夏の幽霊

M.S.

夏の幽霊

 人生というのは良い事と悪い事が半々で起こり、何処どこかで帳尻ちょうじりが合うように出来ているのだと小さい頃は信じていたものだ。

 けれど風観かざみは高校に入学して早々に、そんな律儀な天秤みたいに世の中が回っているのではないと思い知らされる事になった。

 何かの間違いで県内トップレベルの有名私立高校に合格してしまったのが良くなかったのかもしれない。

 授業レベルの高さに茫然とし、授業中に肘を突くようになったのは入学してからたった一ヶ月の事だった。

 一年はそれでもなんとか齧り付き、二年生への進級はお情けで単位認定してもらう事が出来た。

 そして現在──二年生の夏休み、風観かざみは通学路として使っている大きな神社の参道を、だる夏の熱気にさらされながら重たい足を運んでいた。


 昔は転んで膝を擦りむけば父が絆創膏をくれ、母が慰めに自分の好物を料理してくれたものだが、学力が足りないからと言って両親が代わりに勉学に励むという筋は無い。

 そのようにして年齢が重なるごとにどうしようも無い事が増え、この頃自分の両腕に抱えきれなくなるものが多くなった。腕からこぼれたそれは土に還ってくれる訳も無くて、自分の足下を悪くする泥濘ぬかるみに変わっていった。下を向くともう自分の足場はほとんど腐っているようだった。

 だから──上を向く事も増えた。

 何もそれは前向きな意味合いでは無く、逃避としての行動だった。

 周りに奇麗なものも、美しいものも、優しいものも見出せない所為せいで、人の思惑が介する事の無い空は余計、そう言う〝良いもの〟としての対比が強く風観の目には映った。

 そして現実と覚束無おぼつかない足元から目を逸らすように、その日も風観は神社の参道から空を見上げた。

 だから──笠木かさぎと目が合う事は自然つ必然だった。

 所在無く脚をぶらつかせている少女と視線が重なると、その少女は欠伸あくびを一つし気怠そうにまばたきをして──

「おはようございます」

 無礼にも鳥居に腰掛けた少女は、あやしい笑みと共にそう言った。

 麦わら帽子と袖無しの白いワンピースがあまり似合わない、そんな笑みと声音だった。


 風観には逃避癖があって、空を見上げれば雲を羨ましがり、川を見つめればその瀲灔れんえんに胸を打つ脆弱さを持つ程ではあるのだが、降って湧いた天の使いのような少女を素直に認められない程度には捻くれ者だった。 

 ──遂に、現実逃避も行く所まで行ってしまったか。

 精神的疲弊が重なった時に見るものが少女霊の幻影だと言う所に、風観は失望した。

 きっとこの幻覚も夢みたいなもので、深層意識下で自分が欲しているものを反映している可能性があるとするなら、厭世家えんせいかを気取った自分も結局繁殖したいだけのつまらない一介の男子なのではないか、という考えが浮かぶ。

 もし実在の、鳥居に登るのが趣味の変人なら触れない方が良いだろうし、怪異のたぐいなら尚更だろう。

 して、風観はその少女の姿見をかたどった何かしらを無視し、鳥居を潜る事にした。

 すると鳥居の下──詰まり少女の真下に来た辺りで風観は、幻聴にしては清明な少女の声を聴く。

「......やっぱり聞こえないか。これで九百九十九人目。まぁ、だからって付喪九十九神に来てもらっても困るしね。次の千人目に期待するとしようかな」

 どうやらその少女は風観の頭上で、何か値踏みをするような事を言った。

 風観も、教室で爪弾つまはじきにされる事はあっても高みから勝手に付喪神扱いされる経験はなかったため、これには少し業腹ごうはらになる──なので、風観は幻影少女に言い返してみる事にした。

 もし彼女が他人にはえない幻影ならば、独りで鳥居に向かって癇癪を起こしている精神異常の不審者と言う事になるが、周りの目を気に出来ない程には、風観はこの頃ばちになっていた。

「おい、付喪神とは御挨拶だな。そう言う君はなんだよ? そんな所にまで態々わざわざ登って神様気取りか。土地神でも地縛霊でも何でも良いが、他所よそでやってくれ」

 鳥居を過ぎた辺りで風観が揶揄やゆすると、背を向ける形となっていた少女は肩越しに顔を此方こちらに向けて目を丸くし、しきりにまたたかせた。

 その表情を見て風観は一矢報いた気分になるも、すぐに自分は幻影に何をむきになっているのだろうと自分自身が哀れになった。

 少女は笠木の上で臀部でんぶを軸に座ったまま危なっかしく両脚を振って、勢いで身体全体を此方に向けると先程の表情のまま──

「......貴方あなた──私がえてるの?」

 そう、言った。

 やっぱり──物怪もののけの類だったか。

 そう思わずにはいられず、言い返した事を後悔した。

 風観がこの場をどう流そうか思案している間に少女は腰掛けていた大鳥居──六メートル程の高さから風観と同じ地面に。ふわりと身を宙にゆだねると、そのままくすのきが落葉するのと同じ早さで、地面に音も無く降り立った。

 その一連の超自然的な動作に、風観は目をみはる他も無かった。

 少女は膝丈のワンピースの前を押さえ、はためいた裾が落ち着くのを待って風観の方に足を運ぶ。

「見えた?」

「......ああ、霊だか妖怪だかが目の前に、今も見えてるよ」

「そうじゃなくて、もっと良い物」

「堪能したよ」

「ふーん? 中にはペチコートを着てるんだけどな。......やっぱり貴方には、視えないものが視えてるみたいだね」

 意趣返しでしたり顔をする少女に、風観は舌打ちを重ねた。

 

 拝殿の正面を左に折れ、神社の敷地を出て学校へ向かう。風観の足取りは初めより更に重くなる。体調不良を理由に引き返そうかと思ったが、不調の理由を電話で上手く伝えられる自信もなかったため、仕方無く学校を目指す。

「ねぇ。今って夏休みなんじゃないの? 何で学校行く訳? 部活?」

五月蝿うるさいな。補習だよ、補習。僕は頭が悪いから」

「おっと、それは失礼」

「君だって、霊なら霊らしく親戚の仏壇でも回ってきなよ。もうお盆も近い」

 風観がそう言うと、少女は初めてしおらしい顔をした。

 だからと言って今更可哀想がるような真似も場都合ばつごうが悪い。呵責を払うように何か追い打ちをしてやろうかと風観が適度な台詞を探していると──

「その親戚を探しているの」

 少女が言うと一陣の風がごぅとうなり、楠の葉が舞い上がって少女の身体をさらった──かのように見えたが、その実際は少女が行った物理法則を無視しての蜻蛉返とんぼがえりで、地に背を向ける形でふわりと宙返りをすると、風観の背後にすっと着地した。

 そして風観の耳元で、言う。

「私の家族を、一緒に探してくれないかな」

 その言葉と動きに風観は、この少女は浮遊霊でありながら、背後霊でもあるのかなとしょうもない考えをもたげた。

 

 反射的に突っぱねようとした風観だったが、少し思案する。

 このまま補習尽くしで時間を消費するよりは、この一夏の怪奇現象に付き合うというのも悪くないのではないだろうか。

 こんな怪異に遭遇する時点で自分の頭は相当にガタが来ている。もうきっと無理に勉学に励む段階では、無いのだろう。

 確か、日本史で自分の街の風土についてのレポートを書く夏休みの課題があったと、風観は思い出した。

 ──そのレポートにこの少女の事を書いて頭の可笑おかしい振りでもして、退学しよう。

 そう、考えた。

「成る程、この世にまだ未練がある系統の浮遊霊って訳か」

「自分をそんなありふれた事に分類されるのって何か良い気分がしないけど、そういう事になるのかな」

「そう、か。分かった、分かった」

「ん......?」

 浮遊霊少女は妖しく目を弧にして首を軽くかしぐ。まるで勝利を確信するみたいな表情だったから、風観は癇に障ったが──

「僕の貴重な夏休みを、正体不明、荒唐無稽な曖昧茫洋の幽霊につかってやるって言ったんだ」

 すると少女は大袈裟おおげさに両手を挙げて見せ、快哉かいさいの声を出した。その手が麦わら帽子のつばに当たってひるがえり、少女の真ん中分けのワンレングスが露わになる。

「良かった! 誰にも見つけられずに、このままさらに何年も過ごすのかと思っていたよ」

「どうせ断ったら、僕の家系を末代まで呪うつもりなんだろう?」

「そんな霊験れいげんあらかたな能力なんか、持ってませんよ」

「どうせ呪うなら、僕で末代だと思うから、他所よその家の方が呪い甲斐があると思うよ」

「......やっぱり君、性格的には付喪神みたいだね」


 学校までの道程の間に風観は少女霊から幾らかの情報を訊き出す事にした。

 そしてこの少女、本当に風観以外には認識されていないらしく、彼女が一軒家の塀を平均台に見立てて遊ぼうが、通りの真ん中で遊魚のように宙を舞おうが、誰も彼女に視線をる人はいなかった。

 なので風観は極力人通りの無いタイミングで、少女に色々問う事にした。人目につく所で彼女に声を掛ければ、虚空こくうと会話する受験ノイローゼの哀れな男子という図が出来上がる為だ。

 彼女の名前は衣傘いがさかざりと言うらしい。

 過去に風観の通う高校に在籍していて──そして在籍中に病死したと言う。

 その後、残された家族は過ごした家を引き払い、何処かへ引っ越したようで足取りが分からないと言う。

「ふーん、大して懐かしくも無いや」

 校舎の昇降口に着くと衣傘はそんな風にこぼして、そのまま履いていた真っ白なミュールを脱ぎもせずに廊下に昇った。

「脱げよ」

 風観はそうとがめると、衣傘は悪びれもせずにおどけた高慢な動作でミュールの爪先を使い廊下の地面を叩いて見せたが──何の音もしない。

「私が歩いたって音も出ないし、汚れもしないよ」

「じゃあ後は口を閉じれば、立派な幽霊だ」

「幽霊を立派にしたって、しょうがないよ」

 御尤ごもっともな事を言った後に、衣傘は廊下を見回す。

「で、何の補習?」

「数学」

「行こうか」

「君も来るのか?」

「他にやる事、無いもん」

 風観は本日何回目の溜息を吐いたか、数えるのを止めた。


 補習に割り当てられた教室に入ると、数学教師は露骨に怠そうな表情を風観に向けた。定刻になっても風観の他に、教室に入ってくる生徒はいなかった。

 要は風観一人の不振によって仕事が増えた事に嫌気が差しているのだろう。

「うわ。私、やっぱり外で待ってようかな」

 不穏当な雰囲気を感じ取り衣傘はそう茶化すと、風観は舌打ちした。

 するとその舌打ちを勘違いした数学教師に嫌なら帰って良いぞ、と言われてしまい、それを見て衣傘はけらけらと笑った。

 補習が始まってから衣傘は教室を浮かび回ったり、強面こわもての数学教師の頬をつついて遊んでいたが、次第に飽きたのか、風観が着席している隣の机、その机上に腰を下ろした。

 そしてそこから風観が取り組んでいる課題のプリントを覗き込む。

「あ、そこ、間違ってるよ」

 まるで、授業参観で母親に間違いを指摘されたような居心地の悪さを覚える風観だったが、教師が居る目の前で衣傘に反駁はんばくする気も術も無いので、口に出されるままに鉛筆を動かした。

「数学の素養、全く無いんだね」

 衣傘が勝ち誇ったように笑う。

「僕がピタゴラスか、それともオイラーだったならな」

 風観はむきになり、独り言の体で言い返す。

「数学者の名前をってたって、意味無いよ。数学者のわだちを識らなきゃ」

「でも、アルキメデスみたいな死に方は御免だな」

「数学者らしくて私は好きだよ」

「死ぬのなら、ニコラ・テスラのように、独りで静かに死にたいな」

 そこで教卓から口ではなく手を動かせと、風観は注意された。

 衣傘は手の甲で口元を押さえ、くすくす笑った。


 衣傘の口出し──もとい助言のお陰で指定された枚数のプリントをさばき、風観は予定より早く補習から解放された。

「何か言う事はある?」

「人が机に向かってる時にちょっかい掛けないで欲しいな」

「おや? そんな事言って良いのかな。補習は明日もあるんでしょ?」

「......別に、良いよ。単位不認定で留年しようが、退学になろうが」

「折角この高校、入れたのに?」

 こんな高校、入るんじゃなかった──

 風観はその言葉を飲み込んだ。

 衣傘は二年次に死んだらしい。だから当時の彼女と今の自分との、社会的な立場は等しい。

 目の前に選択肢があって、安易に留年を取ろうとする自分は衣傘の目にどう映るだろうか? そんな事を、少し思う。

 十六、十七の齢で時が止まり、学校を卒業しないままこの世を卒業してしまった衣傘に、風観の愚痴は当て擦りかそれとも──稚児の駄々の様に見えているだろうか。

 補習の時の衣傘の助言は的確且つ流麗で、鉛筆を持つ手はまるで何かの魔法に掛けられたか錯覚する程だった。

 その教え方の言葉選びからも、きっと数学のみならず他の教科でも恐らく容易にこなすだろうという事がうかがえた──だから。

 だから──風観の胸は、張り裂けそうになる。

「......皮肉だな」

「え?」

 風観の、ただでさえ抑揚の無い声調が落ちた事を受けて衣傘は立ち止まる。

「いつだって、死んだ方が良い奴に限って、無様に生き永らえてる」

 後ろになった衣傘に振り返り、風観は向き合った。

「僕が──憎いか? 五体満足で生きてる癖に前を向いて生きていない僕が、憎いか?」

「......ごめん、そんなつもりで言った訳じゃ、ないよ」

「......憎いかって訊いてるんだ」

 問われた衣傘は口籠くちごもり、視線を外して廊下に目を落とす。

「そんな事、......無いよ」

「君がそうだとしても......僕は僕が憎いよ。校舎、見てみろよ。補習で来てるのなんて僕くらいのもんだ。他の奴らは普通に熟してる事、出来てないんだ。......僕だけだ」

 ──生きている価値が無いのは。

 そこまで言ってしまうと口だけの自殺願望のようにくどい気がして、風観はその言葉を胸の辺りで押し殺した。

「──貴方の学年で、白血病で死んだ人、何人居る?」

「......」

 突然文脈を無視したような事を、衣傘は言った。

 だが、その言外の事を察せない程に、風観も現代文に不得手と言う訳でも無い。

 白血病──血液のがんとも言われるその病気が、どうやら衣傘の死因らしかった。

「私も──私だけなの。......こうは考えられないかな? 私が白血病になる代わりに、何処どこか遠い場所の人が死なずに済んで、君が頭を抱える代わりに、学校の誰かが賢く産まれる事が出来たんだよ」

 それを聞いてやはり、風観の心は潰れそうになる。でも、そこから滲む汁は誰かの為に流す涙と近い種類のような気がして、風観は自分を恥じた。

「......そうだと、良いけどな」

「うん、うん。きっとそうだよ」

 風観が羞恥で伏せた顔を起こすと、そこには泥塗どろまみれの孤児みなしごを、手が汚れる事もいとわずに抱きしめるような、そんな母性さえ感じさせる微笑みがあった。

 それは初めの印象とは違って、まさしく面妖にも魔性にも、風観には感じた。

「じゃあ、生きる価値があったはずの君に、生きる価値が無い奴なりの、罪滅ぼしをしてやるよ──君の帰る場所を、探してみる」

「......嬉しいな。じゃあ手際を見せてもらいましょうか」

 では、良きに計らえ──

 そうはにかんで笑い、衣傘は軽く跳躍したかと思うとそのまま浮遊して黄昏たそがれの何処かへ消えて行った。

 最後に残した定例句は、神でも──ましてや幽霊でも無く武士由来のものだと彼女は分かって言っているのだろうか?

 風観はそんな事を思いながら、空のとばりの継ぎ目をぼんやり、しばらく眺めていた。


†††


 次の日、風観は補習の時間になり家を出てあの参道を通ると、同じようように衣傘は大鳥居の笠木に腰掛けていた。

「おはよう」

 風観の姿を認めた衣傘は、手を振った。

「......おはよう」

 手を振り返そうか風観は逡巡しゅんじゅんしたが、軽く手を挙げるに留めた。

 衣傘の力を借りて昨日より三十分程早く補習の課題を片付け、足早に帰路に就く。

「おやおや? 本式に、私の家族を探してくれるのかな」

「ああ......、思い付いた事を順番に片付ける」

 ず、風観は大型書店におもむく事にした。

 目的の物は地図コーナーにあった。立て掛けられた本の内の一つ──住宅地図を手に取る。

 衣傘から訊いた住所を元に、該当の場所を探す。衣傘家があったらしい場所には何も記されておらず、空き地である事とこの地図が正しく更新されている事を示していた。

 現地が更地となっている事は衣傘から確認済みだ。

 念の為、隣の街にわたって〝衣傘〟と記された土地が無いか探したが、珍しい苗字みょうじと言う事もあるのだろう、一軒も無い。

「まだ家族が近くに住んでいると言う線は消えたな」

 確かに、大事なものを失った街に居続けられないという心理もあるのだろうと、風観は遺族の気持ちを推し量る。

「となると──両親の実家は?」

「父が此処ここ──京都だけど、家はもう断絶しちゃってるんだ。母は、青森」

「じゃあ父方はもう無いとして......、青森は遠いな」

「だね......」

「古典的だが、隣家に聞き込みに行こう」

 書店を出て、衣傘家の跡地に向かう。その空き地は角地で西と南が道に面しており、北と東に向かって三軒目まで聞き込みをしたが、有益な情報は得られなかった。

 次の日からも、学校に過去在籍していた生徒の名簿や、衣傘が入院していた病院を訪れてカルテの閲覧を求めたが、個人情報保護を理由に突っぱねられ、叶う事は無かった。

 夏休みも最終日に迫り、遂に役所に戸籍謄本を取り寄せられるか押し掛けようと無謀な考えを始めた頃──

「......やっぱり、無理かな」

 茜色の背景の中、例によって鳥居を椅子に、さして落胆した風でも無いが諦観するような事を衣傘は言った。

「別に、夏休みが終わろうが時間はある。業後、大層な用事がある訳じゃ無い」

「ううん、そうじゃ無くて」

 ──夏が終わるとね、私も終わるの。

 そう続け、力無く顔を振った衣傘はこうべを垂れた風鈴のようで、それ以上穿鑿せんさくするとぱりん、と弾けるような気がして、風観は言葉の続きを待つ。

「毎年夏が終わると、私も消えちゃうんだ。でも、ちゃんと次の夏が来たら出て来れるんだよ? どう言う理屈かはわからないけどね」

「......消えてる間は何処どこに居るんだよ」

「さぁ......解らない。でも、毎年気付いたら此処ここに座ってるんだ。夜まで付き合ってよ──私、今年は今日が最後みたいだから」


 とばりが張り変わる逢魔おうまとき、衣傘は拝殿の右手から階段を昇る高台に風観を先導した。

 何故なぜか衣傘は、この時ばかりは浮遊せずに段を踏み締めて昇るものだから、風観にはまるでそれが処刑台に上がる罪人に見えてならなかった。

 昇り切ると、二人が生きている──しくは生きていた街が一望出来、人の営みを誇示する明かりが丁度良い塩梅あんばい螺鈿らでんのように散らばっていた。

 命を終わらす場所として最適かどうかは解らないが、悪くは無い、そんな場所で──

「私が何で、こんな蜃気楼しんきろうみたいな幽霊になっちゃったか、来年までに調べて欲しいな。それがわかったら──もっと君と居られるかも」

「......成仏したいんじゃなかったのか?」

「やっぱり、解らない。死んでるんだけれど、やっぱりこうやってお話ししてると〝本当は生きてるんじゃないか〟って思えるもん。だからさ──お願い、訊いてくれる?」

「約束したから、やってやるさ。来年まで雲の上だろうが土の下だろうが、ゆっくり寝てると良い」

 それを聞いた衣傘は頬を夕暮れと同じにして、満足気に笑った。

「うん──ありがとう。じゃあ、そろそろ行くね。留年しちゃ、駄目だよ。退学しないでね。来年になったら、また鳥居に来て。待ってるから──」

 それだけ言って、衣傘は両腕を十字架のように広げ、高台の端から向こうに身体を傾けて、飛び降りた。急いで下を覗き込むと、もう何処にも彼女の残滓ざんしは見当たらなかった。ひるがえった麦わら帽子は風観の眼前にふらふら落ち、それを受けようとした風観の手を透過して、光の粒になって夏風に乗った。


†††


 それから風観は衣傘家そのものを追うので無く、〝何故彼女は霊となったのか〟という視点で別方向からアプローチする事にした。その途中で彼は、救いの無い──しかし一番蓋然がいぜん性の高い仮説を導き出す──


†††


 約一年後──詰まりあれから次の夏、風観は三年生となってその神社の参道を歩き──鳥居を見上げる。

「おはよう」

 白い夏の幽霊は白樺しらかばの枝の様な手をひらり、振った。

「......おはよう」

 二人は起き掛けの子供の様に、静かに挨拶をし──

「色々、調べたよ」

態々わざわざ死人のために、ありがとね。嬉しいな」

「君の──君自身の事を、調べた。君を知る事で、君がと思ったんだ。僕なりに考えた結論で、これが一番確実だと思う──僕の話を、聞いてくれるか?」

「勿論。一年越しのお話、楽しみだな。終夜よもすがら、話そうよ。時間は沢山あるからね──」


 僕は〝何で君が霊となって現世を彷徨さまよってるんだろう〟って思ったんだ。別に、霊なんて何処にでも居る訳で、死んだ人数分魂があるとするなら、今生きてる地球上の生き物より圧倒的に死者の数の方が多い。その上で、何で君だけそんな風に神社の鳥居に座ってるのか不思議でしょうがなかった。

 材料を集めると、それが少しずつ解ってくるが──結論から言わせてもらう。

 ──君という存在は遙昔ようせきと、僕は思う。


 白い幽霊は、静かにんでいる。


 順に説明する。

 この地で実際にあったこんな逸話がある。

 かつてこの地で死んだ人間は、風葬されてたらしい。その遺骸を覆い包む白い布が、絹や──衣笠いがさだったとか。

 そう。君が名乗った〝衣傘〟という苗字はこの辺りがルーツだろう。

 何故なぜその昔、この地でそんな葬送が流行ったかと言うと、当時の貴族が〝真夏に雪が見たい〟とのたまったそうだ。

 そこで、遺骸に白い布を被せて山に並べたのがその風葬の濫觴らんしょうみたいだ。時の貴族は白い布を被った山を見て悦に浸ってたみたいだが、庶民からは〝人の道を外れている〟と反感を買ったらしい。それからその悪習は徐々に廃れたらしいが、一部ではひそやかに続けられていた。

 それを衆目の裏で貴族から請け負い、生業なりわいにしていたのが、苗字を変えて和傘職人に扮した〝衣傘〟と言う一族。職業から取った苗字だとも言い張れるが──この風葬を取り扱う家の苗字で〝衣傘〟と言う苗字程おあつらえ向きなものも無いだろう。〝衣〟の次に〝傘〟という字で二重に人を覆っているし、〝傘〟という字自体がその風葬の象形文字だとも言える。

 挙句の果てには君の下の名前──〝飾〟、これは不味い。いや、君の両親の名付けを否定したい訳じゃない。ただ、今回これが非常に悪い方向に働いている。死の山を衣笠で〝飾る〟事を肯定してしまっている。


 白紗の幽霊は、凄惨せいさんな程の幽寂ゆうじゃくを顔に張り付けている。


 そして。

 君が夏にしか現れない理由は、もっその風葬の概念の意志にるもので──

 君がこの神社に縛られるのは、その風葬を奨励した貴族が、神としてこの神社に今もまつられているからだよ──


 如何いかに彼女という存在が、不運に不運を重ねた天文学的確率の上で成り立つ存在なのかを言い聞かせ、すると彼女はなが緘黙かんもくし、静寂がかしがせ、鎮魂歌の様なひぐらしが響く。

「そっ─────────────か」

 衣傘──歴史の裏で、秘密裏に風葬を扱っていた一族、その末裔の少女は永い静寂をゆくりなくほどくように、声を漏らす。それが苦悩のあえぎか強がりかは、俯いた衣傘からは窺えない。

「まぁ、きっと私がこうやって存在している事には、後ろ暗い何かがあるんだと、思ってたよ」

「......君が今の立場から解放される策は、二つある。一つは君が名を変えて、君自身の定義を揺るがす事だ。適当な名を名乗ると抜け殻のような低格の霊となって、意志すら持たずにこの世で永遠を彷徨さまよう羽目になるかもしれない。だから信仰を集めてこの神社の神に匹敵する格式を持たねばならない──言い換えるなら、此処ここに祀られている神より偉くなるって事だ。これは何十年、下手したら何百年と時間が掛かるから、おすすめはしない」

「......もう一つの方法は?」

「──風葬を、成し遂げる事だ」

「そんな事、出来る訳が無いよ......」

「いや、二つ目の方が至って簡単だ。死にたがりを探し出して協力してもらえば良い


 ──そいつは丁度、目の前に居る」


 はっ、と衣傘は顔を上げた。硝子玉のような目を見開き──瞳はすっかり揺れていた。


「僕が君の風葬で、吹き曝しになって死んでやるって言ってるんだ」


 風観がそう言うと、衣傘はまるで今まで自制し秘めていたとでも言うような量、大粒の涙を溢れさせた。鳥居の上から落とす涙は、風観の前辺りの石畳に──地面の下へ透過していった。

 霊が産生するものなら涙であってもこの世界とは交錯しないようで、その事が風観の胸に、もらい泣きしたくなる程の憐憫をもたらした──


†††


 二〇××年、七月某日、京都府内のある神社の高台で男子高校生の遺体が発見される。仰向けの遺体の顔は打ち覆いよろしく麦わら帽子で覆われていた。

 遺体のかたわらには『日本史 レポート』と題された紙束があり、彼が亡くなる一年前の夏と直前の夏に分けて、彼が体験したと言う理解し難い記述と、通っている高校を退学するという旨の内容が記されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏の幽霊 M.S. @MS018492

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ