第3-30話 契約

 氷雪公女と契約をすれば収まるとは言え、話はそう簡単には進まなかった。


 状況が状況なので、父親とレンジさんに話を通さなければならなかったからだ。

 とはいえ、父親の方は割とすんなり通った。


 氷雪公女に起きたことを説明して、契約を『分かった』と言って頷いて、それで終わり。

 そんな簡単で良いのか、と思ったけど父親は俺が嘘をいていないと思ってくれたのだろう。


 だが、問題はレンジさんの方だった。

 レンジさんは氷雪公女が本当にアヤちゃんに危害を加えないかを心配して、延々と氷雪公女を問い詰めた。


 いや、問題というのも変な話である。

 何しろレンジさんの方が、普通なのだから。


 そんなレンジさんはアヤちゃんと入れ替わった氷雪公女を相手にして、2、3時間くらいは話し合っていた。

 俺は途中までレンジさんと同じ部屋にいたのだが、白雪先生が『契約陣』を作るからと別室に向かったのでその後を追いかけた。だから、全部の話をちゃんとは聞いていない。


 ただ、契約陣を作ってから元の部屋に戻るとレンジさんもアヤちゃんも笑顔で話し合っていた。結論だけ聞けば、人を傷つけないという契約を結ぶのであれば問題ないと判断したのだと。


 まぁ、その辺でどうにか落とし所を見つけるしか無いとは思う。


 そういえば氷雪公女ってアヤちゃんの身体から出られるのかな。

 その辺は機会があれば聞いてみよう。


 俺はアヤちゃんを前にして、そんなことをふと考えた。

 一方で俺の横にいる白雪先生は作ったばかりの『契約陣』を机の上に出して、レンジさんに契約文章を確認してもらっている。


 この契約陣だが、作り方は面白かった。

 というのも、この文章を書くのに使ったのがなんとびっくり墨である。墨というのはあれだ。書道で使う墨汁のことだ。


 現世の小学校の授業でも書道があるらしいが、やるのは3年生から。

 なので墨を見るのは前世の中学生ぶりである。本当に久しぶりに見た。


 墨をすずりるのだが、りながら『導糸シルベイト』を使ってちょっとずつ魔力を流し込む。そうして、魔力を溶かし込んだ墨汁を作るのだ。

 

 それで文章を書き、紙の下の方によく分からない模様を書いて終わりである。

 このよく分からない模様というのは円形の幾何学きかがく的な模様で、魔法陣に見えないこともない模様である。


 最終的にその模様部分に契約主……今回だと氷雪公女の魔力を流して、『共鳴』させることで契約を結ぶらしい。


 便利だなぁと思う反面、確かに準備に時間がかかるしモンスターを祓うのには直接的に役に立つ魔法ではないので『刻術コクジュツ』が廃れてしまうのも分からなくもない。


 契約事項に目を通しているレンジさんを見ながら、俺の横で父親が一言漏らした。


「珍しいこともあるものだ」

「どうしたの?」

「氷雪公女のことだが」

「うん……?」


 俺は父親が何を言いたいのか分からず首を傾げると、優しく父親は教えてくれた。

 

「“魔”に触れ続けた人は『生成り』になる。そうなった者は祓わなければならない。誰かを殺すよりも前にだ」

「……うん」


 その話は、ヒナを助けるときにも父親から聞いていた。

 

 非情だな、と思う。

 でも祓魔師として多くの人を助けようとしている時に……モンスターになった人の話を、どこまで聞けば良いのか。俺には分からない。難しい話だと思う。


 だからモンスターになった人の言葉には耳を傾けずに、祓ってしまう祓魔師がいるのも理解はできる。

 1つミスして死ぬのは自分だからだ。

 

「しかし、氷雪公女は話の限り……祓魔師と出会うまでは誰も殺さなかったのだろう」

「うん。殺さなかったよ」


 俺は思い出そうと思えば、今でも思い出せる。

 氷雪公女が人を前にした時に抱いたどうしようもない飢えと、それを抑え込む理性の強さを。


「そんな“魔”は……伝承でしか聞いたことがない。そして、今は子供を守るために人と契約を結ぶという。まるで、おとぎ話でも見ているようだ」

「……うん」

「全ての“魔”がそうであればと期待したくもなるが……無理だろうな」

「そうだね」


 父親の理想に、俺は頷いた。


 氷雪公女を見て他のモンスターも彼女みたいに分かり合えるんじゃないかと思ってしまうのは、あまりに理想論すぎるだろう。彼女みたいに言葉が通じるモンスターなんていないし、人を襲わないように自分を抑え込める理性を持っているモンスターはもっといないのだから。


 そんなことを思っているとレンジさんが契約文を読み終えて、白雪先生に紙を渡し返す。


 特に契約内容に修正は無いみたいで、契約陣を受け取った白雪先生はアヤちゃんにお願いして氷雪公女を呼び出した。


「こ、これが、契約内容です」

「読ませろ」


 氷雪公女は白雪先生から書類を奪うようにして手に取ると上から下まで目を通す。

 その視線の動きを2、3度やると書類から顔をあげた。


「これで良い」

「わ、分かりました。では契約としましょう」


 白雪先生はそう言いながら、『導糸シルベイト』を編み出して自分の親指に絡めた。

 そして、契約文書の最後にある謎の円形模様にぎゅっと親指の腹を押し付ける。


 その瞬間、墨で描かれた模様に光が灯って、脈打った。


 なんか生きているみたいだ……と、俺がその書類を眺めていると、白雪先生は氷雪公女に向き直ってから優しく伝えた。


「氷雪公女さん。親指に糸を絡めてください。か、絡めたら……ここの契約紋に押印してください」

「こうか……?」


 そう言いながら、氷雪公女は同じように糸を指に絡めると俺に向かって見せてくる。


 それに俺が頷くと、氷雪公女は白雪先生と同じように親指を押し付けた。


 昔、テレビかSNSだったかで同じような光景を見たことがある。

 あの時は刀で自分の親指の腹を切ってから、押し付けていた。こういうのなんて言うんだっけ? 血判けっぱん??


 名前は確かじゃないけど、そんな感じだったような気がする。


 そんな魔力を使った血判が書類に刻まれた瞬間に、契約条項から緑色の『導糸シルベイト』が溢れ出すと氷雪公女を守るように包み込んだ。


 それはまさに一瞬の出来事で、瞬きした瞬間には既に『導糸シルベイト』は消えている。


 だが、だからと言って氷雪公女の何かが変わったわけでもない。

 少なくとも、見た目に関して大きな変化は無いように見える。


「これで、あなたは人に危害を加えることができなくなりました。破れば最大魔力の9割を失います」

「意味のない契約だ。私はアヤさえ守れればそれで良い」


 そういって両腕を組んで言い切った氷雪公女は、『用は済んだ』と言わんばかりにすっとアヤちゃんの中に消えた。

 そんな光景を見ながら、俺は自分のポケットの中にある『雷公童子の遺宝』に手を伸ばす。


 そういえば、氷雪公女は第六階位で元は人間だった。

 ハルナガは……まぁ、あれは“蟲”だが、人が作った存在であることには変わりない。


 だとすれば、雷公童子こいつはどうなんだろう。


 俺はふとそんなこと考えた。

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