第78話 運命のうねり
あの日、フェルディナンが母子といる姿を目撃してからというもの、ローズはどう話を切り出そうかずっと考えていた。
「想い人の捜索、何か進展はありましたか――」
「先日、庶民街の果物屋さんでフェルディナン様を見かけたんですけど――」
何でもないふうを装って聞こうと思うのに、いざ本人を前にすると言葉が胸につまって出てこない。深く傷ついたり、動揺したりした時ほど、その話題を持ち出すのには勇気がいる。相手の反応を見て、また傷ついてしまうのが怖いから。
(事実を確認するのは、彼が顔を曇らせても平気な自分でいられるくらい傷口が塞がってからにしたい……)
その日のフェルディナンは、乾杯に高級なシャンパンを開け、食事に合う上等なワインを頼んだ。いつになく饒舌で、色々な冗談を言ってはローズを笑わせてくれた。
既視感のあるこの違和感に、敏いローズは気づいてしまった。彼が以前、秋休みにローズを独り置いて出かけてしまった後の、埋め合わせの食事会のときと同じだということに。
――何か隠し事をしている。あるいは、罪悪感を持っている。
何が彼をそうさせるのだろう。もしかして、あの母子と関係するのだろうか。
「フェルディナン様。秋休みって、どちらに行かれていたんですか?」
「ん?」
「聞いてなかったから。気になって」
「あぁ。ボカチカロという町だ。南の、港町の」
(やっぱり、秋休みはあの母子を探しに行ってたんだ)
フェルディナンが頼んでくれたお酒をほとんど口にできないままデザートを食べ終わった頃、おもむろに姿勢を正したフェルディナンが、緊張した面持ちでローズへ美しい指輪を差し出した。
ローズは、フェルディナンからプロポーズを受けた。
彼の瞳が、どこか苦しそうに揺れるのを見て、ローズはこの求婚が彼の本意ではないのだということを瞬時に悟ってしまった。
自分の預かり知らぬところで、何か重大な事が起きている。公爵家をもってしても、抗えない何かが。
考えられるのは、ナヴァル王国の王室だ。エドワード殿下の立太子が近いことは耳にしている。8年前の事件の真相を知り、正室を迎えた後、贖罪に私を側室として娶るとでも言い出したのだろうか。外国への輿入れを断固拒否したい父がフェルディナン様に圧力をかけたというのが、いま考えられる中で一番しっくりくる筋書だ。
強引な父のことだ。王室は処女性に拘ると聞くから、相手が動きだす前に名実ともに私をフェルディナン様の妻にさせようと画策しているのかもしれない。
けれど……あの朧月夜の日、プロポーズの予約をしてくれた彼の照れた顔を想い出す。あれは、嘘じゃなかったと思う。あの時、『時機が来たら、きちんと求婚するから』と言ってくれた。それが若干早まっただけなのだとしたら……
だったらどうして――彼はこんなにも、苦しそうに瞳を揺らすのだろう。
一つ思い当たるとしたら、それは、彼が長年の想い人だった彼女と最近になって再会し、思いがけず2人の間に子供ができていたということだ。私と母子との間で、心が揺れ動いているのかもしれない。
8年もの間、ずっと一人の女性を想い続けていたのだ。わずか8か月前に知り合った自分が割り込むには……ともに過ごした時間が短すぎる。そのうえ、子まで出来ていたのならば、尚更だ。
理性では、ちゃんと事実を確認すべきだと分かっている。でもまだ、涙を見せずにそれを問う自信がない。心が整わない。もう少し、時間がほしい。
「ありがとうございます。……返事は、少し待って頂いても良いですか? 光栄ですが、気持ちの整理が追い付かなくて」
「あぁ、もちろんだ」
この指輪に輝く宝石は、夫となる男性に選ばれた女性が、世代を超えて大切に受け継いできたもの。愛され、妻にと乞われた女性の人生の軌跡ともいえる。
この求婚は、彼の本意ではない。そんなプロポーズを受け入れるべきではない。この指輪を受け取る資格は、少なくとも今の私にはない。
そんなふうに思いながら差し出された指輪を眺めていたら、ポタリと泪が落ちた。
(なんだろう。こんなプロポーズ、ちっとも嬉しくないや)
「この指輪は、大切なものでしょうから、一度お戻ししておきますね」
「……分かった」
帰り道の馬車の中、ローズは自分の身の振り方を考えていた。いつもは対面に座るフェルディナンが、その日はなぜかローズの隣に腰を下ろした。何とはなしに彼の手に触れると、指を絡めて恋人つなぎをされた。
予想どおり彼の手は指先まで冷たくて、彼の周りで何かが起きていることが確信に変わった。
それから数日はじっくり時間をかけて自分と向き合って、彼にきちんと事実を確認したいと思っていた。
けれど、翌日帰宅したローズに、ティボーが神妙な面持ちで直ぐにフェルディナンの両親が住む本邸へ顔を出すよう告げた。
ノックをして応接室へ入ると、そこには公爵とヴィクトワール夫人、フェルディナン、そしてアーサーがいた。みなの硬い表情を見て、懸念が現実のものとなったことを知る。
重たい沈黙を破ったのは、公爵だった。
「ローズへ、ナヴァル王国のエドワード殿下から内密に会いたいと申し出があった」
「え……?」
「エドワード殿下とは、ローズが幼い頃、面識があったそうだね。最近になって、8年前の事件の真相とローズのことを知ったそうだ」
「……」
「殿下からの申し出を受けるかどうかは、ローズとフェルディナンの判断に任せようと思う。ローズのご両親も同じ意見だ。2人で話し合って決めるといい」
その後、応接室にはローズとフェルディナンだけが残された。退室するとき、アーサーは2人に向かって深く頭を下げた。
「……ローズは、どうしたい?」
「私は……」
「ん」
「フェルディナン様は、私が殿下と再会することについて、どう思われますか?」
「俺は、ローズの意思を尊重する。殿下に会いたいのなら、俺にそれを止める権利はない」
一切迷いのないフェルディナンの返事に、先日の求婚が彼の本意ではないのだということを改めて思い知らされ、ローズの胸は酷く痛んだ。彼に、私が殿下と会うことに反対する意思がないことは明らかだった。
それに――私は、エドワード殿下の人となりを知らない。殿下からの申し出を断った場合、公爵家に良からぬ影響が出ないとは言い切れない。
本音を言うと、内密に殿下に会うなど許さないと言ってほしかった。貴女は私の妻になるのだから、今さら会う必要などないだろうと、止めてほしかった。殿下から圧力をかけられたくらいで廃るような公爵家ではないと、安心させてほしかった。
だから私は、本心とは真逆なことを言った。
愛する人から傷つけられる前に、自分で自分をさらに酷く傷つけることで、なんとか自分の心を守りたかった。
「私は……殿下にお会いしたいです」
「……分かった。殿下へは父を通じてそう返事をしておく」
殿下に会うかどうかなんて、どちらでもいい。不幸な事件の被害者という共通点があるだけだ。今になって2人の人生の歯車が動き出すなんてお伽噺みたいなこと、考えたくもない。
8年前のあの日に起きた不条理な出来事に、いったい、どこまで振り回されなきゃいけないんだろう?
10歳の頃から謂れのない差別と醜聞に晒され、生まれ故郷に居場所がなくなった。初めて愛した男性には義務感で求婚され、それに気付かぬ振りをして求婚を受け入れることも敵わない。はからずも身を挺して守った人は他国の王族で、彼からの申し出を断わる選択肢を持つことさえ許されない。
責める相手も、憎む相手も、もうこの世にいないというのに。どう足掻いても、この運命から逃れることは出来ないらしい。だとしたら、もういいや。闘うのにも、抵抗するのにも、もう疲れた。翻弄される運命なのなら、このまま流されてみるのも楽でいいかもしれない。
(今度こそ、幸せな花嫁になりたいと思ったのになぁ)
私がフェルディナン様にしてあげられることなど、たかが知れている。
だとしたら、フェルディナン様に火の粉が降りかからぬように、彼を、彼が隠す母子のもとへと帰してあげたい。
このときローズの心を占めたのは、彼を解放してあげたい、という思いだった。
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