第7話 チュニジア地区
アフリカ大陸に侵攻し、エクノモス岬の戦いで勝利を収めた際、近くにある無人となった小さな集落で風変わりな神像を見つけた。
「カルタゴ人が信仰するバアルとかいう神ではないか? 奴らはよく使用する動物神のようだし。」
「確かに…。」
長い鼻、大きな耳、口の両端にある巨大な牙。
ただ触手のようなものもついており、”象に似た別のもの”という形容がしっくりする。
「カルタゴ人の死体を積み上げて、墓標代わりにコイツを乗せてやったらどうだ? きっと喜ぶだろうよ。」
下卑た笑いが飛び交う。
いつ死ぬか分からない一兵卒の些細な楽しみだ。
レグルス執政官率いるローマ軍はアディスの戦いにも勝利し、チュニスに駐屯していた。
功績を横取りされたくない軍司令官のレグルスは、歩兵1万5千を中心に、両脇に騎兵を展開しカルタゴ軍に対峙した。
中央にいるカルタゴのファランクスを警戒していたが、その前に戦象が突撃してきてローマ軍は瓦解した。
聞けば相手の指揮官は傭兵だと言うではないか。
「くそっ…無事なのは左翼だけか。……撤退だ!」
早々に遷移喪失して逃げた者もいて、陣地は混乱を極めた。
「エンリケ! 串刺しにされる前に船に乗り込むぞ!」
「わ…分かった。」
切り裂かれた腕を縛り上げ、慌てて海側へ向かって走る。
「ラニウス、司令官は…。」
「さぁな…。俺達の近くに陣取っていたわけではないし。」
武器を捨てた者、怪我をしている者等、様々な様子の兵が船に乗り込んだ。
「今まで快勝だったのに…。」
呻いている者、押し黙る者の中でエンリケはポツリと呟いた。
「…エンリケ。そいつを持ってきたのか?」
ラニウスの視線の先には、跳ねた血で赤く染まったあのカルタゴの神像が兵士の間に置かれていた。
「バカ言え。俺は左腕は利かないし、右手は剣を握っていたんだ。あんなもの掴めやしない。」
「じゃあ誰かが持ってきたのか…?」
ラニウスが不思議がるのと同時に、象が変化し始めた。
眼に光を帯び、鼻がぶるりと震えると、その像は突然膨れ上がり、見上げるほどの大きさになった。
船縁にいて、危うく身を投げ出しそうになった兵士は、隣の兵士に文句を飛ばそうとして、初めて船上にある異形に気が付いた。
「何だ…それ…。」
言うや否や、兵士は触手に絡めとられ押さえつけられる。
「ひっ! 誰か…助け…。」
異様なものが動いている光景に、誰もが息を呑み動けずにいたが、その生ける像が兵士の骨を折り、腹に鼻先を押し付け、音を立てて血を啜り始めると全員が恐慌状態に陥った。
海に落ちて逃れようとする者。
手にする剣や槍で兵士を助けようとする者。
怪物から逃れようと船首や右舷に移動する者。
「止めろ! 船が傾く!」
「ファビウス! 誰かファビウスを助けてくれ!」
「剣では歯が立たん! 石のような硬さだ。」
備わった触手で次々と兵士を捕らえ、捻り上げ、生き血を啜る地獄のような光景は、すぐさま他の船にも伝播した。
恐怖のあまり皆で櫂を懸命に動かすが、奇妙なことに件の船から離れることが出来ない。
見れば船尾に触手が巻き付いている。
触手の先にある船は既に悲鳴が途絶え、化け物は新たな獲物がいるこの船に乗り込んでくるところだった。
「化け物が来る! このロープみたいなモンを切り落とせ!」
怒号が飛び、何人かが試みるがやはり武器は通らず、次々と貪られていくのであった。
ローマに無事逃げおおせたのは僅か2千人。
早い段階で逃げ出した者達のみ。
残りの船は全てチャウグナル・ファウグンの餌場となって海洋に沈み、この時ローマは線状の死者と併せて5万人の軍勢を失った。
カルタゴの神によって滅せられた では外聞が悪いため、沈んだ船については海難事故として扱われた。
そしてこの時カルタゴの神バアルは邪神と称されることとなったのだ。
船と運命を共にしたチャウグナル・ファウグンは再び石化し、眠り続ける。
沈没船の財宝として引き上げられ、人間の近くに身を置けるようになる、その日まで。
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