第5-06話 ひとつかみの休息:上

 部屋に荷物を置いて、俺たちは温泉に向かった。

 タオルくらいは持っていった方が良いのでは……と思ったのだが、大浴場にタオルが置いてあり、自由に使って良いとのこと。


 世の中、そんなタオル使い放題の温泉があるんだと思いながら脱衣所に向かうと、確かにそこはタオル取り放題。俺が本当に小学生ならタオルで遊んでいた。


 昼過ぎという時間が時間だからか他に客はおらず、父親とレンジさんのいかつい身体が見られることは無かった。


 というか、この二人が傷だらけなのは顔だけではなく身体もそうなので銭湯などでも目立つ目立つ。もちろん身体に入れ墨が入っているわけではないので、温泉などで入浴NGが出るわけではないのだが、それでも……ねぇ?


 前世の俺が温泉に入っている時に、こんないかつい2人が入ってきたらすぐに逃げていただろう。そういう自信がある。


 俺が父親の身体を見ていると、不思議そうに首を傾げられた。


「どうした? イツキ」

「ううん。なんでもないよ」


 

 しかし、改めて見ると父親の身体の傷の凄いこと凄いこと。

 胸のところには火傷みたいな痕が残っているし、右腕には皮膚が引き裂かれたような傷。左肩には逆に、ぽつぽつと丸い傷がある。前、一緒に風呂に入った時に聞いたのだが、モンスターの攻撃が肩を貫通したときの傷らしい。


 他にもお腹とか、足とか、背中にも傷がある。

 長い間、モンスターと戦ってきたことがここまで分かりやすい身体もそう多くない。


 一方で、レンジさんの身体は父親ほど怪我の数は多くない。

 だが……1つ1つの大きなものが多い。それこそ顔に入っている縦の切り傷とか、胸の真正面に真横に入っている大きな切り傷とか。なんだか『風刃カマイタチ』で斬ったら、こうでもなるんじゃないかと思ってしまう。


 そして、こういう傷痕を見ると俺もいつかそうなるのでは……と怖くなってくる。


「どう、イツキくん。昔は女の人が祓魔師をやれなかった理由も分かるだろ?」

「……う、うん」


 祓魔師の中に根強く残る男尊女卑。

 男が祓魔師になり、女は後ろで支えるという家父長制みたいなものは、色々なところで感じていた。例えば『七五三』のときの会合とか。


 けれど、この2人を見ていると……それもあながち悪い選択肢ではなかったんじゃないかと思う。


 アヤちゃんや、ニーナちゃんが、こんな痛々しい姿になるのは嫌だ。

 それになにより傷を負うのは身体だけではない。


 心に負うことだって、あるのだから。


「時代遅れだぞ、レンジ」

「宗一郎には言われたくないね」


 そう言い合う父親たちを眺めながらかけ湯を流し、身体を洗ってから温泉に向かう。

 地脈が云々うんぬん、エネルギーが云々うんぬんという話を聞いていたのだが、別に温泉自体は普通の温泉というか……魔力が濃いとか薄いとか、そういうのはさっぱり分からなかった。


 ただ鼻をつく温泉の臭いだけが、今いる場所が銭湯じゃないことを教えてくれる。


「……大丈夫かな、ニーナちゃん」


 地脈エネルギーというのが本当にあるのであれば、ニーナちゃんの心は少しくらい回復しているだろうか。していて欲しいと思うが、こんな程度で治る傷なら最初から癒えているだろうとも思う。


「どう、イツキくん。温泉は」

「……あんまり、エネルギー? を感じないなって」

「ああ、君は魔力が多いから分かりづらいのかもね」

「レンジさんは、分かるの?」

「んー。普段入ってる家のお風呂よりは、多いかなってくらいかな」


 そう言いながらお湯を手ですくい上げるレンジさん。

 本当かいな。

 

 俺はちょっと怪しげにレンジさんを見ながら、水に意識を向けてみる。

 しかし、やっぱり俺には他の水との違いが分からなかった。


 魔力を感じるには方法が2つある。1つ目は『導糸シルベイト』や『妖精』のように形を作ったとき。他人のものを見るには俺のように『真眼』を持っている必要があるが、自分で作ったものなら祓魔師であれば誰だって見える。


 そしてもう1つが直接、身体に触れて分かる魔力のだ。魔力が触れると、そこがあったかく感じるのは万人に共通している。しかし、当たり前なのだが温泉のお湯は温かいので、それが魔力の熱なのか、お湯だからあったかいのか。その区別が今の俺にはつかない。


 だから俺には温泉に宿っている地脈のエネルギーとやらが分からず、眉をひそめることしかできなかった。


「でも、分かったところで何かに使えるわけでもないからね」

「……むむ」


 レンジさんにそう言われて、ちょっと唸る。

 唸ってから何かに宿魔力を意識したことが無いことに思い当たった。


 一応、俺だって色んなところに魔力が宿っていることくらいは知っている。

 そもそも魔力がどういう風に回復しているかというと特に意識せずに生活すれば良いのだ。息を吸う、ご飯を食べる、水を飲む。そうすれば、身体の中に魔力が貯まる。


 3歳までにやってきた『魔喰い』のトレーニングで感じたことだが魔力は身体の外にあるものを内側へと取り込むことで貯まるのだ。


 もしかしたら、その辺……使い方があったりしないだろうか?


 ぼんやりと俺はそんなことを考えながら、お湯を眺めた。


 例えば外にある魔力を操ることが出来れば、俺は魔力を消費せずに魔法を使うことができるんじゃないだろうか?


 どうだろう。試してみる価値はあるかも知れない。


 なんて、そんなことを考えていたら父親がやってきた。

 ざぶん、とその巨漢がお風呂に入るだけでお湯があふれる。このあふれた分のお湯が体積と同じになるのだと、理科の先生に教えてもらったばかりだ。あの先生は、無事だろうか。


 思考が悪い方に走っていくのは、俺の良くない癖で……それを自覚したタイミングで、父親とレンジさんが立ち上がった。


「よし、行くか」

「うん。行こう」


 言葉が無いのに通じているのが怖いところである。


「どこ行くの?」

「サウナだ」


 薄々そうじゃないかな、と思っていたのだが父親からは思っていた通りの答えが返ってきた。

 

「俺とレンジは入ってくるが……イツキは、ここにいても良いぞ。小学生がサウナに入るのは危ないからな」

「ミストサウナくらいだったら良いんじゃないか?」


 俺は前世の時からサウナとサウナーが良く分からなかった人間である。

 そもそもどうしてき好んで熱いところに入りたがるのかが分からない。あんな熱いところに入ったところで、身体に良い訳がなくない……?


 と、サウナという単語を聞くたびに思ってしまうので、そのまま聞いてみることにした。


「ねぇ、パパ。サウナってそんなに身体に良いの?」

「ふうむ。イツキにはまだ難しいかも知れないが……サウナは身体にかせるものじゃないぞ」

「え、そうなの?」

「ああ、サウナは精神メンタルを癒やすものだ。ストレス解消だな」


 そういえば、レンジさんも祓魔師のストレスにサウナが効くって言ってたな。


「イツキくん。サウナってのはね、意図的な緊張とリラックスを繰り返すんだ。詳しくは交感神経と副交感神経の話しになってくるんだけど……。サウナはね、過剰な緊張――つまりは、過敏になった交感神経を抑えてくれるんだよ。正しくは熱くなった後に水風呂に入ることで、副交感神経を優位にしてくれるんだ」


 ん、ん〜??

 見かねたレンジさんが捕捉してくれたのだが、さっぱり分からない。


 いや、言っていることは分かる。俺だって交感神経が興奮している時で、副交感神経がリラックスしている時に働くってことくらいは。


 でも、なぜ、それがサウナに入れば……の話になるのかが分からないのだ。

 そんなことを考えていると、穏やかにレンジさんが続けた。


「まぁ、でもイツキくんはまだ小学生だしね。無理して熱いサウナに入らないほうが良いよ」


 ……うぬ。


 確かにそれはそうなのだろう。

 俺はサウナになんて入ったことがないから、進んで入ろうとは思わない。


 思わないのだが、そうして自分の興味を進んで閉じて目を瞑っていたのが前世の俺だ。

 現世ではなるべく色んなものに挑戦すると決めたのだ。


 だから俺は、ぐっと決意してから口を開いた。


「僕も入ってみるよ、サウナ」

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