に使われている構造だ。戦国時代において戦場で用いられた刀は、鎧の継ぎ目を狙って斬ったり、槍と同様に突いたり倒したりすることを考えて、強靭な蛤刃の刀が合戦の場では重宝された。

 つまり、少年の刀は刃長こそ短いが、戦国期の刀と作りは同じであった。美術作品として観賞を評価される刀ではない。

 人を斬ること。

 人を突くこと。

 人を倒すこと。

 つまり、戦うことを追及された戦場刀であった。

 男は刀を正眼に構え、足をって間合いを詰める。

 【正眼の構え】

 古流剣術における構えの一つ。

 刀を前方に出し切先を相手に向ける。流派によって切先が眉間や喉に向ける。攻防共に隙が少なく攻撃するにせよ防御するにせよ、この構えを基点とすることで戦闘中に発生する様々な状況の変化に対して咄嗟に対応できる。

 少年の眉間に向けられた切先から、言いようのない圧迫感が迫る。

 先端恐怖症の持ち主でなくとも、人を斬る為に作られた大ぶりな刃物は恐怖そのものだ。それが眉間に突きつけられ嫌でも眼に向かって来る。胆力のある人間でも恐怖から動けなくなる。

 しかし、少年は冷や汗一つ流すことなく間合いを詰めていく。

 刀を右手に下げたままで。

 まったくの無防備だ。

 頭上、左右、脚どこに対しても刀を突きだしていないことから、全てがら空きになっている。特に全面は隙だらけだ。刀を抜いて相手と向かい合う時、こういう構えは恐ろしくて取れない。

 男は胸の内で、ほくそ笑んだ。少年の剣士としての驚嘆さは、歩く姿を見たときから理解しているが、自分が負ける筈がないと。

 鍛錬を続けてきた。

 数々の試合に勝ってきた。

 悪党を血の海に沈めてきた。

 だから、こんな小僧に負ける訳がない。

 少年と男との距離が、遠間から迫る。

 男の眼が歓喜に黒目なる。

 男にとって一足一刀の間合いに入った瞬間だった。

 間合いは、生死を決するものであり、技の死活は間合いにかかっているといっても過言ではない。

 特に剣術などの武器を用いた武術の場合、一歩の間合いが死活となる。この一歩踏み込めば撃突できる位置にあるとき《間合いに入った》と言い、これを《一足一刀の間合い》という。

 男は180cmの長身に加え、刃長二尺五寸(約75.8cm)の刀を有している。少年よりも先に間合いに入れる。


(斬る!)


 男の脳が発した司令が肉体を駆け巡った。

 右脚を大きく進めながら、右脚が着くと同時に、左脚を右脚に引き付けながら天に向けた切先を斬り落とした。

 踏み込みながらの一刀の場合、この脚の引き付けが遅れるとへっぴり腰になり姿勢が崩れるが、男の体軸に揺らぎは無い。腕力だけに頼った一刀ではなく腰の据わった速く鋭く重い斬撃を有していた。

 斬り裂く刃に空気が鳴いた。

 だが、少年は鳴かない。

 振り下ろされた刀の右に少年は立っていた。

 少年は右脚の拇指球を軸に、弧を描くように左脚を一歩、左斜め前に開き、右脚を左脚に引きつける。

 開き足。

 身体を左右に捌く足捌きだ。

 少年は左に身体を開いて、男の刀を躱した。

 上段から振り下ろす刀法は、重力に従って振り下ろす為、鋭さと斬撃力に優れる。

 しかし、人の肩幅の間しか斬れないため、横に動けば躱すことができる。無論、剣が振り下ろされる前に動いてこそ回避できる。

 そのことに男は驚かない。

 少年が木偶人形のように斬れるとは思っていない。

 摺り上げ技、返し技、応じ技、回避されることも想定の範囲内だ。

 男は切先を返し右に薙いだ。

 刀がはしる。


 ――――退く


 少年と男との間に、距離が開いた。

 薙ぎの刀法の場合、横へと刃がはしる。

 それに対する防御は幾つかあるが、最も安全な防御は、後ろに下がって間合いを切ることだ。

 少年と男との距離が離れたとき、《立会人》は男の右薙の斬撃に、少年が退いたと思った。

 だが、実際は異なった。

 退いたのは、薙ぎの刀法を行った男の方だ。

 男の額に汗が滲み、背には汗が噴き出していた。

 それと、右の手首から血が滴った。

 男の右腕が削られていた。

 少年の刀が、振り抜かれている。

 その瞬間を男は見た。

 男が右薙に刀をはしらせる前、少年は刀を下げた右手に対して、体を寄せていく。

 刀は動かさない、刀を引っ張るにしても振り上げるにも力が要るからだ。古武術における脱力から生み出される力が生まれる。刀を右手に下げたまま体だけを移動させると、体の左側に来る左手を柄に運んだ。

 すると、死んだように垂れ下がっていた刀が動き出したのだ。

 動く。

 手に刀を握っているのだから、力を入れれば動くのは当たり前だ。問題は、その動きが戦慄を伴うものだったから。

 少年の刀は動いたというより、泳ぎだした。水を得た魚が覚醒し、始めからトップスピードで高速で回遊すると、男の右腕に肉食魚にように襲いかかった。無防備に立っていただけに見えた少年は、瞬時に斬撃を放った。

 《術》が繰り出された。

 男は正眼に構えつつも、柄に血が落ちないようにした。血が柄にかかれば握れなくなる。血で汚れた柄は粘り、滑りを起こす。そうなれば紐を巻き直さなければならない。

 斬り合いの時、手が滑っては死を意味する。右腕の傷は重傷ではない。筋を斬られていないため、まだ刀は充分に振れる。

 焦燥に駆られながらも、男は冷静に務めた。短い刀の斬撃ではあったが、その間合いを読み躱したことに自分を称賛した。

 だが、危うかったのも事実だ。

 少年の技の起こりに気が付かなければ、腕を落とされていた。

 薙ぎの刀法を加速させる前でなければ、腕を落とされていた。

 あるいは、少年の刀が定寸であれば、腕を落とされていた。

 少年は、ただ立っていたのではない。

 無防備に見えても、それは一つの構えを取っていたのだ。新陰流では、これを無形むぎょうの位と言う。

 【無形の位】

 柳生新陰流の祖、柳生石舟斎が名付けた新陰流の構え。

 その形は両足を自然に左右に軽く広げ、右手に刀を垂れ下げ、剣尖を軽く左の方に傾ける。この構えが無形の位。

 完璧な構えなどというものはあり得ない。構えればどこかに必ず隙が生じる。そこを守ろうとすれば、他が空いてくる。さらにそこを守ろうとすれば他に隙が生じる……。というように、構えが際限なく崩されていく可能性がある。

 一方、無形の位は隙だらけだ。

 どこからでも斬り込めるが、自然体であるが故に、どうとでも対応できる。元々構えていないのだから、構えが崩されることもない。

 形のない攻撃体勢をとっている訳だが、形がないということは、相手がどんな形でどこから攻めてきても、それに対して自由自在に相手の出方に対応することができる。

 刀を正眼に構えると、相手を斬るには一度切先を上げなければならない。そこから振り下ろす訳だが、《上げ》《振り下ろし》二拍子動きとなるため、相手を斬るのは遅れる。

 無形の位からは、そのまま相手に斬り込める。

 逆袈裟に斬り上げる。垂直に斬り上げる。そのまま足元を薙ぐ。

 どれも一拍子で斬れる。

 だからと言って、誰にでもできる構えではない。

 剣術には、《病》がある。

 それは、

 斬ろうと思うこと

 斬られまいと思うこと

 その二つだ。

 何らかの強い意図が心と体を硬直させる。そうした自由な心で動けない状態を《病》と呼ぶ。

 斬ろう斬ろうと執着していると相手の動きが見えなくなり、斬られまい斬られまいと怖がっていると相手の動きに振り回される。

 また、習った技を使おう、形通りにやろうというこだわりも同様に技術や手段に振り回される。斬ろうとするも、斬られまいとするも、その根底にあるのは相手を恐れる心。技術や手段に固執するのは失敗を恐れる心。

 無形の位という、一見無防備に見える構えは、恐れる心を克服してこそできる構えだ。

 なお、無形の《構え》と呼ばず無形の《位》というのは、構えは一種の固定した形式であり、臨機応変に欠けるからだ。そのため《位》という。

 それを20歳に満たぬ、少年が使っていた。

 男の年齢は33歳。

 目の前の少年は歳にして15、6歳程。

 男は少年の倍の人生を生き、倍の人生を剣に捧げてきた。

 単純に剣の実力を倍とは言えないが、男が至っていない境地に、その年齢で達している箇所があるのは確実であった。

 少年であって少年ではない。

 少年である前に、剣士であった。

 男は緊張から胸苦しさを感じた。

 剣の病が男の心を蝕む。すぐに斬り込めないことに揺らぎが生じたのは無理もなかった。

 実際、竹刀をとっての道場の稽古でさえ、圧迫感を跳ね除けるのに苦労するもので、試合前にわざわざビールを飲む剣道家もいる。生死を分かつ真剣勝負では、精神力において欠けるところのある者は、刃を交える前に気死きしの状態に陥ったであろうことは想像できる。

 気が上ずり恐怖に囚われては技を現すことはできない。緊張に胸が高鳴り手足が強張っては、実力を遥かに隔てる弱輩にも負けることになる。

 少年は男が剣の病に蝕まれたのを見逃さない。波が打ち寄せるように男の間合いを侵す。左脇に刀がある。左下から逆袈裟に斬り上げるつもりだ。

 男は恐怖を払拭するように、腹の奥底から気合を上げた。

 否、獣の咆吼。

 雑念を振り払らわれる。

 男は一歩引きつつ、少年の左首根目がけて刃を振り落とす。

 少年の剣は、男の左脇、肋骨を撫で斬り、男の剣は少年の左肩口を斬った。


 浅い!


 それは、少年と男の切先が伝える衣服と肉を裂く感覚が刀柄を通して伝えられ、同時に二人の胸中に過る。

 間髪を入れず動いたのは、男の方だった。

 再び踏み込み少年の左肩を斬った刀は、その動きが止まること無く、左からはしり少年の胸を斬りにかかる。

 少年は後ろへ飛び退きながら、男の刀を躱そうとする。

 だが、躱すことができなかった。

 それは、少年の身体が後ろに退がることを想定して、男は剣を振るった訳ではないから。

 後退する方向は、男が斬り込む方向に他ならない。

 つまり、斬撃が加速したのだ。

 躱されたのなら、そこから踏み込み、斬り込んでくると予想してしかるべきであった。

 しかし、斬り込んだ勢いを殺さず、さらに加速させてくるとは、想定外の事態であった。

 男の少年に対する怨みという執念が、この一撃を必殺のものにしていた。

 躱せないなら刀身による防御があるが、少年はそれをしない。

 刀で相手の剣を捌くには受け止める、あるいは受け流すということになる。

 受け止めるには刃と刃を合わせる。

 そんなことをすれば、名刀と言えど刃が欠けるのは当然のことだ。

 峰や鎬で受け止めると刀は、折れるか曲がってしまう。

 受け流しは、刃ではなく鎬に当てて相手の刀を流してゆく。

 相手の斬撃を真っ向から受け止めれば、どんな名刀でも刃にダメージを受け、その瞬間に刃は欠けてしまう。

 受け流しの場合も鎬に深いヒケがつくので、同じようなものだ。

 それ故、少年は受けそのものを好まない。

 だから少年は覚悟を決めた。

 男は思った。

 少年が正眼に構えていない以上、斬ろうと思えばどうにでも斬れる。

 それに自分の刀の方が、五寸(約15.2cm)も長いのだ。

 脇差に毛が生えたような短い刀とは間合いが違う。

 刃長の長い己の方が、何よりも有利だと思い込んだ。

 少年は、踏み止まっていた。

 迫る刃。

 そして、少年は刃に向かって行く。

 その瞬間に、男はゾッとした。

 得体の知れない化け物でも見たように。

 躱せない斬撃に少年が刀で受け止めるか、受け流すものと思っていた。

 そこにつけ込み、二の太刀へと繋げるつもりだった。

 だが、少年は退くどころか、刃の下を潜って来たのだ。

 少年の頭の上。

 その一寸(約3cm)上を男の刀がはしった。

 刀で斬る速度は数十分の一、あるいは数百分の一の単位で行われる。その下を潜ることはあり得なかった。

 2013年6月17日。兵庫県のJR神戸駅で列車がホームに進入する直前、男性がホームから転落。運転士が非常ブレーキをかけるが間に合わず、男性の転落場所を通り過ぎて列車は停止。

 しかし幸いにも転落した男性は、線路と車両の隙間に入り込み軽傷で済んでいた。このように、列車にひかれそうになったものの線路へ寝そべって助かったという事例はしばしば発生している。レールと列車との高さは路線により使用する規格が異なるため一概には言えないが、約210mmの隙間が線路と車両との間に生まれることになる。

 だからと言って誰でもそんなことができる訳がない。例え無事だと計算上できても、死の恐怖に打ち勝つことは容易ではない。

 それにもかかわらず、少年は刃の下をくぐった。

 触れれば肉を斬り裂き、大量の出血をもたらす凶器に対し、退くどころか、自ら歩み出て斬られに入ったのだ。

 死を招くにも関わらず。

 男は、少年の刀が動き始めたのを見た。

 形としての技は一連の動きである以上、男は勢いを得た刀は止めることはできない。竹刀や木刀と違って加速を得た真剣は、自身が振り続けようと力を込めた位置まではしる。

 男は刀を右一文字に振り終える。

 少年の刀が迫っていた。

 男は後方に脱兎のごとく跳んで、それを躱す。

 少年の刃が振り抜かれた。


 ――躱した


 男は、そう思った。

 少年の刀には血は付着していなかった。

 男は二尺(約60.6cm)の間合いを読んだ。少年が振り抜いた位置では、刃は届く筈がなかった。

 そこで男は安心感から表情が緩む。少年の刀は、その短さ故に男には届かなかったのだと。

 肺に溜まった息を吐いて、新たな空気で肺を満たす。

 不意に、男は吐き気を催した。

 突然の胸苦しさ。

 空気に毒でも混じっていたのか、胃袋が裏返り内臓が大蛇となってうねるような感覚に男は腹を抱え、見てから気が付いた。自分の右脇腹から、どす黒い物が流れていることに。

 それはまるで、醤油の詰まった樽が裂けたかのようだった。袴が激しく濡れ、生臭い鉄の臭気が辺りを汚染していく。

 血。

 どす黒く見えたのは、赤が色濃かったため。その位置には肝臓が存在していた。

 肝臓は人体最大の大きさの臓器であり、体全体の血液の10~14%もの血液が含まれている。それだけ血液に満ちている臓器で、1分間で約1000~1800mlもの血液が送り込まれ、体に送り出している。

 大量の出血の正体は、それであった。

 男は間合いを読んだ二尺(約60.6cm)の刀が躱せなかったことが信じられなくて、少年の姿を目に留めた。

 少年は刀を振り抜いていた、右腕のみで。それは片手斬りだ。

 片手斬り。

 読んで字の如く、片手による操刀法。

 剣術には《片手打ちに五寸の得あり》という言葉があるように、片手で扱う刀法には、首の付け根から腕の付け根の間にある肩の長さを加えることができるために、こう言われる。

 力強さで言えば、諸手で斬る方に威力があるのは間違いないが、片手で斬る方は、長さという優位な点がある。

 だが、腕力に自信の有る者であっても、刀を片手で操るとなれば、相当の経験がなくてはできない。刀を振った際に生じる遠心力を片手で制御するには不可能に近いとされ、腕力の弱い者ならば、刀が手から飛んで行き、足腰がグラつく。

 数々の死闘を繰り広げた剣豪・宮本武蔵は、無敗の伝説を残した。

 その武蔵が創設したのが二刀を使う独特の流派、二天一流。

 無敗の男が生み出した言わば最強の流派が、二天一流であるが、不思議なことに後世において隆盛を極めるものにならなかった。

 強さを求めるならば、少年漫画の主人公を扱う最強の流派を求めるように、人々は二天一流を学び無敗の名を欲しいままにしたいと思うのが、理に適った考えだが現実は異なる。

 それは二天一流を使うには、一振の刀を片腕で操るだけの潜在的な力と技が必要だったからだ。

 流派の術技を学べば誰でも強くなれるのではなく、武蔵のように生まれ持った剣の才能に加えて恵まれた体格がなければ、二天一流を自分の術とすることはできなかった。

 つまり片手斬りは、それだけ困難であった。

 少年は体勢を崩すことなく、体軸を直立させた姿勢で静止していた。二尺(約60.6cm)の刀を片手斬りにすることで、二尺五寸(約75.8cm)に変化させ、男の肝臓を存分に斬り裂いた。

 それにも関わらず刀が血に濡れていないのは、少年の技量によるものだ。斬撃を行い刀にべっとりと血が付くのは斬り方が粗末な場合。

 達人の斬った刀に血は付着しない。

 男の手から刀が落ちる。

 目が霞んでいくのを感じた。

 目を開いているにも関わらず昏くなっていく。

 そんな中でも大切な人達の姿が見えた。

 父と母、弟の姿が見える。

 皆が笑んで、男の名を呼ぶ。

 男が目を閉じると、涙が頬を伝った。

 脳裏に妻の姿が過ぎった。

「すまない……」

 虫のような小声で男は言うと、全ての体力を使い果たしたように、その場にへたり込んで動かなくなった。

 座したまま、男は死んだ。

 少年は刀を右手に下げたまま一歩退き、残心を決める。

 【残心】

 それは、技を決めた後も心身ともに油断をしないこと。

 たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態である可能性もあり、油断した隙を突いて反撃が来ることが有り得る。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心だ。

 相手の反撃に瞬時に対応する準備と、更なる攻撃を加える準備を伴った、身構えと気構えである。

 斬り裂かれた男の肝臓からは、未だに血が川になって流れ続け大地を豊かにする肥やしとなっていた。

「勝負あり!」

 《立会人》は声高に叫んだ。

 少年は男が立ち上がることが無いのを確認すると、刀を眺めた。

 刃に白い曇りがあった。

 血は付着しなくとも、斬った刀には必ず付着するものがある。

 脂だ。

 脂の浮いたままの刀を鞘に納めれば、鞘が生臭くなるだけでなく鞘の中が汚れ錆びの原因となるため脂は取り除く必要がある。

 少年はモグラの皮を取り出すと、刀を拭う。

 磨くように擦り、脂を取り除く。

 斬った相手が一人だから、簡単に脂が拭えた。

 丁寧に取り除くには、布で荒拭いをし、次に懐紙で拭う、最後に鹿革を使えば良いが、一度で脂を拭い去るにはモグラの皮を使う。今はこれで十分であったため少年は刀を鞘に納めた。

 少年は改めて、男の亡骸を見る。

 これが真剣勝負の結果だ。

 道場ならば戦績が何勝何敗と試合を行うたびに、その数が増えていくが、真剣での一敗は死を意味する。この男は少年以上の長い人生を過ごし、鍛錬を重ねて来たのは間違いない。

 それが、死によって無に帰すと共に、人生が終わってしまった。

 たった一刀を受けたために、あっけないほどに。

 一人の人生を奪った少年だったが、その表情に悲哀は見られなかった。挑まれた勝負に少年は応じただけだ。情けをかければ自分が死すことになる。

 世には様々な仕事がある。

 政治家の仕事は、理想を嘲笑い民衆を欺(あざむ)くとする。

 警察の仕事は、法を犯した者を捕らえるとする。

 医者の仕事は、病やケガをした人を救うとする。

 ならば、剣士の仕事は人を斬るとする。

 仕事は、それを選んだ者にとって当たり前の行為であり、好む好まざるに関係なく選んだ生き方だ。

「お見事でした。この勝負は《立会人》の下、つつがなく行われ尋常な勝負であったことを認めます」

 《立会人》の一連の締めの言葉が終わると、少年は訊いた。

「なあ。こいつに家族はいるのか?」

 少年の質問の意図を《立会人》は考えた。

「居ます。妻と子、両親と弟が。ですが、貴方が家族に怨まれる言われはありません。これは、正々堂々の……」

「居ねえよ」

 少年は《立会人》の言葉を素っ気なく遮った。

「――何が、でしょうか?」

 《立会人》の問いに、少年は答える。

「両親と弟の方だ。ここに来る前に俺の前に立ち塞がった。親父と弟の方を斬った後、母親の方は自害したがな」

 《立会人》は、少年の遅刻の連絡を思い出す。果し合いを行う息子を兄を失うまいと、両親と弟は卑怯者になっても少年を先に討とうとしたのだ。

「……では、遅れた理由は」

「そういうことだ。アフターサービスはあるだろ。ふもとに、こいつの両親と弟の亡骸ある。一緒にとむらってやれ」

 《立会人》は自身が受け持った果し合いの裏で、関知しない勝負が行われていたことに《立会人》としての矜持が傷つけられていた。

 人の死を見ても動じなかった刻薄な顔をした男が、初めて感情の色を見せた瞬間であった。

 つつがなく行われたと言ってしまった。《立会人》として、恥ずべきことだった。

「……分かりました。この果し合いの前に、あなたが一勝負をされた後とは《立会人》として不徳の致すところでした。申し訳ありません。

 もし、気力と体力を消耗していないベストコンディションでしたら、もっと早い決着だったでしょう」

 頭を下げる《立会人》の予測を、少年は否定する。

「真剣勝負ってのは必ずしも実力が上の者が勝つ訳じゃない。《時》《人》《天》の運が加味された結果だ。もう一度やれば、この場に倒れているのは俺かも知れん」

 少年は左手に血が落ちているのを見た。

 打裂羽織を片肌脱ぎしノースリーブシャツだけになると、傷を確かめた。

 左肩口が裂け、岩の裂け目から滲み出る水のように血が流れていた。

 男の剣は、淀みのない太刀筋だった。

 あの時、自分の二寸(約6cm)踏み込みが甘ければ、首に刃が入っていた。

 少年は、ポケットから止血剤を取り出し、傷に貼り付けた。

 アルギン酸カルシウムを柔らかい不繊布状にした創傷被覆材だ。

 血液や体液のナトリウムイオンと接触すると素早くゲル化、創傷に対し湿潤環境を作り出す。体液の吸収時にカルシウムイオンを放出し、血液凝固因子Ⅳとして作用することで非常に高い止血効果を発揮する。

 戦国時代にあっては止血には、蒲黄ほおう(ガマ穂の花粉)、ヨモギなどを用いていた。

 蒲黄には、フラボノイドが含まれ、血管収縮作用がある。

 ヨモギにはタンニンの収斂作用によって組織や血管の収縮が行われる。

 科学的分析もできない時代に、人々は経験から薬を探し出していた。古人の経験から会得してきた知恵には驚くべきものがある。

 打裂羽織を肩かにかけると、少年は踵を返す。

 ふと、思い出したように立ち止まる。

「もう一つ訊きたい。こいつに妻子が居ると言ったが、子供は男か?」

 少年の問いに《立会人》は答える。

「はい」

 すると少年はわらってしまった。

 自分に対して。

 その子は、一日にして祖父母と叔父、父親を失った訳だ。

《立会人》のもと。正当な果し合いではあるが、だからと言って納得できるわけではない。

 途切れること無い怨みの連鎖。

 斬る行為は断ち切り、途切れさせる行為だ。

 それにも関わらず怨みという感情を斬れなかった。

 斬るという行為が、一方で怨みを繋いでいく。

 ――強く

 ―――――濃く

 ――――――――深く

 滑稽であった。

 覚悟を決めたように、少年は納得し呟く。

「人を殺せば七代恨まれる」

 少年は城跡を後にしながら未来に思いをせる。その時、ここから見えるの風景は、どのように変わっているのだろうかと。

「……これで、また七代続くな」

 夕暮れ時は短い。

 気が付けば東の空から、宵闇が音もなく迫っている。

 少年は、来た道を戻る。

 やがて闇が少年の背に追い付き、その姿を飲み込むと少年は闇に還るように何処へともなく消えていた……。

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