第21話
「広い広い、草原を、どこまで、行こう。小鳥の、さえずり、誘う、空へ、どこまで、行こう」
気が付けば私は椅子に腰掛け歌を歌っていた。
私がまだ幼い頃にお母様がよく歌ってくれていた子守唄。
「アッタタター!」
アリシアは元気にはしゃいでいて、ご機嫌のようである。
非常にぼんやりとした意識の中でぽつりぽつりと唄を呟く。
頭も心も空にして、自然と口から溢れるメロディーを口ずさむ。
そうしているうちにまるで走馬灯のように昔のことが脳裏に浮かび始めた。
昔、といってもせいぜい一年くらい前の出来事である。
次々と脳裏に浮かぶそれらの出来事、そのどこを切り取っても、私の可愛い可愛いアリシアの姿がそこにはあった。
産まれて最初の声を聞いたとき、初めて顔を見たとき、抱いたとき、お乳をあげたとき、オムツを変えたとき、私を見つめてくれたとき、私に何かを伝えようとしてくれたとき、微笑んでくれたとき、あなたの寝顔を見つめていたとき。
記憶のどこを覗いても、必ずあなたがそこにいた。
そんなあなたの異変に気付き、私は気付かない振りをしていた。
そんな訳はないと、事実を拒んでいた。
けれど、逃げちゃだめだと思った。
どんな問題だって家族が一緒なら乗り越えていけると思った。
家族と、一緒なら。
家族と。
けれど、一緒にはいられなかった。
想いは、ひとつじゃなかった。
家族は、ひとつじゃなかった。
私の考えは、ただの理想だったらしい。
私の夫は、
オリバーは、
あの男は、
アリシアを、
アリシアをーーーー、
その時、私のなかで何かが爆ぜた。
それはまるで限界まで張り詰めていた糸のようなものが、ついにその均衡を破り激しく空間を裂いたようなそんな感覚。
その際に生じた音と衝撃は私の中で呼応し合いながら次第に激しさを増していき、私の抑止も跳ね除けて手がつけられないほどに巨大なものへと変わっていった。
大爆発。
音と衝撃が限界まで成長し最大の力を持ってぶつかりあった時、大爆発を起こした。
爆発後、私の中には音も衝撃も何もかもが残されてはいなかった。
あるのは寂しささえ感じる深い静寂のみ。
そんな時、寂しげな空虚からひとつの黒い塊が顔を覗かせた。
それは宙にふわふわと舞い上がると、やがて私のもとへと訪れて静かに私の胸へと寄り添ってきた。
どくんっ、と。
私の身体が激しく波打った。
それが触れた箇所が異様に熱くなっていくように感じる。
その熱さは燃え盛る業火のように私の胸を焼いていった。
時間にしてわずか数秒。そのたった数秒の間に業火は私を燃やし尽くし、私の身体にその熱を与えた。
全身に燃え広がった業火はやがて帰るべき場所へと帰るように、とある一箇所へと収束していった。
業火が帰ったのは私の心臓だった。
どくん、どくんと、脈打つ私の心臓の中、決して消えることのない業火は静かに、そして激しく燃え続けた。
燃える心臓で温まった熱き血が全身を駆け巡り、身体の隅々まで熱を伝えていく。
私の身体を焼く業火は収束したはずなのに、体温がどんどんと上がっていく。
むしろ先ほどよりも一層激しく燃え上がっているように感じる。
身体の熱が極限にまで高まる。
まるで身体が融解するような何だか心地よい感覚。
そして、私の心にひとつの感情が芽生えた。
熱く、激しく、燃え上がる、危険なまでに荒々しい破壊的な感情。
こんな気分、産まれて初めてだ。
これが、
この感情がーーーー怒り、なのだろうか。
感情の起伏が極端に乏しい鉄女と呼ばれる私が初めて感じた感情、初めて手にした感情、それが、怒り。
そして、怒りの感情を手にした私は同時に夢を見つけた。
いや。夢というよりも、もっと現実的に願いと言った方が正確かもしれない。
私の願い。
それは、夫であるオリバーとの離縁だ。
私は、あの男と全ての物事において究極的に対極の位置関係にいたいのだ。
そしてーーーー物語は始まりへと還る。
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