第5-14話 仙境

「……桃?」

『ただの桃では無い。仙境の桃ぞ』


 晴永はるながは口角を持ち上げ、いやらしい笑みを浮かべてる。

 仙境の桃なる単語を、さも常識のように言われても当然、俺は知らないわけで。

 俺がまだ赤ちゃんだった時に母親から読み聞かせてもらった昔話のどこかに出てきたような気もするが、覚えていないのだ。


「それ、何?」

あるじ、桃太郎を知らんのか』

「いや、知ってるよ。桃から生まれるやつでしょ」

『否。桃を食べて、老夫婦が方だ』


 晴永はるながが静かに首を横に振る。

 なんだそれ……と思い返してみれば確かに、そんな話があったような気がする。


 とはいっても、それは現世の記憶じゃない。前世の記憶だ。

 SNSか何かで回ってきた与太話の中で、見た気がするのだ。子どものいなかった老夫婦が桃を食べて若返り、なんやかんやあって……桃太郎が生まれたという話を。


 俺の目に確信が浮かんでいたのだろう。

 晴永はるながが静かに続けた。


『あの時、川上より流れてきたのが仙境の桃である。あれはよろずに効く薬でな。一度かじれば、喉が溶け落ちてしまうほどの甘味という話よ』

「味はどうでも良くって……それを食べれば、心が治るの?」

よろずに効くと言ったであろう。一口、食せばたちどころに明るくなり、二口食べれば不老になり、三口食べれば不死となる』

「不老不死になるの?」

『そううたわれている』


 晴永はるながの口ぶりからは、嘘をついているようには思えない。

 だから、それはのだろう。でも桃太郎のおじいさんとおばあさんが不老不死になったという話は聞いたことがないんだけどな……って、今どうでも良くて……。


「それが、ここにあるの?」

『ん? 美濃であろう。そうであるなら、仙境があるはずだ』

「……なんで?」

 

 言っていることが頭の中で繋がらず、俺が問い返すと彼は逆に意外そうに聞いてきた。


あるじ、もしやそもそも仙境を知らんのか……? 莫大ばくだいな魔力の溢れ出る土地には、妖刀鍛冶が住む。遺宝を『変化』させられるだけの魔力を人の身で持っているのは遥か『第七階位』のみよ。故に、人の身ではなく産土神うぶすながみの力を使う。ここまでは知っているだろう』

「……半分は、初耳だけど」


 妖刀鍛冶師たちが地脈のあふれる土地に工房アトリエを設けると言っていたのはレンジさんだったか、イレーナさんだったか。


 あの時はどうして工房をそんなところに作るのだろうと思ったわけだが……いまの話で解決した。そして思わずもう1つの疑問、妖刀鍛冶師たちはどうやって遺宝を『形質変化』させるのか、という問いにも答えが出た。


 彼らは地脈の魔力を使って『形質変化』を起こしているのだ。

 だから、地脈のあふれるところに工房アトリエを用意する必要がある。そうでなければ刀が打てない。遺宝を変化させられないのだろう。


『では、その魔力は来ていると思う?』

「…………地面じゃないの?」


 俺は思っていたことを、そのまま答える。


 夜の川では源泉に含まれている魔力が光っていた。

 温泉に魔力が濃く含まれるとレンジさんが言っていた。


 だからてっきり俺は、地脈というものはマグマみたいに地面の中を流れているものだと思っていたのだ。


 しかし、晴永はるながは俺の答えに対して首を横に振って否定した。


『そうとすれば、世は既に“魔”で溢れているだろう』

「……だったら」


 頭の中で考えを結びつける。

 いや、結びつける必要など無い。


 ここまで来れば答えは、1つだ。


「仙境の魔力が流れ出して、地脈になってるってこと?」

しかり』


 俺が確信を持って視線を上げると、晴永はるながは大きく頷いた。


『そも桃太郎の話は備前ビゼンであろう? あるじも知っての通り、備前は五箇伝ごかでんの1つ。美濃と同じく名の知れた刀の産地である』


 いや、それは知らないけど。

 というか俺の語彙ごいの中にある備前は備前焼くらいだ。どこだよ、備前。


『備前にも妖刀鍛冶がいた。当然だ。桃太郎は

「つまり……仙境の桃が流れ出て、それを食べた人がいたってこと? 現実に?」

『然り。故に妖刀打ちたちが住んだのだ』


 晴永はるながが頷く。


 桃太郎が現実にあった話だと急に言われても、中々に信じがたい。


 信じがたいのだが……そもそも、俺はこっちの世界ではシンデレラや白雪姫がだと思っている。それほど、祓魔師が使う魔法とおとぎ話の中にある魔法は似ているのだ。


 だとすれば、日本の昔話もそうなんじゃないのか。

 桃から生まれる話も、その他の話も、現実にあったんじゃないのか?


 というか、海外の話がそうだというなら日本の話もそうだと考える方が道理が通っているじゃないか。


「その、仙境の桃を食べれば良いとして……」

『うむ』

「どうやって、手に入れれば良いの?」


 一番大事なところを尋ねたら、晴永はるながは肩をすくめた。


『分からぬ』

「……え?」

『我が知っているのは伝承ぞ。そも、取り方を知っていたのであればムシなぞに頼らぬ。不老不死になれるとうたわれる仙境の桃を食していたであろう』

「…………そう」


 若干、腹立たしいことに「それもそうだな」と思わず納得してしまった。

 こいつが本当に仙境の桃を食べていたら、氷雪公女はあんなことにならなかったわけで。


「本当に知らないの?」

『むしろ、我が知りたいほどよ』

「……そっか」


 だとすると、今のこいつに聞くことはもうない。

 俺は晴永はるながに「ありがとう」と伝えて彼の身体をほどいた。


 しゅるしゅると目に見える魔力が糸になって散っていくと、琥珀色の遺宝がことりと手元に転がり落ちる。それをネックレスに戻して、俺はベッドに横になった。


 晴永はるながに聞くのは良い考えだと思ったんだけどなぁ……と、思いながら天井を見上げる。


 見上げていると、ふと思った。

 もしかして、あの妖刀鍛冶師なら何かを知っているんじゃないのだろうか。


 そう思って目をつむると、今日の昼の出来事が思い返される。

 ニーナちゃんを置いていけと迫った、あの老人の顔が。


 そんなものが思い返されたものだから、思わずため息がこぼれた。


「教えてくれるかなぁ……」


 一番の問題は、そこである。

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