第40話

 小屋を出れば、辺りは静寂に包まれていた。

 木々は微動だにせず佇み、小屋の周りにも小さな動物達の人形が転がるばかり。

 平穏そのものに戻ったというのに、ハッシュはマギーの腕を引っ張り何処かへと移動を始めたのだ。

 その焦りがマギーにも伝わったが、引っ張られた腕が痛くてそれどころではなかった。


「ハッシュ!痛いよ!どうしたの!?」

「アルチアがこの夢に存在するなら、急いで移動した方が良い」


 人形達が口にした、またも聞き覚えの無い名前。

 強欲の魔女アルチア。

 マギーは忘れているだけなのかもしれないが、その名前を聞いた瞬間からハッシュから冷静さが失われた。


「ハッシュッ!!」


 マギーが渾身の力をお腹に込めて叫ぶと、森の中を突き抜けて進んでいたハッシュが、はっと振り返る。

 やっとマギーの顔を見たハッシュは、焦りで一杯だった。


「ハッシュ、此処はフラムなんでしょ?湖に向かおうとしてるの?」


 荒い息を吐きながら、ハッシュは振り返るとマギーを抱き上げ、再び早足で歩き始めた。


「歩けるよ」

「急いだ方が良い」

「湖で何するの?」

「お前の記憶を呼び起こす。強い光が必要なんだ」


 フラムの湖は、星が集まる場所だ。そこで、湖の光を光源に魔力を使って最大限に引き上げたのだという。 

 湖へは駅まで行けば、そこからは一本道だから簡単に辿り着く。

 此処は駅からそう離れてはいないのだというが、ハッシュがマギーを抱く手が汗ばんだ。

 ライオンなのだから、汗なんてかかない筈なのに、その手がじっとりと湿る。

 人だった時の感覚が、ハッシュの焦りを身体に滲ませて、どれだけ大事かを実感させたのだ。


「人形の歌の通りだ。魔女アルチアは、モルガナをずっと狙っていたが、一度として敵わなかった」

「お母さんの方が強かったって事?」

「そうだ。白の魔女モルガナは何者も寄せ付けない……そう言われてたぐらいだ。だが」


 ハッシュの足がピタリと止まった。

 マギーは、ハッシュの口が急に止まったものだから、顔を覗き込んだ。

 緊張がマギーにも伝わる程に、怖い顔をしている。

 

「ハッシュ?」

「口を閉じてろ」


 そう言ったハッシュは、一目散に走り始めた。その身が本当の獣にでもなった様に風を切って走る。二本足でなかったら、もっと速かったかもしれない。

 木々の間を駆け抜ける中、マギーは後ろから何かが追ってくるのに気がついた。


 月の灯りだけが頼りのそこで、背後は暗闇だ。

 九時の闇が無くなっても、夜の国は変わらず夜のまま。

 ずっと過ごして来たはずの、世界の闇はどれも同じなのに、その見えない暗闇の奥底から、何かが近づいて来るのだ。

 そう感じた矢先だった。ドウッ――と風が吹いた。

 まただ。

 そう思う間も無く、轟々と風が鳴き、太い木々まで大きく揺れて唸り声を上げる。

 あまりの風の強さに背中を大きな手に押されているかの様で、とても目など開けていられなくなった。

 ハッシュも同じか、マギーを守る様に腕に抱いたまま、その場から動けなくなっていた。


 そして、ピタリと風が止んだ。

 木々の揺れも一斉に治る様は、時が止まったかの様で再び、月明かりだけが頼りの静寂が戻った。


 その時だった。


「あら、誰かと思ったら、ハッシュじゃない」


 艶のある、甲高い声がハッシュの真後ろから響いた。

 その声にハッシュは恐る恐る振り返る。まるで、そこに居る人物が誰かを理解しているかの様。

 

 静寂の中、足元すら隠す長い裾のスカートと黒いローブを纏った黒髪の女。

 長い黒髪の隙間から赤く光る目が、マギーを確りと見つめていた。


「マーガレットも、久しぶり。今日は違う猫を連れているのね」


 お母さんの友達と名乗った、だ。

 目の色こそ違ったが、ニッコリと微笑むその顔は確かに、マギーの記憶のままの人物だった。


「……アルチア、此処にモルガナは居ない」


 ハッシュは身構えながらも、魔女アルチアとの距離を出来るだけ離そうと、静かに後ろへと下がる。

 

「知ってるわ。私を此処に閉じ込めたのは、マーガレットだもの」


 長い黒髪がゆっくりと揺れる中、真紅の口紅で染まった口角が上がり、ゆったりと笑ってみせる。

 メレディスとは違った笑み。メレディスの笑みが、何を考えているかが判らず、マギーは好きではなかった。

 だが、この魔女アルチアの笑みは、優しく微笑んでいる筈なのに、背筋がぞっとする程に冷たく感じる。

 不気味さを秘めた冷たい笑みを携えて、アルチアは動き始めた。

 一歩、一歩と近づくが、ハッシュはそれに合わせ、アルチアから目を離さないで更に背後に下がっていた。  


「ねえ、マーガレット。私の身体、もう無いのよ」


 その言葉で、人形達が言った言葉を思い出す。  


『強欲の魔女アルチアは、クローゼットのお化けに食べられてしまった』


 その言葉を思い出した瞬間に、マギーの脳裏に、ノイズの掛かった記憶が蘇った。


 ◆


『あれ、どうするんだ』


 女の声で、マギーは目を覚ました。 

 暗闇の中で、唯一の灯りが線の様にマギーの顔まで伸びていた。

 手足が縛られ、口も布で覆われて、硬い床の上に放り出された状態。視界だけが唯一の自由だった。

 マギーは、その灯りの先のを辿るが、扉と思われる隙間は小さく、これと言って何か見えやしない。


『どうって、食べるのよ。任せて良い?それとも、手が汚れるから……』

『いい、やる。その代わり、少し分けてくれない?それぐらい、分前があってもいいと思うんだけど』

 

 唯一の情報とも思える声が

 マギーの記憶の中で聞き覚えのある女の声が、何かを相談していたが、食事の相談事をしている。

 ええ、いいわ。と嬉々として答える艶のある声は、アルチアそのものだ。そして、もう一つは――


『じゃあ、メレディス。お願いね』

『今日じゃ無いでしょ?』

『明日。満月だもの』


 じゃあ、休むからと言ったと同時に、遠ざかる足音がコツコツと響いたが、二、三歩歩いて止まると、またアルチアの声が響いた。 

  

『ああ、殺さないなら、好きにして良いからね』


 これ以上ない喜びで、その足取りすら浮ついている。コツコツと足音が遠ざかると、扉から差し込んでいた光が太くなり、身動き取れないマギーの顔をはっきりと照らした。

 その光の中、重苦しい表情を浮かべた女が、マギーに同情の瞳を向けていた。

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