第2-19話 箱!箱!!箱!!!

 目の前にいるモンスターのことをどう表現すれば良いだろうか。


 まず痩せ型、そして上半身は裸。

 そして見えている上半分にはびっくりするくらいのタトゥーがビッシリと入っている。


 そんな父親とは違う意味で厳ついモンスターは『ムンクの叫び』っぽいポーズを解除して、まっすぐ父親を指差した。


『入室する時はノックするのがマナーッ! 着替え中だったらどうするのッ!!』


 バン、と壁を叩いてヒステリックに叫ぶモンスター。


 どうするの、ってことは上半身が裸なのは別に着替え中ってことでもないのか……?


 面食らった俺は思わず目をまたたかせた。


「マナー? 勝手に学校に巣食っているお前がマナーを語るのか?」

『学校は税金で立てられてるの。誰のものでも無いわ』

「“魔”は税金を納めてないだろう」


 父親は淡々と言葉を紡ぐと、月明かりが差し込む『理科準備室』の中に一歩踏み込んだ。


 それを見ていたモンスターの片頬がぴくりと震える。

 

 まるでそれは、思春期の子供が自分の部屋に親が勝手に入っているのを見つけた時みたいな、隠しきれない苛立ち。


 俺も父親の後ろを追うようにして、準備室の中に入った。


 佐藤先生が言うには数十年は開けられていないという話だったが、変な臭いがすることもホコリが溜まっているということもない。


 部屋の中はビーカーや、壊れた人体模型や、学校ならどこにでもあるようなスチール製の収納棚が置いてあるだけだ。


 だが1つだけ変なところがあるとすれば、収納棚の扉は全て剥ぎ取られており、棚の一番上には2つのルービックキューブが並んで飾ってあった。


「問答をするつもりはない。ここに2人の教師が来たはずだ。答えろ」

『えぇ、来たわよ。私の部屋ところに。人間らしく不細工で、惨めで、可哀想だったから、素晴らしくしてあげたの』


 モンスターがそう言った瞬間、月明かりが静かに光を強めた。


「素晴らしく……?」

『えぇ、素晴らしくしてあげたわ。人の身には、余るほどに』


 その光はスチール製の棚を冷ややかに照らすと棚の中にあったキューブを照らし出す。さっきまで俺がルービックキューブだと思っていた、それを。


『大きい方の祓魔師。貴方は知ってるかしら。この世で一番美しい形を』

「…………」

立方体キューブよ』


 最初に見えたのは、髪の毛だった。


 黒い髪の毛が箱の表層に浮いているのが見えた。

 筋肉なのか血液なのか分からない赤い色が箱を作っていた。

 箱の表面にはでろりとした黄色い脂肪がまばらに見えた。


 それに何より、箱の表面にほとんどそのままの形を残している唇があった。大きな眼球が1つあった。


 そんな箱が2つ、スチール製の棚に飾ってあった。


『一片5cmの立方体キューブこそが、この世で最も美しく完成されたボディ! 不細工で可哀想だったから人間には持ったないほどに素晴らしく』


 モンスターが紡いだ言葉はそこまでだった。


 突如として、俺の前に立っていた父親の姿が消えた。

 目の前の景色から消えたのだ。


 次の瞬間、モンスターの身体が後方に吹き飛んで壁に激突。


 バゴッッ!!!


 遅れてモンスターが窓ガラスに衝突した音が俺の鼓膜を揺らした。


 腹の底が震えてしまうような音と共に、扉のガラスと窓ガラスが全て木っ端微塵に砕け散った。飛び散ったガラスが、月の光を反射して雪のように舞った。


 そして衝撃を殺せず、背後に大きな円形状の衝撃痕クレーターを生み出す。その中心で、モンスターが大きく身体を屈めた。


「なるほど、理解はした。ならば」


 パキ、と砕け散った窓ガラスを踏んで父親がさらに前に進む。


 後ろ姿しか見えないが、その声に怒りはない。焦りもない。ただ、祓うべきものを祓いにきたという覚悟がある。


「気兼ねなく祓えるというわけだな」


 父親の左足と右腕には『導糸シルベイト』が巻き付いていた。


 さっきの動きは速すぎて『身体強化』を使っていない俺の目だと完全に捉えきれなかった。


 だが何をしたのかはわかる。


 いまやったのは『躰弾テイダン』――相手の懐に飛び込んで、全体重を乗せた一撃でモンスターの胸を殴り抜いたのだ。


 その証拠に壁に半分ほど身体がめり込んでいるモンスターの胸は、大きく凹んでいる。普通の一撃じゃないのは明らかだ。


 しかし、モンスターは黒い霧にはなっていない。まだ死にきっていないのだ。


 モンスターが何かをしでかす前に祓おうと父親が『導糸シルベイト』を伸ばした瞬間、


『痛みはぁ――あいッ!』


 モンスターが叫んだ。


 刹那、モンスターは壁に『導糸シルベイト』を放つと四角形に斬り取って脱出! グラウンドに向かって落下していく!!


『愛こそが痛み! 痛くて痛くて苦しいものよ!!』


 そう言いながら落ちていくモンスターに向かって、俺はまっすぐ魔法を構えた。


「イツキ?」

「僕がやるよ」


 遠距離は俺の得意な距離だしな。


「『焔蜂ホムラバチ』」


 ごう、と炎が燃え上がった。

 俺の生み出したのは炎の槍。それが音の速さでモンスターに向かって放たれた。


 そのまま貫いてモンスターを木っ端微塵にする……そう思った瞬間、俺の魔法が空中で『導糸シルベイト』に絡め取られた。


 そして、ぎゅるりと回転すると、みるみる内に圧縮されて炎のキューブになる。


 まただ。またあいつの変な魔法だ。

 魔法を、『導糸シルベイト』を、そして人間をキューブにする不気味な魔法。


『うゥン! これが“”。究極は、シンプルにこそ宿る! 分かるかしら? 分からなくても結構ォ! 分からせてあげる!』


 モンスターの手から『導糸シルベイト』が伸びる。


 それに対するように俺の早撃ちクイックショットが飛ぶ。


 モンスターの『導糸シルベイト』と、俺の『導糸シルベイト』がぶつかる寸前、俺の身体を掴んで父親が『理科準備室』から地面に飛び降りた。


 それによりモンスターの『導糸シルベイト』が空を切って、天井にある白熱灯に触れた。瞬間、白熱灯が立方体へと圧縮される。


 ……なるほど。

 俺は今し方起きたことを見て、モンスターの魔法を理解した。


 こいつのやっているのは、物体の『形質変化』である。


 魔法には……いや、日本の魔法は大きく2種類に分かれる。『属性変化』と『形質変化』だ。


 中でもこのモンスターが使うのは後者。

 

 しかし、ただの『形質変化』ではない。

 物体の形質を変化させる『形質変化』なのだ!


 それを異質な魔法に思うだろうか?

 だが、違う。異質ではない。


 俺はその魔法を使ったことも、使われたこともあるからだ。


 森で戦ったモンスターが使ってきたドングリ爆弾。あれがそうだ。


 莫大な魔力によって、物体の形質を侵食して書き換える。

 暴力的なまでの魔力があるから可能な技だが、種が分かってしまえば後は何も驚くことはない。


 俺の『導糸シルベイト』はすでに放たれているからだ。


『やだァ! そんな生意気な目で見るんじゃないわよ! 分からせたくなるじゃあないの!!』


 そう叫ぶモンスターに向かって。


 飛ばすは紫電。爆ぜるは雷鳴。

 まっすぐ放たれた雷に意識を向けたモンスター。



 刹那、『導糸シルベイト』が雷に飛んだ瞬間、俺の魔法がキューブに変化していく。


 それで良い。形はどうだって良い。

 必要なのは、そこに置いてあるということ。


『1辺が5cm。それ以上より1mmでも長くても、短くてもダメ。ぴったり5cmが最も美しい形よッ! 小さい祓魔師!』


 そんなことを言うものだから、俺は静かに教えてあげた。


「うーん。だったら、その雷は綺麗じゃないんじゃないかな」


 ――バズッッツツツ!!!!!

 

 俺がそう話しかけた瞬間、雷球――いや、キューブだから雷箱と呼ぶべきか――のモンスターに向かって、雷が落ちた。


 事前に設置し自動で敵を貫く俺の設置型魔法――『機雷』は、何も最初から設置しておくことが強みではない。


 このように魔法が放たれるまでの時間差ラグがあることで、油断したところを叩くというのもまた、強みの1つである。レンジさんには避けられてしまったが。


 ぶすぶすと全身から黒い煙をあげているモンスターは、俺の魔法なんかには驚いた様子も見せずにこちらに片手を上げて言った。


『随分とかましてきたわね、小さい祓魔師。アンタ――愛に溢れているわ』

「お前は何を言っているんだ」

 

 そして、父親に潰されて黒い霧になった。

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