第26話 バストゥル

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 それはまったく奇妙な、居心地の悪い状況だった。

 互いに武器を向け合い、本気で殺すつもりで争った相手と、よく晴れた夏の午後の食堂で、向かい合って話をしようとしている。奇妙すぎて、おかしくもないのに笑ってしまいそうだ。

チシャは「話し合いなら食べててもいいでしょ」と、また有無を言わせず僕の口に保存食を突っ込んでいった。今はディナやミレと一緒に、離れた椅子に腰掛けて、低い声で喋っている。邪魔をしないように気をつかってくれたらしい。

 バールもカッチェとガナリをディナたちの方へ行かせていた。僕が他の取り巻きたちの姿を目で捜すと、考えを読んだように「ハクは死んだ」と言った。


「おまえが寝てた間にな。壁を越えて《城》の外に逃げようとして、撃ち落とされた。おまえを撃ったのと同じ仕掛けだ。《城》の中から出ようとする奴は、あの銀の女以外、全員撃たれるんだろう」

「クロトは?」


 最後に会ったときのことを思い出して僕は尋ねた。

 壊れたように泣いていたクロト。バールに捕らえられたカナを、どんな気持ちで見ていたのか。


「生きてる。だが、病んでる。厨房にいさせてるが、この先どうなるかは分からねえ」

「病気──?」


 僕は隣の椅子を見た。不安定な姿勢で肘置きに寄りかかったパムは、咳き込みながら、「心の」と言った。


「カナのことや、みんなが死んだことが、つらいんだと思う。無理もないけれど……」


 激しくなった咳に埋もれて、語尾が消える。小柄な躰を僕は抱き上げ、子供を座らせるように膝の上に乗せた。

 今はもう、僕に残っているのは、パムだけだ。

 バールは椅子の背もたれに寄りかかり、腕を組んだ。


「あとは全員死んだ。残ってるのは、ここにいる奴だけだ」


 闇色にひかる眸が僕を見る。


「で、おまえは──?」


 意外な問いだった。漠然としすぎていて、苛立ちすらこみ上げた。


「何が聞きたいのか分からないな。《悪霊》憑き。黒鷲の変異。元は《施設》にいたけど、棄てられてここに来た。他に何か?」


 バールは眉間に皴を寄せた。


「何で棄てられた?」

「さあね。態度が悪かったからじゃないか」


 ふざけるなと腹を立てるかと思ったのに、バールは表情を変えなかった。


「……分からなくもねえな」

「何だって?」

「上官に服従しねえ兵士なんざ、屑だ」


 低い声が、息が止まるほど重かった。

 躰が震えそうになる。こいつのこういうところが嫌いだ。こういう――僕よりもずっと大きく、力のある、冷酷な大人の気配が。


「……あんたは、傭兵だったって聞いた」


 嫌悪感を込めて呟くと、バールの眉間の皺がいっそう深くなった。


「本気で言ってんのか?」

「違うのか?」


 上官云々と言うから、軍の所属に違いないと思ったのに。

 バールはしばらく、黙って僕を見ていた。闇色にひかる眸の底で、何らかの答えが出るまで。

 そして言った。


「カネ目当ての連中と一緒にすんじゃねえ。――


 僕?

 奇妙な感じがした。

 僕が、同じ?

 バールと、僕が――?

 

 そのとき、今まで考えたことがなかった可能性が、頭をよぎった。


 バールは、僕がいた《施設》の連中に似ている。僕に銃を持たせ、戦い方を教えた大人たちに。

 それはつまり──僕自身に、似ているということでもあるのだ。


 ふと、バールが微かに、両眼を細めた。

 嘲笑でも冷笑でもなかった。僕が初めて見る、不思議な笑い方だった。


「おまえはいくつだ。一六くらいか? だったら、もうすぐだな。一七になったら檻から出て、戦場だ。すぐに死ぬ奴もいるが、俺は三年生き延びた」

「あんたは」


 声が零れた。


「あんたは────?」


 パムが怪訝そうな顔をする。身をよじって僕とバールとを見比べ、首を少し傾けた。


「同じって……何が?」


 答えられない。

 簡単な話、だと思う。たった一言。それだけで答えられるはずなのに。

 僕が言葉に詰まっている間に、バールが答えを口にした。


「そいつのいた《施設》。俺も、そこで訓練を受けて戦場に出た兵士だってことだ」





 食卓の上に置いた片手に力を込めて、躰を支えた。

 今すぐ逃げ出したかった。バールは僕と同じ施設で、同じ教育を受けていたのだ。

《施設》。正式名称は『王国陸軍変異者教導局』。

 通称は「畜舎バストゥル」だ。――《悪霊》憑きの、人間もどきの獣の仔を詰め込んで訓練する場所だから。

 色々なことが一気に腑に落ちた。《悪霊》憑きの躰を使った高い格闘技術。他の《悪霊》憑きたちを指揮する手腕。敵を追い詰める容赦のないやり方。

《施設》では、さぞかし優秀な成績を修めていたに違いない。


 バールは面白そうに僕を眺めていた。


「おまえはどうやら劣等生だな。撤退やら潜伏は上等、近接格闘もまずまずだが、頭に血が上りすぎる」

「……余計なお世話だ」


 躰が震えるのを隠したい。知らなかったとはいえ、あの訓練を受けた相手とよく殺し合ったものだ。力任せの素人とはわけが違う。年齢と体格の差も考えれば、死体になるのは間違いなく僕の方だったのに。


「どうだっていいだろ、そんなこと。あんたが何者でも、僕と同じでも、今の状況には関係ない」

「馬鹿か。関係なかったら話してねえ」


 バールの表情に冷徹さが戻った。


「おまえが敵の仲間なら、休戦協定なんざ成立しねえ。だから素性を訊いた。念のためもうひとつ訊くが――エタを殺ったのは、おまえじゃねえな?」


 当たり前じゃないか。

 手を食卓に叩きつける。響いた音に、ディナやカッチェがびくりとしてこちらを見た。


「僕にエタを殺す理由なんかないだろ。僕は……だって、僕は……!」


 このままがいい、と思っていた。

 誰にも虐げられない、脅かされない、殺すことも殺されることもない《城》。

 いつまでも、このままで。

 心底、願っていたのに。


 痛む手を握り、僕は別のことを口にした。


「僕は……あんたがエタを殺したのかと思った」

「それこそ、理由がねえな」


 短くバールは否定した。

 今度は、疑う気にはならなかった。前にも考えたとおり、エタは《城》の王に逆らうような身の程知らずじゃなかった。わざわざ殺す理由がない。そのとおりだ。

 バールの経歴を知った今なら、余計にそう思う。

施設バストゥル》で訓練された優良種の仔は、敵の殺害に無駄な労力をかけたりなんかしない。可能ならば一撃で。迅速に、効率的に。

 死体が原型をとどめないような殺し方は、僕たちのやり方じゃない。


 でも――それなら、どうして、バールは僕を殺そうとした?


 僕の疑問を察したかのように、パムが口を挟んだ。


「ぼくも聞きたいな、バール。きみはどうして、イサを疑ったり、追い詰めたりしたの? イサが目を覚ましたら教えてくれると言ったよね。何度も説明するのが面倒だから、って」


 バールは珍しい表情をパムに向けた。嫌いな食べ物を無理やり食べさせられるような、とでも言ったらいいだろうか。

 僕が眠っていた間に、パムはいったい、バールとどんな話をしたのだろう?

 

 逡巡は短かった。

 ひとつ息をつくと、バールは言った。


「……《編集機関》ってのを、聞いたことはねえか」


 僕は首を横に振った。

 目線で尋ねてみたけれど、パムも首を捻る。

 

「聞いたことがないな。何だろう? 新聞とか、本を作るところ?」

「違う。そいつらが編集するのは、だ」


 パムの表情が強張った。

 バールが言葉を続ける。


「《編集機関》は――人間の定義を編集して、戦場に向いた《悪霊》憑きを人の手で創り出す機関だ」


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