86 暗闘


††フェフ††


 フェフは父親であるエルフ王を見上げた。

 細くて鋭い……磨き上げられた剣のような人だと感じる。

 そしてそれ以上の感想がない。

 フェフとエルフ王の接点は少ない。

 母が身ごもったときにはすでに住居を離されていたという。

 物心付いてからも、その姿を見るのは行事の時だけで、それもほんのわずかな時間のみ。

 フェフだけがそうというわけではなく、全ての兄弟がそうなのだと知れば思春期の反抗的な精神さえも湧くことなく、むしろ関わらない方がいい存在だと思うようになり、その考えが定着した。

 暴走した兄王子はフェフとは逆に執着するようになったようだが。


 そしていま、国の危機に際し、王という装置でしかないようなこの人はなぜかダンジョンにこもって動こうとしない。

 それどころかアキオーンに交渉を持ち掛け、ダンジョンのさらに深くに行かせようとした。

 なぜだろうか?


 そしてどうして、私はそれを止めようとしなかったのか?


 フェフは自分の心がわからず、内心ではひどく動揺していた。


「わからないか?」

「え?」


 いきなり、エルフ王が問う。


「余の提案をあの男に受け入れさせた自分の心がわからぬのだろう?」


 その言葉にフェフははっとした。


「お父様! 私になにかを!?」

「余がしたのではない。この地に最初に根付いたエルフたちとこの豊穣の樹海……いや、■■■との契約によるものだ」

「……え?」

「聞こえぬか? いや、余が言えぬのか」

「な、なんなんですか?」

「ソレが何かは余にもわからぬ。だが、窮状にあった当時のエルフたちとってそれは救い主であり、ソレとの契約は不可避であったのだろう。結果として、エルフはこの地で繁栄した」

「……まさか!」

「そうだ。世界樹だ」

「このダンジョンを攻略して手に入れたのではないのですか?」

「違う。エルフたちはこのダンジョンに誘い込まれ、そして契約を結ばされたのだ」

「そんな……」

「このダンジョンに入らねば、エルフたちは操られることもない。故に自覚する者もいない。ただ、世界樹の余りある豊穣を享受し続けることができた」


 エルフ王に言われて、フェフは理解した。

 なぜ、このダンジョンに入ることが許されたのが世界樹と契約した代々の王だけなのか。


「支配されるのが王だけとするため、なのですか?」

「そうだ。奴らの求めに応じることを王の責務とし、そして王のみの犠牲でこの地のエルフたちを生かすためだ」

「犠牲……犠牲とは……契約とはなんなのですか?」

「アリとアブラムシの関係だ」

「アリとアブラムシ?」

「そうだ。外敵から守ってもらう代わりに餌を与える。そういう関係だ」


 世界樹と契約した王の力。

 世界樹からもたらされる大量の食料。

 犠牲とはつまり、その二つの代わりに差し出されるもののこと。


「それは……?」

「このダンジョンでエルフたちに命を捧げさせることだ」

「命っ!?」

「ダンジョンはこの世に生きる者たちにとって非常にありがたい存在ではあるが、非常識な存在でもある。どう考えても、ダンジョンの方が失うものが多い。そうは思わんか?」

「…………」


 エルフ王に問われ、フェフは考える。

 ダンジョンの存在そのものへの疑問なんて考えたこともない。

 小国家群にもいくつかのダンジョンが存在するが、フェフが接することができそうだったのはこの豊穣の樹海のみで、それさえも近づくことは許されていなかった。

 あっても当たり前の存在がどうして存在するのか?

 それは、どうして生き物は空気を吸わないと生きていけないようになっているのかを考えるのと同じぐらいに、考えても仕方ないことだとフェフは思っていた。


 だけど、確かに。

 お湯を求めれば火にかけなければならない。その火は燃料を使わなければ起こし続けることはできない。

 つまり、お湯を得れば代わりに燃料を失う。


 ダンジョンは、挑戦する冒険者に魔石やドロップアイテムという宝物を与えるが、その代わりとして何を得ているのか?

 冒険者たちの命?

 だけど、そんなに死人ばかり出ていたら、いずれは近づかなくなってしまう。

 それでダンジョンが困るのだとしたら?

 ダンジョンは内部に入ってもらうことで何かを得ている?

 だけど、なにを得ているのかがわからない。

 そしてなにより、豊穣の樹海のダンジョンは他とは違ってエルフに契約を持ち掛けている。

 その不自然さをいずれかの代のエルフ王を恐れさせた?


「……できた?」


 先ほどのエルフ王の言葉にひっかかりがあることに気付く。


「できたとは、どういう意味ですか?」

「……追いつめられるときというのは不運も重なるものなのだろうな。代々のエルフ王がわずかな生贄でダンジョンをごまかし続け、ようよう、限界が近づいてきたときにあやつが次代の若芽を全て駆逐させた」


 あやつ……王子のことか。

 そして、追いつめられているのは……ダンジョン?


「余に力を与えている世界樹は朽ちる時が近づいていた。余は国の掟を盾に誰にもダンジョンに入れさせず、余一人でここに入り、そして命尽きるつもりであった」

「そんな……」

「これは誰にも言えぬ。世界樹との繋がりを知る当代の王が、次の王にのみ伝えるのみだ。そうでなければ、先代からの意思はやがて歪んでいただろう。そして、もうすぐことは為る……はずだった」


 ことは為るとは、このダンジョンを滅ぼすこと?

 それがはずだったというのは……。


「アキオーンさん!」

「そうだ。あの異様な力を持つ者。あのような者の命を食らうことができればダンジョンは息を吹き返す。そう考えたからこそ、余をここに配置し、そして入り込んだお前たちにもそう誘導させた」

「アキオーンさんを殺させるために……」

「……フェフよ。事ここに至るならお前はなんとして次代の王にならねばならん」

「…………」

「お前が余らエルフたちを解放するための長年の努力に土をかけたのだ。その責を……」

「あのう」


 重々しく告げるエルフ王の言葉を、ウルズがおずおずと止めた。


「……なんだ?」


 まさか止められるとは思わなかったのだろう、エルフ王の口調にはわずかに不快さがまざっていた。


「それは、アキオーンさんが勝利した場合はどうなるのでしょう?」

「なに?」

「アキオーンさんは強いですから、勝つ場合だって十分にあり得ますよね?」

「そのようなことは……だが、そうだな。もしそんなこととなったら……」


 少しだけ考え、エルフ王は呟いた。


「余らの悲願の時が来るということだ」




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