前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る
花雨 宮琵
第1話 プロローグ 王宮の夜会(ローズ16歳)
ここはアステリア王国の王宮にある、南回廊の休憩室。
モンソー侯爵家の次女で社交界デビューを果たしたばかりのローズも、今夜の舞踏会に招待された令嬢の一人なのだが――。
「ふぅー。……派手にやられちゃったわね」
一人つぶやきながら、ルビー色の染みが広がる新調したばかりのドレスを脱ぎ、侍女が用意した濃厚なシルクのナイトガウンを羽織る。
両親譲りの美貌と聡明な頭脳を持つローズだが、社交界では傷物令嬢、尻軽令嬢、などと蔑まれ、同世代の令嬢たちからの嫌がらせは後を絶たない。
加えて、宵の口から降り始めた雨のせいで背中の古傷がシクシクと痛む。
「ドレスが乾くまで、ここで休ませてもらおうかしら。6回目の婚約は先週解消されたばかりだし、ダンスを踊る相手もいないもの……」
ソファーに横になりウトウトしていたところ、人の気配を感じて飛び起きる。侍女兼護衛のサラは、ドレスの汚れを落とすために席を外しているようだ。
「すまないっ。少しここで匿ってくれないか?」
突然現れた眉目秀麗な青年から、隣国の帝国語でそう話しかけられる。
「はい?」
「ある令嬢にしつこくつきまとわれていて、ここに逃げ込んだら貴方が先客でいたんだ」
そこへ、庇護欲をそそる見た目だけは可愛らしい小柄な令嬢が扉の隙間から顔をのぞかせる。先程、ローズへ故意に赤ワインをかけた令嬢の取り巻きの一人だ。
「……リカルド様? まぁ、こちらにいらしたのですか? 嫌ですわ、休憩室へ逃げ込むなんて。もしかして、誘惑なさってるのかしら? うふふ」
「頼むっ。この通りだ。話を合わせてくれっ」
「……はぁ。今回だけですよ?」
「助かるっ!」
ローズは流暢な帝国語でそう答えると、艶のある髪の毛を掻き上げながら気怠そうに立ち上がった。上品で繊細な光を放つサテンが、ローズの女性らしいメリハリのある身体のシルエットを浮かび上がらせる。
「あ~ら、貴方……。リカルド様を追いかけて、のこのこ休憩室までやって来たの?」
ローズは令嬢の凹凸のない身体をザっと眺めると、嘲笑するようにクスッと笑う。
「は? あなたっ……モンソー侯爵家の傷物令嬢じゃないっ!」
「ふっ。……そんな貧相な身体でリカルド様に言い寄るなんて。図々しいにもほどがあるわね。暑苦しいのは、その派手な化粧だけにしてくださる? まったく、王国の恥だわ」
「なっ、なんですって!?」
長身のローズは令嬢を見下ろしながら、緩んだウエストベルトの隙間から長い足を晒け出すと、豊満で形の良いバストを突き出すように胸を張る。
「貴方がリカルド様に言い寄るなんて、百年早いのよっ! まずはその乳臭い格好を何とかしてから出直してくることねっ!」
「このっ……尻軽令嬢! 覚えておきなさいっ!」
ローズの挑発を受けた令嬢は、羞恥と怒りで顔を真っ赤に染めて捨て台詞を吐くと、乱暴に扉を閉めて走り去って行った。
「ふぅ……助かった。圧巻の演技だな。礼を言う」
「……」
「あ、いや、本当にありがとう。……名を伺っても?」
「あいにく、初対面の女性にこんな事を頼む殿方に名乗る名など持ち合わせておりません。どうぞお引き取りを」
「はははっ、それもそうか。先程の令嬢は貴方の事を知っていたようだけれど……巻き込んでしまって、すまなかった。貴方の名誉を害することをないように、きちんと手を回しておくから」
「わたくし、この国では悪名高き令嬢で通っておりますから。お気遣いは結構です」
「そうはいってもなぁ」
「悪名は、利用してこそ価値があるというものでしょう? それに……私も少し爽快でしたから」
ローズは早々に一人になりたくて、父親譲りの悪人顔でいたずらっぽく微笑む。
「ふっ。王国にはすごい令嬢がいるんだな。本当にありがとう。……それじゃあ」
初めはどこか申し訳なさそうにしていた青年だったが、ローズの気っ風のよさに自責の念が消えたのか、立ち去る際はどこか晴れ晴れとした満足気な顔になっていた。
「ふぅー、慣れない演技なんてするもんじゃないわね。背中の傷がさっきより痛む」
ローズはガウンのウエストベルトをキュッと結び直すと、再びソファーに倒れ込んだ。
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