バレット・サイン

刻壁クロウ

第一話 脱出

 ゆるり、ゆるり、揺り籠が揺れている。

 甘い香りが心地良く、私を包んでいた。

 ゆるり、ゆるり、揺り籠が揺れていた。

 甘い香りが、胸を焼く。



・・・・・・・・・


 からんからん。

 玄関に備え付けられた来客を知らせるベルの音が、柔らかな日差しに微睡んでいたソルトの目を覚まさせた。

「ただいま、ソルト!!」

 目を擦りながら玄関の方を見やると、愛しい姉が壁からちょこんと覗くように顔を出している。

 それから悪戯っ子のような笑みを浮かべ、彼女は玄関扉に隠れていた左手を掲げた。

「…………ケーキ!!」

「そ、タルト・デ・ブッシュのショートケーキ!!全くもう、手に入れるの大変だったんだから!!」

 お陰で帰りが少し遅くなっちゃった。ソルトの姉……シュガーはそうは言うものの、その表情は如何にも満足げだった。

「…………ね、お姉ちゃん、とっても頑張ったの」

 そしてシュガーは甘えるようにソルトにしなだれかかり、少し疲労を滲ませた掠れた声で言った。

「仕事終わり、すっごく並んだんだから」

 だから、ね?と物言いたげに擦り寄る姉を横目に、ソルトはふ、と息を吐いた。

「いいよ、姉さん。おいで」

 そう言って両手を広げると、シュガーは迷いなくそこに飛び込んできた。

 あまり肉の付いていないソルトの身体では受け止めるのが難しく、後ろに倒れ込んでしまったが……。

「ソルト、ソルト、大好きよ」

 姉は一向に、それに構った様子はない。ただぎゅうっと力強くソルトを抱き留めて、幸せそうにソルトの肩口に顔を埋めて、名を呼んでいる。

 …………姉さんの匂いだ。

 姉に包まれながら、ソルトは姉の香りを感じていた。

 シュガー、その名にぴったりの、砂糖菓子のような匂い。甘く瑞々しい、柔らかな香り。

 白金の髪に混じった、唇と同じ桜色の髪。背丈こそ殆ど同じものの、程良く肉の付いて女性らしい陰影を持つ華奢な体躯。

 それらを全て包み込んだ、この匂いがソルトは大好きだった。姉が私を抱き締めている時だけ側に感じる、ふわりと香るだけの可愛らしい香水の匂い。

 姉さんが、私を愛している証拠。

 これを感じられている間はまだ、私は姉さんに愛されている。

 ほう、と息を吐き、ソルトは姉の柔らかい温もりに酔い痴れた。

 姉さん、姉さん。私も大好きよ。

 そう応えれば、姉は花開くように微笑んだ。

 互いの温もりに溶け合って、どろどろと一つになるような身を焦がす愛に抱かれながら、姉の愛情を、甘いシュガーの香りを全身で感じながら、与えられる温もりに微睡んで行く。

 ソルトはゆっくり、眠りに落ちて行った。



・・・・・・・・


「…………姉さん?」

 夕暮れのような、夜に変わる時の柔らかいようで少しぴんと張り詰めた、そんな空気にソルトはふるりと身を震わせた。

 ぱさりと肩から落ちた薄手のブランケットを拾い上げながら辺りを見回すも、最愛の姉の姿は何処にもない。

 身体にまだ残る気怠い温もりがずんとのしかかった足を引き摺り、覚束ない足取りでよろよろとソルトは長い廊下を歩いた。

 長い、と言っても目と鼻の先だが、いつもいつもこの道は、地平線に辿り着くより遠い。

 揺蕩うような緩やかで橙色の冷たい空気に包まれながら、ソルトは玄関扉、その取っ手に手を掛ける……。

 ガコン、と音がした。

 取っ手自体はすんなりと下がったが、扉が……この家の玄関扉、外と中を隔てる役割をする鍵が、ソルトの進行を阻んでいる。扉は開かない。

 しかし扉に触れる音がしたのにも関わらず姉がすっ飛んでやってこないということは、そう言うことなのだろう。姉は、仕事に出たのだ。

 少し落胆した心地でソルトは来た道を引き返す。

 引き返した先のテーブルには「ケーキが冷蔵庫に入ってるからご飯を食べてから」と書き置きが残してあった。まだ、夕食には早いが……ケーキは、食べたい。

 そう思って冷蔵庫を開ければ、冷蔵庫の中にはろくに手の加えられていない、料理と言うに疑わしき食材達が並んでいる。

 適当に野菜の葉を千切っただけ、更には根菜を切るだけ切っただけのサラダに固いパン。食事というには、あまりにも粗末な代物だった。

 ソルトはその「ご飯」をいつもと同じように冷蔵庫から引き出し、スプーンで味のない野菜を貪った。

 固く、味気のない「ご飯」はソルトにとって好ましいものとはとても言えなかったが、食べなければ生きていけないのだと言われれば、食べるしかなかった。

 ソルトは漠然と、「生きていない」ことは良くないことで、少し怖いことなのだと理解していた。

 夜の暗闇に潜んでいる、おどろおどろしい何かに近しいようなそれは、恐ろしいものなのだと。何より姉がソルトに生きていて欲しがるのだから仕方がない。だから、食べるしかないのだ……と。

 ごり、と口の中で硬い根菜を噛み砕き、ぺらぺらの葉を口の中に突っ込んで、「スープ」と名の付いた水同然のそれで流し込む。

 固すぎるパンはスープに付けて柔らかくしなければ歯が欠けるような代物ではあるが、なまじスープが不味いだけにべちゃべちゃになったパンは更に不味い。食感を裏切らず、吐き気を催す程に不味い。

 …………だが、残せば姉が悲しむのなら。

 ぐちゃぐちゃと、音を立てて咀嚼する。

 咀嚼音は、狭いリビングに反響している。

 味覚を押し殺して、ただひたすら「動かす」ということのみに注力し、ぐちゃぐちゃと咀嚼する。


ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃぐちゃ。


ぐちゃ、


ぐちゃ。



***


 こんな風なものだから、食事は好きではないが、姉が時折買ってきてくれる「ケーキ」は好きだ。

 あれにはまともな味があって、柔らかくふわふわしていて食べることに無理もない。おまけに実に美味しいときた。

 姉が仕事帰りに一度買ってきて、半信半疑で食べたものだったが……ソルトは今まで食べてきた物のどれとも違う甘美で柔らかい、ケーキというものが酷く気に入っていた。

 そのいたく気に入った様子のソルトの反応を見て以来姉は「ケーキが好きなのね」とケーキを買って帰ることが増えた。加減を知らない、と言うべきか、彼女は時には三日連続でケーキを持って帰ってくることもあったが……それでもそれがソルトには嬉しかった。

 ふわりと口中に広がった幸せの味を堪能しながら、姉の帰りを待つ。

 ソルトの一日のサイクルは実に単純だ。

 寝て、姉が用意した食事を決まった時間に摂る。朝は八時、昼は十二時、夜は七時。大抵姉は八時から九時の間に帰ってきて、その姉の帰りを待って、姉を抱き留めて、他愛のない話をしながら姉の腕の中で眠りに落ちる。

 全ては、姉の為に回っていて、姉の居ない時間は「空白」だった。

 だけれどきっと、それで良いのだ。姉の為の私であれば、それで良い。だって姉は朝から晩まで必死に働いて、そのお金で私にケーキを買ってきてくれているらしいのだ。

 働くということはとてもとても大変で、辛いこと。それから私は守られて、姉の庇護の元ここに居るというのだから、守られる私は、姉から貰う幸せを享受しているだけで良い現状を幸せに思うだけで良いのだ。だって……。

 ガララ、と窓の動く音がした。

「…………!?」

 まだ六時なのに、姉が帰ってくる筈がない。それも、窓からなんて。

 鍵のかかっている窓。

 外の景色を見てみたい、と姉に強請ったが怖い顔をして「駄目よ」と釘刺され、ついぞ開くことはなかった磨りガラスの窓。

 きつく言われていた。

 いつも優しくて蕩けるように甘い微笑みを浮かべる姉が、私の肩を揺さぶるようにして言い聞かせたのは、外界の危険性。

 …………外の世界には、怖い人達が居るのだと聞いた。

 もしや窓を開けたのは、その怖い人なのだろうか。そうなのかもしれない。

 そうは思っても、抗えなかった。

 姉が帰ってくる時、玄関扉の隙間から吹き込む外の空気に強く惹かれた。

 外へは行ってはいけない。外の世界のもの全てはあなたを傷付けるのだから、見てはいけない。あなたを守りたいの。そう、真剣な顔で姉は言った。

 私はそんな姉の気持ちを嬉しく思いながらも、少しだけ寂しかった。

 空気が、好きだ。

 外の世界とこの場所を繋ぐ、玄関や窓から少しだけ顔を出してくれ、時間帯によって色や匂いを変えるその温かさに、いつまででも浸っていたくなる。

 それと同じものが、この開かれた窓の外から舞い込んでくるのなら。この狭い部屋の外が、見られるのなら。


 すこしだけなら、いいんじゃない?

姉さんも、今ならまだかえってこないんじゃない?


 気付いた頃にはもう、駆け出していた。

 そんな筈はないが、もしかすれば不意の偶然、それで窓が開いたのかもしれない。

 再び窓が閉じてしまったら困る。

 そんな焦燥に背中を押され、ソルトはぱたぱたと廊下を走った。

 …………よるのにおいだ、と気付いた。

「…………あ」

 そこには、外から吹き込む夜の風に吹かれ、ばさばさと黒い外套をはためかせる男の姿があった。

 彼は細い銀の窓枠の縁に足をかけて、器用にしゃがんでいる。

 その姿はまるでしなやかな猫のような柔軟性を思わせるのに、その足元を見れば黒い光沢の目立つ無骨なブーツ。猫とブーツ、どう考えても噛み合わない組み合わせだが、不思議と外套に隠れていても細身だと分かる少年相応の身体付きが、それを見事に調和させていた。

 ……靡く、金色の髪は月明かりに照らされて、美しく光り輝いている。

 それは、ソルトの無色の瞳の中で、旋律のようにきらきらと流れた。

 綺麗だ、と思った。

「……あ?」

 視線に気付いたらしい。男は首だけで後ろを振り返った。

 その瞬間、ソルトははっと息を呑んだ。

 怪訝そうな顔付きでこちらを見る男の眼は、翡翠と紫紺……片方ずつ、色が違った。

 まるで射通すような、全てを見透かすような妖艶なそれに囚われ、ソルトは動けなくなる。

 ……動く気の、その瞳に映る光景を掻き乱す無礼の、その一切についての気力を失った。

 青々と茂る草木、目一杯に枝を天へと広げた大樹を思わせるような生き生きとした生命力に満ちた翡翠と、夕暮れの物悲しげな橙色の空を拐って空を夜色に染める蠱惑的で、夜にケーキを食べるような、そんな禁忌を犯したスリルに伴う快感のように危険で魅力的で、リスキーな深い紫紺。

 宝石と例えるにはこちらに寄り添うような親しみがあって、しかし猫のような縦長の瞳孔は高貴で高慢。

 俗物には決して及ばない、未知の美麗を湛えていた。

「…………お前、」

 沈黙し、ただただソルトを見定めるように視線の中に捕らえていた青年は漸く口を開いた。彫りの浅い、幼い顔付きだが、その割には目鼻立ちはくっきりとしていて美しい。

 そうして彼は、今までソルトの聞いた姉の声や自分の声とも似つかない、低い声でこう囁いた。

「……人間か?」


***


 おまえは、にんげんか?


 その質問に、ソルトは目をぱちくりとさせた。

 見れば分かるじゃないか。そうとも思ったが……。

 だがしかし、その返答にソルトは迷った。

 確かに、何の生物か、全体的に見て何の集団に属しているか、と言われればソルトは「人間」という生き物の集団に属している。……だが。

 青年がぶつけた問いは、それだけの単純な質問でなく、どこか、ソルトの存在意義、在り方への疑問でもあるように思えたのだ。


 おまえは、にんげんとしていきられているのか。


 そう、問われれば……。

 は、と息をする。

 その瞬間、冷や水をかけられたようにソルトは我に返った。

 私は今、何を考えた。

 いけないことを考えた。

 私は、人間として、一人人間として成立するだけの条件を持って生きられていないのではないか、そうなら私は人間になれていないのではないかと考えたのだ。

 ……そしてその条件を、私から奪った人間が、居るのではないかと考えた。

 …………そんな訳がない。感謝している。愛してる。大好きだ。私はあの人が居ないと生きては行けない。私もあの人も、お互いが一番大切で、お互いしか必要ない。それでいい。それが一番満たされる筈だ。最も優しい時間を、満ち足りた時間を与えられているだけで済む。


 わたしは、しあわせものだ。


「私は」

 ソルトは青年の質問に答えようと、口を開いた。唇は少し乾いていて、ぱり、と貼り付いた上唇と下唇を無理矢理引き剥がした。その刹那……。

 カランカラン、とベルが鳴る。

 帰ってきた。

 姉が、帰ってきた。

「…………どうして、こんな」

 こんな時間に。

 怯えた声で、ソルトは絞り出すように吐き出した。

 時計を振り返れば未だ依然として針は六時を過ぎた辺り。姉が平時帰ってくる時刻には程遠い。

 姉には、こう言いつけられている。

 危ないから、外には出ないこと。

 外を見ることも危ないから、することがなければ窓のないリビングに居ること。

 そして、もし姉以外の人間に出会ったとしても決して口を聞かず、目も合わせてはいけないこと。

 ソルトのことを想って、大切にしてくれているからこそ、姉は厳しくそう言った。言ってくれたのに。

 …………姉が帰ってきた。いつもはこんな時間に帰って来ないのに、帰ってきた。

 そんな現実味のない事実を反芻して、漸く事実を理解した頃。

 かひゅ、と情けない、聞き苦しい嗚咽が漏れた。呼吸を忘れる程の罪悪感と同時に、ソルトは引き摺り込まれるような恐怖で目の前が真っ白になるのを感じた。

 嫌われたら、どうしよう。

 加速度的に全身の血液が爪先から冷えて行き、ソルトは全てが凍り付いて、息ができなくなるような感覚に襲われた。

 食事が人間を生かすのなら、人間でないかもしれないソルトにとって、食事というのは姉の愛。

 姉の愛情が私の血となり肉となり、私は、生きて行けるのだ。

 呼吸をすることも、ケーキを食べることも、全ては姉の愛によって成り立っている。

 だから、姉が私を嫌うことがあれば、姉が、私を見捨てて他の誰かのところへ行くのなら……。

 それは、ソルトにとっての死だ。

 姉の存在以外にソルトには、この世に必要なものはない。

 心が、死ぬのだ。姉がいなければ。

 肉体はそこにあっても、致命的に中身がきっと損傷して、もう二度と戻ることはない。

 はくはくと口を動かし、海を失った魚のように、本能的に足りない酸素を求めて喘ぐ。

 それでも忘れてしまった呼吸を思い出せず、回らない小っぽけな脳みそはソルトを救わない。

「あ、あ、あぁ……」

 致命的な未来の想起に戦慄く唇が、意味を成さない音を羅列する。指先は痙攣し、震えをそのままにソルトはがりがりと首筋や頭を掻きむしった。

 駄目なの。私には、違う。違うの姉さん。私、姉さんがいないと、姉さんが……。

 ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝い、大きく見開かれた目は最早眼前の景色さえ映さない。ただただその目は、自分を嫌いになるだけの、ソルトにとってただ一つだけの「最悪」を延々と上映し続けていた。

 喉の奥から無理矢理中のものを掻き出すような誤った呼吸で、ソルトはこの窓辺で永遠に溺れ続ける。

「えぅ、ひっ、か、かひゅ、ぅ、」

 たすけて、たすけて。おねがい、姉さん。

 崩れ落ち、迫り上がって口内を焼く、胃酸に喉を塞がれる。

 吐き気に嘔吐くのに、何も滾れ落ちないのがいっそ憎々しかった。


 おねがい、おねがいよ。ねえさん、わたしをひとりにしないで、おねがいだから……。


 だれか。


 そんな懇願も虚しく、意識は薄らいでいく。

 首を絞めていた恐怖心すらも遠く、泣き濡れたがらんどうの瞳は希望の光を映さない。

 全てが遠く、遠く、何もかもに置き去りにされて行く。

 ひとり以上になれない彼女は、ひとり以上になることを許されない彼女は、ゆっくり、落ちて行く。

 意識の底に、落ちて……。



 …………唇に、何かが触れる感触があった。

 鷲掴むように顎を支え、細い気道に吹き込むように、冷たい空気が差し込まれる。

 咥内で解けた酸素は、まるで透き通った夜のそれ。

 そしてそれは、すぐにソルトの舌の上で温もりに溶けた。

 上手く息ができず、息をするにつれて上下していた肩が段々と落ち着きを取り戻す。

 重なる唇からは、どこか人のものとは違う、人工的な熱の気配を感じた。

 背中を一定の速度で、優しくとんとんと叩かれる。姉の腕の中に居る時の感覚とは、全く違った。

 緩く抱き留める腕は少し角張っていて、硬い。

 だが柔らかくて、腕の中に収まっていると、落ち着く。何より唇の奥から流れ込む冷気が、ひんやりと心地が良い。

 私の為にこれをしてくれているのだ、と朧げに理解した。

 ぼんやりと朦朧としていた意識が、次第に覚醒して行く。

 そして完全に意識を取り戻すと同時に唇が離れ、男はすっと立ち上がった。

「姉が来る」

その一言にソルトは、はっと自身らが危機的状況にあることを思い出した。

 そうだ。姉がもうじきこの部屋に来る。この人がここに居ると、約束を破ったことがバレてしまうかもしれない。

 この人もきっと、姉に怒られる……。

「ここに隠れてて!!」

「は」

 ソルトは咄嗟にクローゼットの扉を開けて、いや俺は別に隠れなくても機能……と何だか物言いたげにしていた男を構わずぐいぐい押し込んだ。

 そして窓は……鍵は持っていないから鍵をかけることはできない。それでもせめてもの抵抗として、どうか鍵の閉め忘れだと思ってくれと願いを込めて窓を閉めた。

「ソルト、封筒を見なかった?」

 その瞬間、姉が背後の扉を開けてひょっこりと顔を覗かせる。

「う、ううん!!見てないよ!!どうしたの!?早かったね、姉さん!!」

 姉に隠し事をしたのはこれが初めてで、バレはしないかと緊張で声が上擦ってしまう。それはソルトを非常にひやりとさせたが、姉はどうやら「早く帰ってきたから喜んでくれている」ととったようで申し訳なさげに眉を下げた。




 ピピ、と小さく、電子音が響く。

「パニックによる呼吸困難症状……。呼吸ってことは……人間か」

 生体反応はまだ遠い。

 ざっくりとこの家をスキャンしたところ、目の前の女をパニックに陥らせたと思わしき生体反応はこの女と顔貌がかなり似た造りで恐らくはこの人間の姉か妹。向こうの方が1.3cm背が低いが……まぁ、見立てからして恐らくあちらが姉だろう。

 姉の動きから見て大方、何か探し物をしている。複数の引き出しを開けるなどの動作が見られることから、探し物の居場所を姉は理解していない。

 暫く時間がかかるだろう。それに最短で見つけてももこの部屋に辿り着くまでは三分程度かかるだろう。

 …………この家の「玄関」とする場所から姉の部屋、そしてリビングやこの部屋など、妹の居住スペースと見られる区域には、過剰としか言いようのないセキュリティシステムが施されている。

 まあ、幾ら厳重なセキュリティだと言ってもこちとら世界最先端、オンボロセキュリティ如き高速ハッキングと過剰情報を与えればシステムごと三秒で破壊できる……いやそんな対抗心を燃やしている場合ではない。

 時間は有限。姉の到達にはセキュリティシステムの協力もあって時間がかかるとはいえ、姉妹の姉の行動予測と到達時間算出、そしてこの無駄な思考時間で無駄にした時間は五秒、残るは二分五十五秒……。

 見殺しにするのは良い気分ではない。

 いざとなれば透過機能でどうとでもなる。そう思いながら、男は少女に口付けた。



「ごめんねソルト、お姉ちゃん、忘れ物をして戻ってきただけなの。もう二時間は帰れないわ」

 そう聞いて、ソルトは密かにほっと息を吐いた。

「分かった。いってらっしゃい、頑張ってきて、姉さん」

 今度は二時間以内に帰ってこないでね。そう内心密かに願いながらもそれをおくびにも出さず、姉を送り出そうとソルトは手を振った。

 姉の眉がぴく、と動く。

 その表情は驚きにも悲しみにも見えた。だがソルトには、その表情の理由は分からない。

「そうね、頑張るわ。封筒、探してくる」

「うん、私も手伝うよ」

 姉は僅かに気落ちした様子で背を向ける。二人で探した方が早く見つかるだろうとソルトはその後を追った。



「ソルト、封筒。見つけたわ」

姉は茶色の封筒を掲げてそう言った。

「良かったね姉さん、それじゃいってらっしゃい」

 今度こそだ、と手を振るソルトに姉は微笑まない。

 ただそこには、憎しみの形をした深い悲しみが刻まれていた。




「お前、見た目に反して強引だな……。」

 そう呆れた声で男は言った。

 あのクローゼットは内側からは開けられない設計の筈だ。

 昔ソルトが誤って入り込んでしまいどう手を尽くしても内側からでは扉が開かず姉が帰ってくるまで半泣きで姉を呼び続け、救出されるなり姉の帰宅を泣いて喜んだ。そんな難攻不落のクローゼットからさらっと男は脱出を果たし、彼は窓際のベッドにどっかりと腰掛けていた。

「…………出られたの?すごい」

「当然」

 男はしたり顔でピースサイン。それから顔を歪めて、彼は辺りを見回した。

「いやまあしかし、此処はさながら牢屋だな」

「ろーや」

「牢屋」

 ソルトは聞き覚えのない言葉に困惑した。しかし男にとってそれはさして難しい言葉ではないようで、自分だけが知らないようで何となく気恥ずかしかった。

「……あの、ろーやって、何?」

「はあ!?」

 ソルトがおずおずと遠慮がちに小声で聞くと、男は声を荒げて「信じられない」と言うように目を見開いた。

「お前なぁ何処のクソ会社親に持ったんだよ!!とっとと電波解析してデータベースにアクセスして、じぶ、ん……で……」

 調べろ、と語気荒く言いかけた男の言葉尻が弱まって行く。クソ、そうだった、と呟き、男はがしがしと頭を掻いた。

「そうか、お前人間だったな……。悪い、お前うちのポンコツ旧型アンドロイドに似てるから、つい」

「ぽんこつきゅーがたあんどろいど」

「そ、ポンコツ。感情抑揚機能がまともに働かないから感情が滑らかに動かないし、無表情。泣けもしない。好きとか嫌いとかそういう好みも生まれない。意思がなくて、プログラムされた特定の人間から命令されないと何もしないし動かない。命令されたらされたで決まった行動しかしない。応用効かねんだよ。ま、人間にとっちゃ都合良いかもな。使うとしたら労働用」

「ろうどーよう」

 ま、図体でかいとこは似てないけどな……。てかお前人間辞めたのか?さっきからずっとオウムだぞ。と男は冗談混じりに、しかし少し心配気にソルトの顔を覗き込んだ。

 「ポンコツ旧型アンドロイド」「牢屋」「労働用」

 男の発する言葉は難しく、部屋の中の情報のみで生きてきたソルトには、その全てが真新しい。当然、その全てには理解は及ばない。

 だがしかし乾いたスポンジが水を吸収するように、男の言葉……ソルトの世界の外からやって来た男の齎す言葉の一つ一つが、優しい雫となってぽたぽたとソルトの心に染みを作る。

 透明で空虚だったソルトに、色を与える。

「…………牢屋ってのは法に反する行為を働いた罪人に……この言い方は難しいか。牢屋ってのは噛み砕いて言うとな」

 男は視線を彷徨わせて、思考を整理するように言葉を羅列しながら物知らぬソルトに賢明にソルトが「分からない」と言ったそれを教えようとしている。

 …………一度、姉に「外の世界を少しでも良いから知りたい」「姉さんは外では何をしているの?」と聞いたことがあった。

 姉は、何一つ教えてはくれなかった。

 そう。姉は何を聞いてもはぐらかしてばかり。

 あなたは可愛いそのままで良いのと言って、ソルトに何も与えない。与えられるのは、粗末な食事と姉の「愛」だけ。そんなの、まるで。

「牢屋ってのは、人を閉じ込める場所だ」

 かち、とパズルのピースが嵌まっていく。

 霧のような違和感を、掴み出す。

「…………あなた、名前はなんて言うの?」

「あ?俺か。名乗っても良いけど交換条件。お前も教えろ。あと知らねーのかもしれねぇけど、人に名前聞く時自分の名前からな。常識」

 男はびし、と指をさして言った。

 知らなかった外の世界に常識に触れ、そうだったのか、とんだ失礼をしてしまったとソルトは慌てて「そ、ソルト」と名乗った。その素直さに気を良くしたのか、男は「おうよ、お利口さん」とにかっと口角を上げた。

「俺はメロイ、メロで良い。そんで俺は世界最先端、最新鋭の自立思考型アンドロイドだ」

「……あんどろいど?」

「オウム再び……。アンドロイドってのは人間が作った……ロボット、ってのは通じるか?ここんち冷蔵庫あんだろ、ああいうのみたいに人間が作った機械」

 自立思考型で自立学習型、しかも常に自分で情報をアップデートして最新式の状態を保って世界のどんな情報にもアクセスできるハイスペックだぜ?とにやりと笑うメロイ。

 どんなことも知ることができて、自分で考えて、自分で勉強することができるということは、つまり……。

「すごく頭が良いってこと!?」

 ソルトは目をきらきらとさせてそう聞いたが、心なしかメロイは渋い顔をした。

 ま、まあ……いっか、それで……。と若干不服そうだが納得することにして、メロイは話を続ける。流石は最新鋭、飲み込みが早い。

「そんで労働用ってのは……人間がやりたくねぇとか危険だとか、ちまちまとした作業とかを押し付ける為に作った働かせる為だけに生まれてきたロボットのこと」

 辛いこととかは感情ねぇロボットに押し付けるのが丁度良いんだろうな、とメロイは吐き捨てるように言った。

 アンドロイドである彼にとって、利用される為だけに生を受ける同族の話は決して気分の良い話ではなかったのだろう。

 ごめんね、と謝るとメロイはいいや、学習意欲ある人間は嫌いじゃねぇ、と笑った。

 そう言えば、先程のこと……。頭が良くて何でも分かるならと思い、ソルトは疑問をメロイに持ちかける。

「メロ……さん。聞きたいことがあるの」

「呼び捨てで良し。何だ」

 てかリビング行こうぜ、この部屋位置取り悪い……あ、ケーキあんじゃん食って良い?と特に気を害した様子のないメロイに、一瞬呼び捨てにしかけてしまったソルトはほっと息を吐いた。それはそれとしてケーキは渡さない。

「…………姉さんがさっき、私がお仕事頑張って、って応援して手を振ったら凄く悲しそうな顔したの。どうしてだか分かる?」

「ははほへひーへはわ」

「いやごめんなさい分からない」

 何このパン固くね?ケチってんな、とぶつくさ言いながらパンを頬張るメロイに水を差し出すと、メロイはパンごとぐいっと水を飲み干した。

「ぷは、ああそれ聞いてたわ、って言ったんだよ。お前の姉ちゃん「ごめんね忘れ物をして戻ってきただけなの」って言ってたやつな」

 頭が良いと耳も良いのか……とソルトが感心していると、メロイはまたもや味のある複雑な表情をした。

「ごほん、お前んちのパン不味いから変えた方が良いって姉ちゃんに言っとけ……それはさておき姉ちゃんの話だろ」

 確かにパンは不味いが明日の朝用のパンを勝手に食べたのはメロイ自身だろうに。そう思いながら、ソルトはメロイの言葉に耳を傾けた。

「そりゃ、あんなアッサリスムーズに送り返されたくなかったんだろ。例えば、あー……『そんな!!折角帰って来たのにまた行っちゃうなんて!!もっと一緒に居たいわ、行かないで姉さん!!』とか言って欲しかったんじゃね?そうじゃなくてもいってらっしゃいのハグでもするなり」

 メロイはソルトそっくりの……しかしよく聞くと少しだけぎこちない機械音声のように感じる声でわざとらしく言った。不味い不味いと言いながら指に付いたパンの粉をぺろぺろと舐め取るメロイは「てか期待通りの返答が返ってこないからって八つ当たりたぁいただけねぇな。そもそも人間ってのは常にイレギュラーを生むから心がありますってことになんだろ。一切合切期待を裏切らないで欲しいならお前の姉ちゃん、それこそアンドロイドでも飼えば良いのにな。俺みたいな高性能じゃなく、ポンコツ」と興味なさげに言った。

 その時、ソルトの心の中ですとん、と何かが落ち着いた気がした。全てのパズルが、カチリと嵌まったような気がした。

 あの時初めて見た、姉の表情……。


***


「姉さん、お帰りなさい」

「ソルト!!遅くなっちゃったのに、待っててくれたの?」

 姉はリビングで帰りを待っていたソルトの姿を見留めるなり、ぱっと顔を明るくしてソルトに駆け寄った。そんな姉に向けていつものように腕を広げてやると、彼女はいつものようにその腕の中に収まる。

 甘い香りが広がって、ソルトは多幸感に包まれた。

 いつも通り、いつもと同じ、繰り返しのような幸せな日々。変わらない、停滞した愛おしい日々に姉は幸せそうに華やぐ笑顔を弾けさせる。

 大好きだと告げれば、姉は心底嬉しそうにソルトを抱き締めた。

 私を守ってくれる、大好きな姉さん。

 姉さんの為だけに生きている、私。

 嬉しそうな、顔。

 …………故にソルトは、確信した。


***


「メロ」

 ガラリと窓を開けると、待ってましたとばかりにメロイがするりと隙間から飛びこんで来る。

 そして着地するなり、メロイはソルトの顔を見て不敵に笑った。

「…………顔付きがポンコツじゃなくなってきたな」

 ヒュウ、とメロイが口笛を吹く。

 その口笛は、窓の外の青い空に何処までも天高く伸びて行った。


***


 玄関扉を開けた瞬間、家の中がひんやりとしていることに気付いた。あの子には、空調の操作などできない筈。そう思った瞬間、ぞっとした。

 空調設備は全て、「私の部屋」にある。私の部屋には、入れない。そして当然窓も開けられない、施錠された全ての「外に繋がる門」を封じられたソルトが空気の入れ替えなんぞできる筈もない。

 だが、確かに聞こえる。肌で感じる。

 風の舞い込む、寒冷の風鳴りが。

 冷たく肌を刺す、冷ややかな外気が今、この家に満ち満ちている。

 ひゅるるる、と吹く風の音に誘われるように、シュガーはよたよたとリビングに向かった。



 …………カーテンが、揺れている。

 半透明の遮光膜の向こう側で、静かに街並みが咲いていた。

 月光に照らされる女は美しい。

 私の選んだ白いネグリジェと翡翠混じりの私と揃いの綺麗な髪が、風に靡いている。

 窓は全て、開け放たれていた。

「どうして」

 放心したように、シュガーはひび割れた声を漏らした。大きく見開かれた虚ろな瞳は戸惑いと無理解に包まれ、シュガーは目を閉じる。

 深く、深く息を吐き、ゆっくりと持ち上げられた瞼の下に宿っていたのは、打ち震える程の静かな怒りだった。

「……どうして、お姉ちゃんの言うことを破ったの」

 ソルトは答えない。

「…………窓を開けちゃいけないって言ったわ。それにソルトあなた、そう言ったら「うん」って言ったじゃない。……そうでしょ?」

 ソルトは答えない。

「カーテンもよ。開けちゃいけないって言った。それにつぎはぎに縫ってあったでしょう?どんなに偶然があっても、開けようと思わなきゃ開かないの。お姉ちゃん、あれをするのは凄く大変だった。苦労して用意したのにそれを壊されたお姉ちゃんの気持ち、分かる?」

 ソルトは、答えない。

 シュガーの額に青筋が走る。

「ソルト、どうしてこんなことをしたの?」

 あくまで静かに、しかし秘めやかな怒気を孕んだ声でシュガーは彼女に聞いた。

 妹は、答えない。

 ただ深い、真っ青な月の青に包まれながら冷然と姉を見つめていた。

「────ッ、いい加減にしなさいよ!!」

 パン、と頬を張る、威勢の良い音が響いた。

 そうまでしても、叩かれた左頬が痛むだろうにソルトの表情は全く変わらなかった。

 それを見て、シュガーの表情は愕然とした、深い絶望に落ちるようなものへと変わる。そして「あああああああああああああ」と子供が癇癪を起こすようにがりがりと頭を掻き毟り、シュガーは顔を覆った。

「どうして、どうして私、私こんなに頑張ったじゃない!!こんなに頑張ってるじゃない!!なのにどうしてこんなに何もかも上手くいかないの、どうして神様は私にだけこんなに意地悪にするの!!パパ……ねぇパパ!!何で私を裏切るの!?何で私に嘘を吐いたの!?どうして私を、ソルトを守ってくれないの!!」

 こんなのおかしいでしょう!?こんなの酷いわ!!そう金切り声を上げるシュガーは、涙も枯れたような赤い目をして、囁くようにソルトに言った。

「ねぇソルト……私、あなたが大好きよ。ねぇ、本当に外の世界は危険なの。辛い思いをするし、お姉ちゃんにも頼れなくなるわ。会えなくなるの。そんなの辛いでしょう?そんなの苦しいでしょう?あなたは外の世界になんかきっと耐えられないわ。だから」

 お願いよ。

 そう縋るように優しい声で言って、シュガーは最後にこう言った。

「……私、あなたを愛してる」

 それはいつもの、決まったやり取り。

 姉が私のことを大好きだと言い、私はそれに私もだと返す。

 そうすれば両想い。誰一人、外の世界の何者でさえも割って入れない二人だけの世界で愛し合っていられる。

 誰も傷付かない、誰も孤独にならない、幸せな世界……二人の愛の、確認。

 姉は誘っているのだ。まだ、引き返せるのだと、やり直せるのだとソルトに語り掛けている。

 返答の「愛している」は復縁のサイン。カーテンの下手くそな縫い目と同じように、壊れてしまった姉妹の愛を再び紡ぐ、ケーキのように甘美で艶かしい花園を象った誓約書。

 一生離れないという、姉妹の絆の証明書。

 私をここまで育ててくれた、私をここまで愛してくれた、私をここまで必要としてくれた、私が姉の期待を裏切って尚、まだ私に期待をしてくれる優しくて愛おしい姉さん。

 姉さんは私に多くの物を与えてくれたけれど、私は姉さんに何一つ与えることはできなかった。

 そんな姉さんが、今の私にたった一つ。心から、否心が砕ける程望んでいる「たった一つの答え」があるのだ。

 ………返事はもう、決まっている。

「愛しているわ」




銃声。


***


 はっ、はっ、と白い息を弾ませ、ソルトは約束の場所へと走った。

『零時までは待ってやる。魔法が解ける前にここに来いよ、シンデレラ』

 そう冗談めかして言った……正直しんでれら、だとかまほうがだとかの内容はよく分からなかったが、メロイと約束した午前零時はまだ遠い。

 だがそれでも、とソルトはろくに運動をしていないせいでもつれそうになる脚を叱咤しながら、懸命に走った。

 …………愛しい姉は、あまり約束を守らない。

 今日は早く帰るわと言っていつもより遅く帰ってきたり、その逆も然り。約束を守れないところは姉妹で似たのかもしれない。私も姉との約束を守れなかった。

 だから約束の午前零時、それより前に魔法が解けてしまうのではないか、嘘みたいに現れた機械仕掛けの魔法使いが靄のように消えてはしまわないか、そんな風な想像がこの身を駆り立てた。

 予感があるのだ。この夜を掴み取れなければ、この夜を逃してしまえば、もうソルトの望んだものはもう二度と手に入れられない。

 ぐいぐいと、焦燥に転びそうになる程背中を押される。それでもソルトは走った。

「……はあ、……はあ……」

 鉄錆の味がする。

 心臓は今にもソルトの胸を打ち破らんばかりにばくばくと高鳴っていた。荒い呼吸をそのままに、ソルトは立ち尽くす。

 右へ曲がって、左へ行って、そこから右。

 そんな適当にも程があるような紙切れに描かれた地図が示していたのは、裏道の寂れたグリルステーキ屋。

 テラス席どころか店内も閑散としていて、忙しなく動く店員の後ろ姿がなんだか物悲しい。

 穏やかな月光の下。

「よお、早かったな姉不孝者」

 夜の涼やかな風が、にやりと笑うメロイの黄金の髪を静かに揺らしていた。

「ここの主人、メカ好きだからアンドロイドっつったら毎回半額に割り引いてくれんだよ。わるーいジジイだな」

 昔は秘密組織でブイブイ言わせてたんだとよ、そう言いながら切り分けたステーキを頬張るメロイ。

 不意にその視線がこちらを向き、メロイはぎょっとした顔をした。

「お、お前、確かにポンコツ卒業したなとは言ったけど、こんなとこでも卒業しなくても……!!」

 肉か?肉!?そっかお前あのクソマズパン食って生きてきたのか……!!悪かったって!!と見当違いにわたわたとメロイは慌てて薄いステーキを切り分け始める。

 そんな焦っておろついた様子が面白くて、ソルトはふふ、と笑みを漏らした。

 軽く足を動かせば、じゃり、と足元の小粒な石が音を鳴らす。

 裸足に小粒な石が刺さって皮膚は悲鳴を上げるが、そんな痛みはどうだって良かった。

 頬を伝う液体は、月の光に照らされて七色に光っている。

「ほら、これやるから……」

 そうメロイは眉尻を下げて、ソルトに切り分けたステーキを先に付けたフォークを差し出した。スプーンと少し似ていて全く違う形状のそれにソルトは目をぱちくりとさせて、首を傾げる。

 その先には見たことのない、何かの塊……どうやら食べ物らしいが。

 物は試しだ、度胸が肝心とも言う。

 そう香ばしい匂いに誘われて、ソルトはぱくりとステーキに齧り付いた。それは……。

「……ケーキより美味しい……!!」

「何その判断基準」

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