第13話 敵の影

 がたがた震えているカナを、僕はパムの部屋に連れて行った。衝撃を受けた心を落ち着かせるには、聖堂育ちの友達の方が適任だ。

 僕が離れで見たものを手短に説明すると、パムは頬を強ばらせた。


「……ひどい」


 苦しげに呟いて、咳き込む。今朝も調子がよくないようだ。

 カナを寝台の端に腰かけさせると、パムは咳の合間に、気づかわしげに僕を見上げた。


「イサ。きみは? 大丈夫なの?」

「慣れてるから」


 僕は笑ってみせた。


「それよりも、カナを頼むよ。僕は情報を集めてくるから。誰が何のためにエタを殺ったのか把握しておかないと、この先どう動けばいいか見通しが立たない」


 カナが頬を張り飛ばされたようにこちらを見た。「やめなよ」と震える声で言う。


「エタ、死んだじゃない。エルリなんか捜すから。イサだって……イサだって……」


 両手に顔を埋め、子供のように泣き出した。

 かなり動揺している。

 無理もない。カナは《施設》育ちじゃない。戦場になった北部の都市や、獣害で荒廃した山間部の町を避け、賢く危険から逃げて生きてきた子だ。ここまで自分の身に敵が迫った経験がないのだろう。


「戦うんだよ、カナ。《城》からは、逃げられないんだから」


 分かってもらえるかどうか確信はなかったけれど、言い置いて、僕はパムの部屋を出た。

 さて、何から始めようか。

 慣れてると言ったのは別に強がりじゃない。死も、血も、敵も、《施設》ではごく身近なものだった。右の掌を胸に当てて、深呼吸する。自分が落ち着いていることを、確かめる。

 大丈夫だ。動ける。自分の身を守るために、戦える。

 調べたいのは、敵の正体。そして、目的。戦力はどれくらいか。僕は、彼または彼女の標的になっているのか。戦闘は回避できるか、それとも、直接戦って生き延びるしかないのか。


 最初の問題は、誰がエタを殺したのか、だ。

 あの惨状を見る限り、かなり力のある奴の仕業だろう。《城》は鎖されているから、外から誰かが入ってくる可能性は低い。中にいる連中のうち、何人かの名前が思い浮かんだ。例えば、ダウ、ブロッシュ、カッチェ。──バール。

 昨晩の彼らの動きが分かるだろうか。あるいは、離れの周囲で、何か見た子はいないだろうか。

 誰かが何かを見聞きしたとしたら、噂話を知っているのは、やっぱりテラだ。


 僕は昨日と同じように地下に下りた。廊下にひとつだけ灯りをつけて、突き当たりの暗い部屋へ向かう。

 ところが、今日は取っ手に手をかけた途端、「来ないで!」と悲鳴が上がった。


「テラ。どうした?」


 緊張が鳩尾を刺した。テラの美声は裏返り、引きつっている。こんなことは初めてだ。中から投げつけられた物が扉にぶつかり、耳障りな音を立てた。


「来ちゃだめ。あたしに話しかけないで! 帰って! 今すぐ!」


 殺される寸前の家畜みたいな声。恐慌状態。

 恐怖が伝染しないように、深呼吸をして気を落ち着け、僕は扉の向こうへ声をかけた。


「どうして? 何があったんだ、テラ。理由を言って。昨日は話をしたじゃないか」

「……が……来たのよ」


 扉越しにくぐもった声が答えた。よく聞こえない。机と棚の間に躰を押し込んで震えている影が目に見えるようだ。


「来たって? 何が──?」


 思い切って扉を開ける。むっとする腐敗臭。奥の暗がりから突き刺さったテラの悲鳴は、まるで踏み砕かれたガラス玉のようだった。


!」


 僕は一歩後じさった。

 悲鳴は重い靴音の幻を呼び起こした。黒い影。肉食獣の気配。人の形をした、殺意と暴力。

 指先が冷たくなる。テラが泣きわめく。


「あの声。あの、低い声! 壁越しじゃなかった。直接、ここへ来て、あたしに訊いたの。何を知っているのかって──何をのかって──あたしが、イサのことを知っているかって!」


 ひいひいとテラは泣いた。

 バールが彼女に何をしたのかは、すぐに分かった。扉を開けてすぐ横の壁に、照明のスイッチがある。埃を被っていたはずの黒いつまみが、誰かの指で拭われたように綺麗になっていた。

 光。眼球が焼かれ溶ける痛み。

 テラだけに有効な拷問。簡単な方法だ。


「来ないで──イサ──もう、あたしのところへ来ちゃだめ。あたし、言った──あなたがあたしのところに来て何を訊いたか、ぜんぶ言った。逆らえなかった」


 暗がりに頭を突っ込み、涙に喘ぎながらテラは訴えた。


「次も逆らえない。絶対に、言う。分かってるのよ。あたし、言う──知ってること、全部──だから──」

「分かった」


 僕はテラの嗚咽を遮った。

 分かった。分かる。充分だ。


「ごめん。これ以上、君を巻き込まないようにする。……ありがとう」


 警告してくれて。危険を報せてくれて。

 僕は扉を閉め、テラを暗闇の中に戻した。廊下を駆け戻り、叩きつけるように照明を消した。

 心臓がテラの泣き声で一杯になって、内側から裂けそうだった。どす黒い不安がその上に爪を立て、ゆっくりと這い上ってくる。


 ──バールはおまえに目つけてる。


 クロトが言っていたとおりだ。バールは僕の動きを探っている。

 でも、どうして?

 回廊を通り、庭園に出る。日差しはまた灰色に翳っていた。薄暗い木立の中を歩き、乱れた呼吸を整える。

 バールはエルリを捜している。エタもエルリを捜していた。そして、僕も。

 バールはエルリを捜す邪魔になるから、エタを殺したのか? 次は、僕?

 まさか。邪魔なら邪魔だと言えばいいだけだ。バールは《城》の王なのだから。誰も彼には逆らわない。僕もそうだし、エタは尚更だ。バール自身も分かっているだろう。

 でも、それなら、どうしてバールは僕の行動を知ろうとする?

 エタを殺したのは、バールなのか?

 分からない。


 ますますエルリを見つけたくなった。《城》から逃げる道を作ってくれるかもしれないエルリ。自由に《城》から出て、また戻ってこられるなら、どんなにいいだろう。

 だけどエルリは、エタ以上に、誰に殺されていたっておかしくないのだ。


 庭園の奥まで歩いてきて、僕は足を止めた。このまま行くとパムの花壇だ。無意識のうちに、友達に話を聴いてもらおうとしていたようだった。

 でも、今日はパムは部屋にいる。きっとまだカナをなだめてやっているだろう。そこへ僕がのこのこ行って、バールに目をつけられているみたいだなんて言ったら、カナがどんな顔をするか想像に難くない。

 だめだ、パムに話すのは後だ。今はひとりで考えるしかない。

 僕はそのまま花壇に足を向けた。慣れた場所は居心地がいい。気分が落ち着けば、考えも浮かびやすくなるだろう。

 暗く生い茂った木立を抜け、形が崩れた生け垣の端を回ると、夏の花に飾られた深緑のくさむらが現れる。

 その中心に佇む人影を見つけて、僕は立ち止まった。

 白い姿が目に焼きつく。

 風に揺れている銀色の髪。うつむき加減の貌は、普段ならパムが横になっているあたりを見つめている。

 顔を上げて、彼女はあの夕闇色のまなざしで僕を見た。


 レアル。




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