18,1 童咋沼の河童 Kappa
友だちがカッパにさらわれたかもしれない。
オレと友だち……サユちゃんっていうんだけど。
オレたちは
で、サユちゃんが、最近ヘンなコト言うようになったんだよ。
「カッパを見た」って。
確かにこの町にある”
そんなコト、信じられるワケないよな!?
でさ、そんなのいるわけないじゃんってサユちゃんと口ゲンカになっちゃってさ。
そしたらいつのまにか、学校に来なくなって……。
サユちゃんの家に行って聞いても「ハヤリ
オレ、あやまりたいのに。サユちゃんを信じなかったコト。
そうしてる間に二週間も経ったんだ。
先生に聞いてもサユちゃんは「病欠だ」って何も教えてくれなくてさ……。
家に行ってもすぐにおいかえされる。
オレが子どもだからダメなのか?
あんたたちはそういう事件にくわしいってネットで見た。
お願いだ、オレと一緒にサユちゃんを探してくれないか???
件名:
投稿者:カナタ
「依頼人はカナタくん、I県童咋町に住む小学六年生です。このメールが届く二週間前……つまり、今から三週間も前にお友達のサユちゃんが行方不明になったそうです」
目的地へ向かう列車の中で、ぼくは依頼の確認を行った。
ガタゴトと揺れる四人席の向かいに座るのは、いつものように先輩――じゃない。
「童咋沼の河童……ね」
神妙な面持ちでそう呟くのは真っ赤な口紅が似合う理系美女。
そう、小山
以前、彼女の親友の自殺の謎を解くという依頼を受けてから時々話すようになった間柄。
今回は遠方まで泊りがけの調査ということで、保護者としてついてきてくれたのだ。
と――いうのは表向きの理由。
実際は、”心霊スポット巡り”が趣味の小山先生からすれば、”童咋沼”という場所はいつか行きたい場所だったらしい。
そうしているうちにぼくのところに依頼のメールが来て、しかも一週間後に秋の連休のタイミングが重なった時期。
「依頼人は誘拐犯の正体が河童だと考えているわけね。私はあまり河童というのは詳しくないのだけれど……それこそ、西遊記の
小山先生はぼくに向かって微笑んだ。
美人に笑顔を向けられると、さすがに同性でもドキリとしてしまうものがある。
ぼくはドギマギしながら答える。
「え、ええと。まず沙悟浄は河童じゃありません」
「そうなの?」
「本来は水底にすむ仙人だとか妖怪……みたいなイメージなんです。中国だと妖怪も修行すれば仙人になれるので、妖怪仙人とでも言えばいいんでしょうか。とにかく、日本で一番知られている水棲の妖怪が河童だったので、日本に最遊記を伝えるにあたって河童の姿を与えられたんですよ」
「一種の
「でへへ、それほどでも」
美人に褒められてつい気持ち悪い笑いが出てしまうぼく。
イカンイカン、先輩をバカにしてられないな。
こほん、と咳払いをして続けた。
「河童は古くからほぼ日本全国に伝承される妖怪です。18世紀以前は統一された名前や姿はなかったようですが、19世紀から20世紀にかけて統一されたイメージが確立されていったようです」
「統一されたイメージって、つまり霊長類と両生類をあわせたようなシルエットとか。緑の体色とか、頭の皿とか、手足の水かきとか、クチバシと甲羅を持ってるとか、そういうコト?」
「そうですそうです。あとは、好物はキュウリ。友好的なエピソードも多いですが、たまに人を襲って”
「尻子玉?」
「人のお尻から玉みたいなモノを抜き取って、やる気とか気力を失わせる効果があるみたいですよ」
「へぇ、面白いわね。つまり尻子玉というのが人のやる気の源という解釈なのかしら。それが”河童のミーム”ということなのね」
小山先生はウンウンと頷いた。
ぼくはドキリとしてしまった。彼女の美しさに、ではない。
”ミーム”という言葉を用いたことに、だ。その言葉は、ぼくのお父さんの専門分野だったし、お父さんが所属していた組織”ファウンダリ”が用いるものでもあるからだ。
「あ、あの……いま”ミーム”って……?」
おずおずと尋ねるぼくに、小山先生はさらりと答える。
「文化的遺伝子、ということよ。私だって生物学専攻だもの、ドーキンスくらい読むわよ」
「ああ、そういうことですか……」
「そういえば大学生の時、ミーム論の勉強をしたことがあるのだけれど。その時すごく革新的な論文を読んだことがあったっけ。『遺伝子と同様にミームが新たな生物を生み出す可能性がある』だのなんだの。荒唐無稽だけどどこか説得力があって印象に残っているわ。論文の著者は確か……比良坂……」
そこまで言って小山先生はハッとして目を見開いた。
「珍しい苗字だと思ったけれど、もしかして比良坂さんと関係が?」
「はい……たぶん、父です」
ぼくは以前『きさらぎ駅』に迷い込んだ時、いろいろあってお父さんの研究内容を知った。
お父さんは学生時代に”ミーム論”の研究で評価を得て、”ファウンダリ”という組織に雇われたのだという。
そこで”ミーム”に細胞を与えて想像上の生物を創造するというとんでもない実験を繰り返していたらしいんだけど、その研究成果はすでに消しさられた。
”ファウンダリ”と、他でもないお父さん自身によって。
だから小山先生が触れた論文は、学部生時代のお父さんが書いた、まだ核心部分に進んでいない段階のモノなのだろう。それ故、残されていたんだ。
「すごいわ、こんなところであの論文の著者が誰だったか知れるなんて! ねぇ比良坂さん、今度お父さんにあわせて貰えないかしら? いろいろと聞きたいことがあるの!」
「あ、えっと……すみません。父はもう……数年前に」
若干興奮気味だった小山先生も、その言葉で察したのだろう。
「そう……ごめんなさいね、無神経だったわ」と追求をやめた。
「いえ、気を使ってくれなくても大丈夫です。もう吹っ切れてますし、むしろ嬉しいです」
「嬉しい?」
「お父さんはすごい人だったんだって、最近いろいろあって知ることができたので。小山先生から見てもお父さんがスゴかったんだって言ってもらえて、なんか自分が褒められているみたいで」
「……そうね。あなたのお父さんはすごい人だわ。誇りに思うべきよ」
小山先生はそこまで言って、ちょっと意地悪に笑う。
「まあ、娘のほうはもうちょっと生物のテストをがんばるべきだと思うけれど」
「もぉー、旅行中なんですから勉強のことは言わないでください!」
「ふふふ、ごめんなさい。職業病が出ちゃったのかしら」
二人、顔を見合わせて笑った。
ガタンガゴトン、列車が走る。まだ目的地にはつきそうにない。
到着まで女二人、話は続いた。
「
「どうしてですか?」
「私は民俗学に詳しくないから、あくまで生物学の視点から考えるのだけれど。河童に襲われた人間は、肛門から球体を抜き取られる……という伝承なのよね?」
「そうみたいです」
「それって水死体の姿を表しているんじゃないかしら」
「す、水死体……俗に言う”どざえもん”のコトですか」
「そうね」
「22世紀からタイムマシンに乗って現れた猫型ロボット――」
「それはドラえもん」
沈黙。スベった。こういう時、先輩ならノリツッコミしてくれるんだけど、小山先生はバッサリ派だった。
小山先生はしょうもないギャグに厳しいとわかった。これは収穫かもしれない。
雰囲気に耐えられなかったのか、小山先生は話を続けた。
「生き物の死体というのは、時間が立つと肛門括約筋が緩んで開いてくるものなのよ。普通は死後すぐに処置が施されてそう酷い見た目にはならないんだけれど……水死体のように事故死で発見が遅れたものは、体内に腐敗ガスが溜まって膨らんできて、肛門から一気に噴出されることでぽっかり穴があいたようになることがあるわ」
「肛門が大きく開いた水死体……確かに、あたかも水の中の怪物に襲われてお尻から何かを抜き取られたように見えますね」
「河童が人から尻子玉を抜き出す、という伝承は、水死体の姿を見た人々が河童の仕業だと考えた結果生まれた迷信なんじゃないかしら」
「なるほど……説得力がある説ですね」
まるで先輩みたいな鮮やかな推理だった。
だけど重要なのはここからだ。
「先生は、今回の依頼をどう考えていますか?」
「そうね、依頼してきた男の子には悪いのだけれど、正直言って単なる行方不明事件なんじゃないかと思っているわ」
小山先生はカバンからタブレットを取り出してぼくに見せてきた。
それは、警察庁の発表している行方不明者の年間データだった。
「警察庁がこういうデータを公開しているのだけれど、これによると一年間で日本全国の行方不明者は8万人程度ということになる。依頼者は小学六年生だから11歳から12歳程度よね。となると10代のデータを参照することになるわ」
先生がタブレットを操作しながら説明を続けた。
「ほら見て、10代の行方不明者は年間で15000人以上。人口10万人に対して100人以上という計算になるわ。童咋町の人口は……」
タブレットの画面が移り変わる。それによると、童咋町の人口は5万人とのことだった。
「つまり、人口比で考えると年間50人の10代が行方不明になっていてもおかしくない……」
戦慄した。
日本は平和だと思っていたけれど、数字でまとめるとこんなに行方不明者がいるだなんて初めて知った。
ぼくのこわばった表情を察したのか、小山先生は柔和に笑いかけてくれる。
「あら、脅かしちゃったかしら。ごめんなさいね、これってあくまで行方不明者の件数であって、そのまま失踪宣告された人の数ではないのよ。実際に所在確認すらされていない人は年間1000人程度まで減るわけだし、たいていは行方不明届の受理当日に生きて発見されているわ」
「そ、そうなんですね。はぁー……安心したぁ」
そんなぼくの様子を見て「優しいのね」とクスクス笑う先生。
「比良坂さん、あなたはいろいろな人の依頼に向き合ってきた。ネット上に公開している報告書である程度活動は把握しているつもりだったけれど、実際に同行するとあなたを深く知れるわね」
「恥ずかしいですよぉ、先生に情けない姿見せちゃって」
「恥ずかしくなんかないわ。そんなに親身になって他人の安否を心配できるだなんて、なかなかできることじゃないわよ」
「そうなんですか?」
「特に大人になってしまうとね……よくもわるくも、他人に無関心であるほうが楽だと感じてしまうものよ。比良坂さんのように赤の他人のことまで気にしていたら、心が疲れてしまうから」
「……やっぱり褒めてませんよね?」
「褒めてるのよ。心の底から。あなたみたいな生き方って誰にでもできるモノじゃないから」
「うーん……」
やっぱり腑に落ちない。
確かに先生は真剣にぼくを褒めてくれているみたいだけど。
ぼくはむしろ――。
「ぼくはむしろ、小山先生みたいな理知的なカッコイイ大人に憧れますよ。落ち着いてて、うろたえたりしなくて。怖いものなんて何もない、みたいな」
「あら、何かを怖いと思うのは想像力の発露よ、怖いものがない人間なんてつまらないだけだわ」
「そうなんでしょうか……」
わからなくなった。
ぼくは右隣を向く。
そこには――目を閉じてうつむく先輩が座っていた。
列車移動を開始してからずっとこのままだ。
最近はずっと学園祭実行委員会の活動で疲れていただろうから、そっとしといてあげようと小山先生と話し合って眠りっぱなしになっていたのだ。
とはいえ、時間から言ってもそろそろ目的地が近い。
「先輩、ねぇ先輩」
彼の肩に触れて揺り起こす。
ずいぶん疲れているようで、なかなか目を覚まさない。
額に汗を浮かべて、なにか難しい表情をしていた。
「先輩、起きてください、先輩!」
「……っ……なんだ、もう着いたのか……?」
「もぉ先輩、そろそろ目的地ですから準備してくださいね」
「ああ、すまない」
こうしてぼく、小山先生、そして先輩の三人はそそくさと下車の準備を始めた。
ついに童咋町に到着。今回の調査が始まるというわけだ。
列車を降りる時、ぼくはふと先輩に聞いてみた。
「そういえば――」
「なんだ?」
「先輩っていつも冷静ですよね。ぼくたちってけっこう怖い目とかひどい目にあってると思うんですけど。先輩は怖くないんですか?」
「怖いよりも状況を切り抜けようって意識が前に来てるだけなんじゃあないか?」
「ああなるほど、怖がってる場合じゃないってコトですね」
「そうだ」
「だったら先輩にも怖いものはあるってコトですか?」
「そりゃあ、そうだろ。俺をなんだと思ってんだよ。俺だって人間だ、怖いものくらいある」
「へぇー、それはぜひ聞きたいですね! 先輩の怖いものってなんですか?」
「俺の怖いもの? それはな……」
荷物を持って列車から降りる。
先輩は少し考え込んでいたけれど、少しして小さく呟いた。
「俺の怖いものって……何だ?」
寝起きで頭が回っていなかったのだろうか。
先輩は本気でわからない、という表情でそう言ったんだ。
自分自身のことなのに、それでも。
先輩にとって、それは謎だったんだ。
こうしてぼく、小山先生、そして先輩の三人は童咋沼の河童の調査を開始した。
これがぼくたち全員の過去、現在、未来を大きく変えてしまう事件になるとは。
このときはまだ――誰も知らなかった。
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