第66話 下弦の月(フェルディナン Ⅰ)
この週末は、自分の誕生日を祝うため両家の家族揃ってのディナーが予定されているというのに、ペルナンドの地で大規模な災害が起き、調査のため現地入りすることになった。視察を終えたその足で、急ぎ王都へと戻る。
今日が自分の誕生日であることを知っている部下たちが酒席でお祝いをしてくれることになった。正直、一刻も早く自宅に帰りたかったが、隊員たちの厚意を無碍にすることもできず、一杯だけ付き合うことにした。
「いやー、ドゥ・ヴァンドゥール将軍も26歳ですか! そろそろ結婚話が出てもおかしくないんじゃないですか?」
「出ても、お前たちには言わん」
「またまたー、いいじゃないですか! どうせいずれ分かるんだから、教えてくださいよ」
「断る」
「固いなー」
そんなやり取りをしながら一杯だけ付き合い、酒席の支払いを済ませておこうと席を立ったとき、自分の不在時にローズの監視役を担っていた影から近況報告を受けた。
フェルディナンが王都を離れていた間、ローズがイーサンという男性医師と娼館に出入りしていたこと、2人がユベール博士の薬局に入って行ったきり翌朝まで出てこなかったこと、そして定期的にローズが個人名で緊急避妊薬を購入していることが告げられた。
「……イーサン?」
医学アカデミーの講師も務めている医師とのことだったが、ローズの口から彼の名を聞いたことはない。
ローズが出てきたのは、娼館が女性連れでやってきた客に貸し出している部屋の一室だったということだが――見間違いだろう。ローズが色事に疎く、男慣れしていないことはフェルディナン自身がよく知っている。ましてや、緊急避妊薬をローズが必要としているとは思えない。
だが……以前、ローズが結婚を夢見た男性がいたと言っていたことを思い出す。
ギリッと奥歯を噛みしめ、強めの酒を一気に煽る。
その時、国防軍で諜報活動に従事しているルイーズが隣の席にやってきた。
「あらフェル、なんだか今日は荒れてるじゃない。……今夜、一緒にどう? 癒してあげるわよ?」
「断る。それから、俺たちはそういう関係じゃないだろ? その呼び方もやめろ」
「なによ、つれないわね。昔の恋人に少しくらい優しくしてくれても良いじゃない」
「しつこいぞ。それに、恋人役の間違いだろ」
ギロリと睨み、これ以上踏み込んでくるなと瞳で警告を発する。
「……影からの報告、聞いたわよ? 学生達の間でも、ローズさんとイーサン先生がデキてるって話で盛り上がってた。やっぱり箱入り娘のお嬢様には、軍人なんてむさ苦しい男より知的で洗練された男性の方が良いんでしょうね。イーサン先生って、伯爵家の出自で見目麗しい上に、女性に優しいって評判だもの。初心なローズさんでも、コロッといっちゃったのかしら? 純情ぶって、なかなかやるわよね」
「そんな屑みたいな噂話に惑わされるとは、お前も落ちぶれたもんだな。やはりブランクがデカかったか? 再就職なら世話してやるから、さっさと足を洗ったらどうだ」
そんな事を言われて面白くないルイーズは、わざと香水の匂いがフェルディナンに移るよう身体を押し付けると、大きな音を立てながら去っていった。
遠征での疲れに加えて不愉快な報告を聞かされ、正直、フェルディナンは疲労困憊していた。乱暴に酒を煽ったせいか、頭も酷く痛む。
自宅に帰るなりローズが色々と世話を焼いてくれるが、先程の報告が頭から離れず、心が乱れる。
「貴女の心には……誰がいるんだ?」
半ば賭けのような気持ちで発した言葉だったが、いつもは冷静なローズが明らかに動揺したことに、いつになく苛立った。
他の男を想い続けているような女性を抱く気にはなれないと、嫉妬心から酷い言葉を口にしてしまった。内心「しまった」と焦ったが、ローズは特に気分を害していないようだった。
機嫌を損ねた顔で食事会に参加してくるかもしれないと思ったが、彼女はいつもと変わらぬ穏やかな微笑みをたたえていた。
自分の誕生日も、笑顔で祝ってくれた。
多くはない給与だろうに、美しいブランデーグラスを贈ってくれた。
それもそうか、彼女には結婚を夢見るほどの男が心の中にいるのだから。婚約者が浮気しようと、想い人がいようと、全く気にならないのだろう。
「結婚後、貴女を抱く気にはなれない、なんて言われるくらいなら……自由恋愛を認めてほしい」と彼女が言っていたのを想い出す。
そんなことを言うのは最低な男だと思ったが、自分も同じじゃないか。少なくとも、8つも年下の婚約者に対して取るべき態度ではなかった。
その夜、シモンは「ローズは笑っていたけど泣いていたように見えた」と言った。自分には分からないローズの心の機微が、3歳の子どもには分かるようだった。
大切に思っている
――翌朝。
侍女のターニャが騒ぐ声で目が覚めた。
「坊ちゃまっ!! 大変です! ローズ様のお姿が見当たりません」
「は? 昨夜、寝る前に様子を見に行ったんだろう?」
「それが、一人で大丈夫だから下がるようにと言われて、早々に失礼したんですが、朝様子を見に行ったら、ベッドでお休みになられた形跡がなくて……」
「どうなってる? 誰か、彼女が出て行ったのを見た者は?」
「それが誰も……。昨夜はみな早めに就寝して、今朝早くから片づけをする予定でおりましたので」
「はぁー。分かった。馬の用意を頼む」
「はいっ!」
フェルディナンは初めにローズの実家であるモンソー侯爵家のタウンハウスに向かったが、戻ってきていないという返事だった。
次いで、クリストフのいるプラース公爵家に出向いたが、同じ返事だった。
「お前、昨日の今日で喧嘩か?」
「……面目ない」
「で、よりにもよって、先に実家の方に行っちゃったんだ。侯爵からこってり絞られただろ?」
「ローズが見つかったら、直ぐまた戻って来いって言われたよ」
「あちゃー、それ一番ヤバいやつだな。ご愁傷様~」
「……」
「まあ、あいつが帰れる場所なんて、限られてるだろう? うちと、実家と、ユベール博士んとこと、診療所くらいだよ」
フェルディナンは次に診療所を訪ねた。
日曜日だったが、若い男性医師が対応してくれた。
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