さっさと死んでよ、電子ジジイ
鳥辺野九
第1話
電子ジジイが死んだ。
この突然の報せを僕はすぐに理解することができなかった。先週土曜に電子ジジイとオンライン対戦したばかりだ。
電子ジジイってのはRPGのモンスターや新種の妖怪とかじゃない。コンピュータ時代を生き抜いた僕の祖父の二つ名だ。
その訃報が、ひと夏の冒険の始まりだった。
八月。夏休みに入って一週間目。そろそろ本気を出してきた夏の暑さから逃げるようにエアコンの効いたリビングでゲームをしていた時。
お母さんがびっくりしたようなまん丸い目で言った。それはよく耳にする日本語のはずなのに、まるで言語不明な暗号のようで、その意味を解読できなかった。
オジイチャン、ナクナッチャッタ。
お母さんは何を言ってるんだろう。おじいちゃんならいつだってネットにいる。無くなるわけがない。
僕はゲーム機にフレンド登録してあるおじいちゃんのタグを呼び出した。そこには薄灰色のフォントで『三日以上オフライン』とあった。
そういえば、先週の土曜にオンラインで遊んでから繋がっていなかったかもしれない。ただお店の仕事が忙しいだけじゃないかな。
そして猛スピードで夏休みの予定が書き換えられた。夏休み最大イベントである家族旅行の行き先もお母さんの実家へと急遽変更された。お通夜とお葬式、その他諸々後片付けのために一週間ほど遠征することになる。新幹線を乗り継いで県を五つも跨ぐ大移動だ。
小学生の僕は喪服なんかよりも黒っぽい格好なら何でもいい。そう言ってお母さんは僕のリュックサックに着替えを押し込んだ。他に夏休みの宿題、課題図書、お気に入りのゲーム、スマホやゲーム機の充電ケーブルなんかを詰め込む。
僕はふと思った。わくわくしながら荷造りしている僕がいる。おじいちゃんの葬儀だと言うのに変な話だけど、どこか奇妙な高揚感が抑えられなかった。
『夏休みと電子ジジイのお葬式』だなんて蠱惑なワードがいけないんだ。まるでオンラインRPGの夏休みイベントじゃないか。いかにも電子ジジイが企画しそうなイベントだ。
お母さんの実家へ出発する前夜、こっそりゲーム機を立ち上げてフレンド機能でおじいちゃんのタグを確認してみた。
やっぱり電子ジジイはオフラインのままだった。
再び猛威を振るった新型感染症のせいで他県への旅行が自粛ムードであったため、お母さんの実家へ里帰りするのは二年半ぶりだ。
「あらあらー、
すっかり魚市場のおばちゃん化したお母さんのお姉さんは、おじいちゃんのお通夜だというのにやけにはしゃいで見えた。前に会った時は僕はまだ小学一年生で今はもう四年生。自覚はないけどそりゃ大きくもなるさ。
「まあまあ、理来くん遠くからよく来たね。お腹空いてない? おやつとジュースあるよ。その前におじいちゃんにお線香あげようか」
世話好きなお母さんの叔母さんにとってはお母さんはいつまでもドジっ子な姪っ子らしい。僕だけじゃなくお母さんの分までおやつとジュースを用意してくれた。お父さんにはビールをすすめた。仕事があるからって大叔父さんに取り上げられたけど。
「おじいちゃんはな、三途の川まで歩いていくんだ。人は死んじまったらお線香の煙しか食べられない。しっかりお線香の煙を食べて、三途の川を渡る体力をつけるんだ」
ちょっと何言ってるかわからない大叔父さんは電子ジジイの弟分。少し寂しそうに、だけど楽しそうにマッチの点け方やお線香の火の消し方を教えてくれた。
おじいちゃんは白い木の棺の中にいた。お線香の匂いはおじいちゃんがよく吸っていたタバコの匂いと違ってそんなに煙たくはなかった。
人がいっぱいいて賑やかなおじいちゃん家で棺の中のおじいちゃんだけ時間が止まっていた。まぶたひとつ動かないおじいちゃんを見て、僕は思った。
おじいちゃんは無くなったんじゃない。亡くなったんだ。
初めてのお通夜、そしてお葬式。親戚の大人たちはみんな忙しなく動き回っている。
お父さんは魚市場のおじいちゃんのお店の魚を動かすのに男手が足りないって連れてかれた。豊洲市場のニュースとかでよく見る電動ターレを運転出来るって嬉しそうに大叔父さんに引っ張られて。
お母さんは大叔母さんにやたら可愛がられつつもきっちり指導を受けてお通夜に出す料理の仕込みに駆り出された。喪服に着替える暇もなく普段なら着ないエプロンを装備させられて。
僕はと言えば。お葬式で小学生にできるお手伝いもなく、お通夜でも足手まといになるばかりで、誰もいないリビングでゲームでもしていたら、と放置されて。
ここは電子ジジイの領域だ。さすがにオンライン環境は整っているだろう。早速ゲーム機を起動してネット環境を調べようとしたら。
電子ジジイのタグが白く瞬いていた。見れば『30分前からオンライン』と白いフォントが輝いている。
ほら。やっぱり電子ジジイはネットでいつものようにオンラインゲームで遊んでる。僕はそう思い込んで、おじいちゃんの棺が安置されている部屋に行ってみた。
ひと夏の冒険の予感はそこにいた。
時間が止まったままのおじいちゃんを静かに見下ろす一人の女子中学生。青が混じった墨絵のような黒い髪は長く、そのせいか中学校の制服であろうブラウスがやけに白く光って見える。
ハッと息を飲むように驚いて僕に振り返る。黒のリボンタイが跳ね、濃紺色したプリーツスカートがくるり翻った。まん丸く見開かれた黒い目は僕を睨むように見据えて、大きめのスマートグラスが拡張現実機能を作動させてるのか青白く明滅する。
その手に僕と同じタイプの電子ジジイのゲーム機を持って、従姉妹の
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