第21話 亡骸

  11


 僕は灯りを消した。

 ほとんど自動的にそうした。躰を引き、壁の手触りだけを手がかりに、暗闇の中を戻る。

 何が起きているのか分からない。

 昔みた悪い夢のようだ。男たちに追いかけられ、追い詰められ、手足を押さえつけられて刺し殺される夢。どこまで逃げても追ってくる。さっき殺されたはずなのに、気づくとまた逃げている。繰り返し繰り返し僕は殺される。背中に、骨を折り砕かれる痛みを感じながら。


 階段を上り、回廊に出たときには、周囲への警戒が不足していた。

 扉を開けた途端、目と鼻の先に人がいた。

 クロトだ。

 一秒か二秒、僕たちはお互いの顔を見た。

 先に動いたのはクロトだった。僕が今出てきた扉の中へ、自分と僕との躰を押し込む。後ろ手に扉を閉めたかと思うと、真っ暗な中で手探りに僕の胸倉をつかみ、押し殺した声で囁いた。


「──この上の。二階。エタの部屋だったところ。場所、分かるよな」


 ひどく掠れた声だった。僕の服をつかんだ手が震えている。

 僕は何も考えられないまま、「分かる」と答えた。

 これも悪夢の続きのような気がした。怯えきったクロト。意味の分からない台詞。

 たちのよくない薬でもやったみたいに、クロトは躰を震わせていた。僕を見つけたというのに、バールに知らせに行こうともしない。

 そうやって僕が現実から逃げていられたのは、クロトが次に口を開くまでだった。


「カナが捕まってる。エタの部屋に」


 言葉が刃物のように肋骨の間に滑り込んでくる。

 両手で僕を揺さぶって、クロトは囁いた。


「バールが、おまえの情報を聞き出そうとしてる。武器を持ってないかとか。《城》の外と連絡を取ってないかとか。カナのやつ──何も知らねえのに──」


 掠れた声が言う。

 痛めつけて。どういうことするか、分かるだろ。今日、ずっと。

 クロトは喉の奥で泣いていた。自分の脚を引きちぎったみたいに。

 僕はクロトの手を引き剥がした。

 恐怖でも疲労でもないもので躰が震えた。心臓が言葉にならない何かをわめいていた。啜り泣くクロトを押しのけ、扉に飛びつく。回廊に飛び出す。

 向かったのは、上階への階段がある休憩室だ。

 昼間なら明るい日差しが降り注ぐ小部屋は、今はただ暗い。闇の中に螺旋階段がそそり立つ。渦を巻いて立ち上る。抑えることもできない怒りのように。

 鎖の重みを振り切り、階段を駆け上がった。

 目の前にまた扉。取っ手をつかみ、開け放つ。


 死んだエタの部屋の、床の上に、カナはいた。

 独りだった。両手首を長椅子の足にくくりつけられ、仰向けに転がされていた。服は着ていない。肌が血で濡れていた。つけっぱなしの照明の下で、躰中に傷が赤く開いていた。

 血と涙とで汚れた顔を天井に向けて、カナもまだ悲鳴を上げ続けているように口を開いていた。

 だけどもう何の音も漏れない。胸を真っ赤に染めて、短剣が突き立っていたから。


 そこにあったのは、カナの亡骸だった。





 静寂が鳴る。耳の奥で鳴る。頭が無音で一杯になり、やがて砕けて弾け飛ぶ。

 僕はうまく動かない指でカナの手首の拘束を解いた。

 短剣を胸から抜くと、粘つく血が糸を引いた。カーテンを裂き、裸の躰をくるむ。傷口に触れないのは無理だった。痛い、とカナが言う気がして、手が震えた。

 右手に短剣を持ち、左腕にカナを抱きかかえて、部屋を出る。螺旋階段を下りる。

 うるさいほどの静寂が躰に満ちて、零れそうに震えている。

 回廊に出ると、食堂からリグが出てきたのにぶつかった。カナを抱えた僕を見ると、リグは喉で音を立てた。叫ぼうとしたのかもしれなかった。

 僕はカナを回廊の端に滑り下ろし、リグに飛びかかった。

 小柄な躰を床に突き倒し、馬乗りになる。左手で口を押さえて塞ぐ。大きな目をめがけて、一気に短剣の切っ先を振り下ろした。

 眼球から指一本分くらいのところで刃先を止めてやると、リグは塞がれた口の中で泣き声を漏らした。失禁したらしいのが臭いで分かった。

 刃を動かさないまま僕は尋ねた。


「リグ。バールは──広間?」


 リグは頷いた。その目の前から凶器をどけてやって、僕はリグを見下ろした。


「一言でも声を上げたら、殺すよ」


 言い置いて、立ち上がる。カナのところに戻って、もう一度抱き上げる。

 背後でリグがぐすぐすと泣いていた。気の毒なリグ。小さな覗き屋。もう二度と僕と話をしようなんて気にはならないだろう。いい話をしようか? 声をかけても、返事はないだろう。


 だから、なんだ。


 初めて《城》に来た日とは逆向きに回廊を回って、広間へ向かう。

 灯りは暗く、中庭の上から侵食する夜闇に勝てない。

 進む僕の足元を、滲んだ灰色の影がついてくる。灯りをひとつ通り過ぎるたびに僕の周りを回り、前に立ち塞がりそうになっては、消えていく。

 広間への扉の前に立つ。

 僕は短剣を口にくわえ、右手を取っ手にかけた。





 扉を開け放つと、十数組の目が一斉に僕を見た。

 僕と、僕が抱きかかえたカナを。

《城》中の子が確かにここに集まっていた。いないのは、さっき僕が潰してしまったリグ、そしてクロト。パムとレアル。死んだエルリ、エタ、ブロッシュ、テラ。

 バールがいた。広間の中央で、正面の扉に取りついた子たちに指示を出していたようだった。黒光りする鉄の大扉に手をかけたダウは、ぽかんとこちらを見ている。バールの傍らにはカッチェが立ち、反対側の隣ではディナが振り向いて凍りついていた。

 こちらに顔を向けた《城》の王に向かって、僕は片手でカナの躰を掲げた。巻いた布の端から見える凄惨な傷口が、いやでも目に入るようにしてやった。

 静寂。誰も何も喋らない。

 無音が鳴る。轟々と鳴る。僕の頭を砕き、躰を食い破り、溢れ出す。

 僕は右手に短剣を握り直した。切っ先を上げて、真正面からバールを指し示した。


「カナを」


 僕の声が反響する。広間の高い天井に跳ね返る。


「殺したな」


 獣が頭をもたげ、咆哮する。





 僕はカナの躰を床に下ろした。

 滑らかな円い左胸と、に半ば覆われた右胸とを、血に染めた傷。

ちぎれかけた

ほとんど切り落とされかけ、僅かな皮で腰につながった、


──半人半猫の《悪霊ファヴリル》憑きの、カナの亡骸を。

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