旦那も家族も捨てることにしました

硝子町玻璃(火野村志紀)

第1話

「君の髪は、とても綺麗だね。月の光を閉じ込めたようで、いつまでもこうして触れていたくなる」


 婚約者は、いつだってライラに甘い言葉を与えてくれる。

 ソルベリア公爵子息トーマス。

 ライラとは対照的に、陽光を彷彿とさせる金色の髪。雲一つない青空のようなスカイブルーの瞳。

 爽やかな顔立ちで、異性からの人気を集めていた。


 初めて会ったのは、今から五年前。

 ライラ、トーマスともに十三歳だった。

 親同士が決めた婚約だったが、ライラはそれで納得していた。

 貴族の結婚なんて、そんなものだと知っていたから。


『君がライラかぁ……君の家は、侯爵家なんだよね? なのに地方に追いやられてるなんて、大変だね』


 トーマスはライラを値踏みするような目でじろじろと見た後、小さく溜め息をついた。

 息子の言葉に、ソルベリア公爵夫妻が焦りの表情を浮かべる。


「お前は何て失礼なことを言うのだ」

「そうよ。今すぐに謝りなさい」

「だって子爵や男爵ならともかく、侯爵家だよ? 国王も酷いことをするよね」


 両手の平を見せて、トーマスは首を横に振った。自分は正しいことを言っていると、信じて疑っていなかった。

 公爵夫妻が顔を強張らせながら、レオーヌ侯爵を見る。

 初対面なのに、この口の利き方。この場で、婚約解消を言い渡されてもおかしくなかった。


「はっはっは。トーマスご子息の仰る通りでございます。街から遠く離れていて、何かと不便ですよ」


 だが、侯爵は寛容だった。にこやかにトーマスの調子に合わせる。

 父の様子を見て、ライラも緩やかに微笑む。


「ええ。私たちのことを気にかけてくださって、ありがとうございます」

「いいんだよ。君は、僕のお嫁さんになる人なんだからさ」


 トーマスは腕を組みながら、誇らしげに言う。

 自分の両親が侯爵父子に頭を下げたことなど、気づきもせずに。



 よくも悪くも素直な人。

 それがライラの、トーマスに対する第一印象だった。

 好きか嫌いか聞かれたら、前者だ。

 本心を語らず、上辺だけの言葉ばかりが飛び交う社交界。

 そんななかで、彼の裏表のない言動に不思議と惹かれた。


 けれど、あのような性格の人だ。将来、大きな過ちを犯す時が来るかもしれない。

 その時は、自分が彼を助ければいい。



 この国の婚姻開始年齢は、女性は十七歳で、男性は十八歳。

 だからトーマスがその年齢を迎えるまで、待ち続けた。

 出会って数年。ライラはトーマスを愛していたし、トーマスも同じ気持ちでいてくれた。


 輝かしい二人の未来に暗い影が差し込み始めたのは、ソルベリア公爵家に悲劇が訪れた時だった。

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