第5-07話 ひとつかみの休息:下
「無理はするなよ」
「うん」
サウナに入るという流れに父親はNoと言わず……俺たちは、温泉に併設されているサウナ室に向かった。
「ちゃんとしたサウナは、やっぱりこうじゃないとね」
「あつっ!」
レンジさんがそう言いながら扉を開くと、ありえないくらいの熱風が顔を殴りつけてきた。
もう前言撤回して温泉に浸かっていたいのだが、ここまで来たら乗りかかった船である。
俺が意を決して中に入ると、迎えてくれたのは大きな空間。20人くらいは受け入れて座れそうなサウナ室には、テレビがあって呼吸をするたびに鼻が焦げるんじゃないかと思ってしまう。
「良かった。時間が時間だから誰もいないね」
「思ったより広いな」
「もう1つのサウナ室はここより熱いけど、4人までしか入れないらしい」
「ああ、小屋のやつか」
そんなサウナ室を奥に進む二人。
そして互いには理解できているのであろうサウナトーク。
話の内容が全く分からない俺は父親たちを見習って、ビート板みたいな素材の板を取る。
これ何に使うんだろう……と、思っていると父親たちが、それを敷いてから上に座っていた。
「イツキくん。サウナマットを敷いて座るんだよ」
「……ん」
これサウナマットって言うんだ……。
初めて知った知識を頭に入れて、サウナマットに座る。
座った瞬間に、じわっ……と、熱気が全身を包んだ。
数度、呼吸をするとゆっくりと汗が吹き出してくるのが分かる。
というか、まず何よりも息がしづらい。タオル越しに呼吸をしてるみたいだ。
「限界になる前に、ちゃんとサウナから出るんだよ」
「……ん」
「出たら水風呂だけど……イツキくんだったら、冷水シャワーでも良いんじゃないかな」
うわ、出た! サウナーの謎儀式!!
サウナから出たら冷たい水を浴びるというのは、サウナとセットで語られているがまったくもって理解できない。と、思っていたのだがついさっきレンジさんから言われたことを思い出す。水風呂に入って副交感神経を云々かんぬん。
もうここまで来たらサウナのセットを全部やってしまおうと思いつつ、俺はレンジさんに大事なことを尋ねた。
「いつまでいればいいの?」
「そうだな。限界だと思ったら、かな」
何だよそれ。
しかし、レンジさんが俺に嘘を教えてきたことはない。
無いので、言っていることが正しいんだろう。
……本当に?
俺はそのまま座って深呼吸を続ける。
呼吸を続けていると、だんだんと心拍数が上がっていくのが分かった。
汗が流れ出していくのも分かる。持ってきたタオルで汗を吹くと、サウナの熱がより強くなる気がするので拭くのを辞めた。
父親も、レンジさんも、何も言わない。沈黙が場を制する。
いや、それは分かる。喋ると口の中が焼けるんじゃないかと思うほど熱くなるのだ。
そうして、座っていると思考がまとまらない。
途中まで考えた思考が熱さで止まり、再び再開しても実にならない。
ならないけれど、サウナがストレス解消になるというのであれば……俺には、1つだけ気になることがあるのだ。
「ねぇ」
テレビの音に負けないくらいの声量で、俺は2人に聞いた。
「サウナがストレス解消になるのなら……ニーナちゃんにも、効くかな」
「どうだろうな……」
俺の問いかけに、真っ先に答えたのは父親だった。
いつにも増して重たい声で、続けた。
「サウナは……眠りやすくするためでもあるし、精神を落ち着かせるためでもある。だが、根本的治療に使えるものでもない」
「……そうだね、宗一郎の言う通りだと思う」
もし上手く行けば……と、思ってそう聞いてみたのだが、2人から返ってきたのはそれぞれ別の答え。
「ただ眠りが心を癒やすこともある。そういう意味では、サウナを使うのもありだろうな」
父親の言葉に、俺はそうなってくれれば良いと思った。
ニーナちゃんが癒やされるのであれば、それで。
俺はそのまま無言になって、座り続けること8分。
「僕、ここで出るね……」
ついに限界を迎えた俺はそれだけ言って、外に出た。
温度差がぐっと身体を引き締める。そのままレンジさんの言っていた通り水風呂に入ろうと思ったら……。
「ふ、2つある……」
水風呂が2つあった。
その水風呂には温度計がついており、それぞれ水温を表示している。
1つは17℃、もう1つは7℃。
試しに7℃の水風呂に手を突っ込んでみると、
「ひっ!?」
とてもじゃないが、入れるような温度じゃなかったので、17℃の方に身体を流して入る。足を入れた瞬間に全身が震え上がった。嘘でしょ。これに全身入れるの? 正気??
しかし、やってみないと何も始まらない。
俺はそのまま意を決して水風呂に全身を沈めた。
沈めた瞬間、呼吸が止まった。
息ができない……!
と、思ったのもわずかの間。だんだんと慣れてきて、逆に……気持ちよくなってきた。サウナで全身が熱くなってるからか、むしろ水風呂の冷たい温度が心地よい。
そうして水風呂を楽しんでいると、父親がサウナから出てきた。
出てきて水風呂を見ると、
そして、サウナと同じように沈黙が包む。
しかし、今度はそう長く続かず……父親が勢いよく立ち上がった。
「イツキ。外に行こう」
「外?」
「外気浴だ」
何その森林浴の亜種みたいなの……と、思いながら父親の後ろをついて外に出ると、椅子がいくつか用意してあった。それに露天風呂のお湯をかけて、座る。座ると水風呂で冷えた身体が、じんわりと熱を持ってきた。
しかし、その熱を風が撫でて奪っていく。
それがとても、気持ち良い。
しばらくそうしていると、なんだか全身の力が抜けてきた。
ぼーっと、何も考えられない脱力が全身を包む。
それに身をまかせていると思考がとろみを帯びて、時間感覚が溶けていく。一呼吸が早いんだか遅いんだか分からなくなってくる。思考することがめんどくさくなってきて、ただ目を瞑って呼吸をすることだけが気持ちよくなってくる。
「……整ったな」
父親がぼそりと言う。
これまで全く意味の分からなかった言葉だが、今なら分かる。
……なるほど、これが整うってことか。
入れようと思っても力が入らず、自分が空気と一体化したんじゃないかという気持ちになってくる。
しばらく俺がそのまま沈黙を保っているとレンジさんもやってきて、外気浴のベンチに腰掛けた。
座ったまま、同じように沈黙を保っていると……真横にいたレンジさんが、ふと口を開いた。
「ねぇ、イツキくん」
「うん?」
「アヤを頼むね」
俺はレンジさんの言葉の意味が一瞬分からず、わずかに間を空けてから、
「……うん。任せて」
そう、答えた。
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