第16話 7人目の婚約者(候補)がやって来ません!

 舞踏会当日。

 診療所での日勤を終えたローズは、プラース公爵家で慌ただしく準備をしていた。

といっても準備をしてくれたのは侍女たちで、湯浴みをして鏡台の前に座りウトウト居眠りをしている間にローズを完璧な貴族令嬢の姿に仕上げてくれた。


 髪の毛は両サイドを複雑に編み込んで、ハーフアップにしているが、顔の印象が冷たくなりすぎないように前髪を透ける程度に少し下ろしている。眉毛はローズの本来の人柄を表すように、柔らかなカーブを描くように整えられ、ふっくらとした唇にはコーラルピンクのリップがのせられている。

 クリストフに合格点を貰ったところで、プラース公爵家の馬車で王宮へ向い、入口でクリストフと別れた。


 ローズはティボーから聞いたフェルディナンの外見を想い出し、もしかするとあのデビュタントで出会った騎士様だったりして――などと淡い期待を抱いて婚約者となる予定の男性を待っていたのだが、無情にも会えないまま開催時間になってしまった。


(これはまさかの、婚約の白紙撤回!? 私の手紙を読んだ令息様が、やっぱり婚約を辞退したいって連絡を入れたのに手違いでこちらに伝わっていないとか……。手紙の内容からすると十分あり得るわね)


 このまま家に帰ろうかと迷っていたところに、馴染みのある帝国語が耳に入った。


「あれっ、ロゼ? ロゼじゃないか!」


「!! リカルド団長!?」


「まさか、こんなところで再会できるとはなー。元気だったか? ってかお前、やっぱりちゃんと着飾ったらすんごい美人だな」


 ポンポンと優しく頭を撫でながら、そんな風に軽口を叩き、体を屈めてローズの瞳を覗き込んでくる。


 目の前にいるのは、隣国オストリッチ帝国で近衛騎士団の団長を務めるリカルドだ。ローズがまだ帝国の医学生だった頃、軍医としての臨地実習でリカルド管轄下の医務室に配属され1年程お世話になったのだ。


 帝国近衛騎士団の正装で現れた今夜のリカルドは、通常の令嬢であるなら誰もが顔を赤らめる程の破壊的な色気を醸し出しているが、家族全員が美貌の持ち主という特殊な環境で育ったローズは、そのことに気が付いていない。


「ご無沙汰しています! 団長も今夜の舞踏会へ招待されているんですか?」


「まあ、招待っていうか、仕事の一環でな」

 やれやれと言った感じで答えるも、ローズを映す瞳からは数か月ぶりの再会を喜ぶ様子が伝わってくる。


「たしか第二王子殿下の婚約者は、オストリッチ帝国の公爵令嬢様ですものね。それと関係が?」


「あぁ、まあな。――んで、ロゼはここで誰か待ってんのか?」


「はい。……実は、婚約者の男性を待っていたんですが、どうやら婚約自体が辞退されたみたいで。それか、すっぽかされたか――」


 困ったように眉尻を下げて微笑する。久しぶりの再会なのに、のっけからこんな情けない話をするのが居たたまれない。


「なんだよ、婚約自体が辞退って? ややこしいな。普通、婚約の白紙撤回なら家を通して連絡があるんじゃないのか? って、婚約者ってなんだよ? 王命で婚約が結ばれたんじゃなかったのか?」


「ええーっと。まあ、いろいろ事情がありまして。……というか、私の我儘なんですけど」


「まあいいや、話はあとで聞くとして。とりあえず、相手が到着してるか確認してきた方が早いんじゃないか? もしかしたら、知り合いと先に入ってるなんてこともあるだろう?」


「そうでした! 早速、確認してきます!」


「ヴァンドゥール公爵令息……フェルディナン様でございますね。――あっ、はい、すでにセギュール侯爵令嬢とご入場されていらっしゃいます」


 ハッキリとそう告げられ、あの騎士様かも……などと緊張しながらフェルディナンを待っていた自分が惨めに思えてきた。


(やっぱり、婚約は辞退されたのね。そうならそうと、父様も母様も教えてくれたらよいのに。なにより、久しぶりに再会した団長にこんな恥ずかしい場面を見られるなんて……)


 いつの間にか後ろに立っていたリカルドは、肩を落としたローズの姿を見て全ての事情を察したようだった。


「んー、じゃあ、今夜は俺にエスコートをさせて頂けますか? ジョゼフィーヌ=ローズ・ドゥ・モンソー侯爵令嬢?」

 そう言って、恭しく手を差し出してくれた。


「本当にいいんですか? 団長、パートナーの方は?」


「ああ、俺は一人で参加してるから、その心配はいらない。それにロゼのエスコート役なんて光栄だからね」


 申し訳なさそうに眉尻を下げて尋ねるローズに対し、リカルドは悪戯っぽくウインクをしてそう答えてくれる。


 リカルドはローズより8つ上の26歳だが、こういう気遣いが自然にできるところにリカルドの器の大きさを感じる。さり気なくローズのフルネームを知っていてくれていたことも嬉しい。


(やっぱり3人も奥様がいる人は女性の扱いが上手ね。それに、一緒にいると安心できる)


「――そういうことなら、ぜひ。宜しくお願いします」

 遠慮がちに、リカルドの手を取る。


(正直、助かったぁ。ただでさえ場慣れしていないのに、一人で入場だなんて公開処刑に近いわ。クリス兄様に事情を伝えて、早々に失礼しましょう)


「オストリッチ帝国カストゥーリャ公爵、リカルド様。モンソー侯爵令嬢、ローズ様のご入場です」


 参加者のほとんどがすでに入場し、お酒の入ったグラスを片手に談笑していたところでこう高らかに宣言され、会場中の視線が一斉に2人へ注がれる。


(えっ!? 入場の時って、わざわざ家名を読み上げるの?)


 ローズの姉であるアントワネットが嫁いで以来、モンソー侯爵令嬢の名を耳にすることがなかった社交界において、久方ぶりに聞く家名の令嬢の登場に参加者たちがざわめき始める。


 今夜のローズは、自身のパープルの瞳に良く似た藤色のドレスを身に付けている。胸元の繊細な刺繍は甘く可憐な印象を与えるが、クリスタルのビジューで広がりを抑えたスカートが、洗練された大人の女性を演出してくれている。

 何層にも重なったラベンダー色のチュールが歩くたびに美しいグラデーションを織りなし、ローズの美しい立ち姿に会場中の人々の目が奪われた。


『傷物令嬢』を一目見ようとするそんな彼らの露骨な視線など気にもとめず、ローズはリカルドの思わぬ出自に驚きの声を上げる。


「えっ!? 団長って、公爵家のご当主でいらっしゃったんですか?」


「ああ。とはいっても、騎士団に所属しているから、家のことは弟に任せてて、当主らしいことは何もしてないけどな。っていうか、知らなかったのか? 帝国で一夫多妻制が認められているのは、公爵以上の爵位を持つ者だけだぞ? まあ、そういう俗世に興味がないところがロゼらしいんだけどさ」


 リカルドは思わず苦笑する。


「――知りませんでした。たしかに言われてみれば、団長は粗野な言葉を使っててもどこか品の良さが漂っていますもんね。育ちの良さが隠しきれてないというか、滲み出てるというか……」


「ぶはっ! それはお互い様だろう?」


 この気安い2人の会話の様子が、会場中の興味関心をさらっていることや、フェルディナンが探るような眼差しを2人に向けていることに、ローズは全く気付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る