17,2 野槌 UMA-Girl・後
日が落ちて、すっかり夜になっていた。
「見つかりませんね……」
「ああ」
ツチノコは一向に見つからなかった。
懐中電灯片手に、たぶん学園じゅうの茂みや溝を探したと思うんだけど……。
「逃げちゃったんですかね、もう」
ぼくは我慢できなくなって、ついに悲観的な意見を口にした。
「かもな。学園の外に出ていたら捕まえるのは不可能だ」
「だったらもう探しても……」
「いいや、まだ終わっていない」
先輩は額の汗を袖で拭いながら続けた。
「学園じゅうを探し回ったとはいえ、ツチノコも動き回っているだろうからな。すれ違いが生じている可能性も考えられる」
「先輩……」
やっぱり、変だ。ぼくは先輩の態度に違和感を覚えていた。
たしかに先輩は変なところで頑固だし、他人に優しいところがある。
だけど、いつもの先輩ならこんなにも親身になって身体を張って依頼人に協力することはない気がしたんだ。
むしろそういうのはぼくの役回りで、先輩は「ツチノコなんて見間違いだろう」なんて否定する立場をとるハズだった。
なのに今日の先輩は……。
「どうして
「――っ……」
先輩は驚いた表情でぼくを見た。
そしてすぐに目をそらす。
「そうか、俺は肩入れしているのか」
他人事のように吐き捨てた。そんな煮えきらない態度が気になって、さらに追求してしまう。
「してますよ! 先輩ってそんな熱血漢じゃないじゃないですか! もっとクールぶっててひねくれてるのに、どうして今日に限って――」
「――
「えっ」
意外な言葉が出てきて、ぼくは一瞬固まってしまう。
同じ?
それって……先輩と茅野さんが? どういうこと?
ぼくは聞き返そうとする。
「それってどういう――」
その時だった。
「出たぞー!」ぼくらとは少し離れた場所でツチノコを探していた茅野さんの大声が。
その瞬間、ぼくと先輩の足元を何か素早い影がすり抜けた気がした。
「っ――!?」
「そっちにいったぞー! 二人とも、追いかけてくれー!」
今通り抜けた影は、よく見えなかったけど。
ちょうど真ん中あたりが膨らんだ、細長いシルエット。素早い動き。
「ツチノコ!?」
「追うぞ!」
ここまで必死で追ってきたのだろう、息も絶え絶えで立ち止まった茅野さんからバトンを受け取るように、ぼくと先輩は駆け出した。
普段は体力に自身がないと斜に構えている先輩が、びっくりするくらいの全速力でぼくを置いてきぼりにしていく。おいていかれまいと、ぼくも本気で走った。
たぶんスカートがめくれてパンツ見えてたかもしれないけど、夜だし誰にも視えてないでしょって割り切って――女捨ててるって笑われるくらい必死で走り続けた。
やがて、かなり先行していた先輩の背中に追いついた。
「はぁ、はぁ……せ、先輩、どうして立ち止まって――」
「――静かに」
先輩が小声でそう呟いた。
そしてぼくの視線を誘導するように、少し遠くの溝をゆっくりと懐中電灯で照らしだす。
そこには――。
「あれは……」
――ツチノコなんていなかった。
ありふれた、見ただけで名前はわからないけど、少しだけ大きめの蛇だったんだ。
胴体が普通より膨らんでいるという一点を除けば。
「マムシだ。妊娠しているようだな」
先輩が言った。
「マムシ、ですか」
「ああ。マムシは8月から10月に繁殖期に入る。まさに今なんだよ。栄養状態の良いものは、ああいうふうに胴体が太く膨らむんだ」
先輩はそこまで言って、「やはり……そうだったか」と締めくくった。
「やはり?」その言葉に、ぼくの疑念が確信に変わる。
「先輩、知ってたんですか? ツチノコの正体」
「知っていたわけではない。俺はUMAには詳しくないからな。ただ、ツチノコの特徴を聞いたときに、その正体について3つ程度の仮説を立てた」
指を一本立てて続ける、
「仮説1、大型の獲物を飲み込んだ蛇。蛇は顎の構造上、自身より大きな獲物を丸呑みできる。だから捕食直後ならば消化するまでは胴体だけ太く膨らむこともある。加えて、ツチノコの目撃証言は多数あるにも関わらず捕獲されたことがないのは、目撃された段階では消化できていなかった胃の中の獲物を、人間が捜索し始めたときにはすでに消化しているからだとも考えられる。消化してしまえば、胴体が太いという特徴も消え去って外見もただの蛇に戻るからな」
「そして」先輩は二本指を立て、「仮説2」。
「手足の小さいトカゲだ。アオジタトカゲという種は特に、手足が短く胴体が太いためツチノコの特徴と一致する。なにより――外来種だが日本に入ってきたのが1970年代、”ツチノコブーム”と一致しているからな」
「最後に」三本指とともに「仮説3だ」。
「それが繁殖期のメスのマムシ、というわけだ。今の時期からしてこの仮説が濃厚だと踏んでいたが……案の定だったな」
先輩はそこまで説明すると、ふぅ、と深くため息をついた。
先輩の仮説には説得力があった。というより、UMAについての考察サイトなんかを読んでみると、先輩が立てた仮説がすでに有力視されているのをぼくは知っていた。
UMAに詳しくない先輩がすぐにそんな仮説を立てられるのには驚かされたけど。先輩の頭脳はやっぱり驚異的という他なかった。
「なあ」先輩がぼくに問う。
「お前こそ、知っていたんじゃあないのかよ。ツチノコの正体」
「半分正解です。先輩が言ったようなツチノコの正体についての仮説は知ってました。それは認めます。けど……確かめるまで、真実なんて誰にもわかりませんから」
「そうかよ。ま、それがお前らしさ、だったな」
「らしさの話をするなら先輩のほうこそっ! そこまでわかってたのにどうして茅野さんに協力したんですか! 最初から期待をもたせるようなことしないで、ツチノコなんていないし全部気のせいだって切り捨てても良かったじゃないですか! それがいつもの先輩ですよ!」
「……そうだな、だが」
先輩は妊婦のマムシを見つめて、どことなく寂しそうに言った。
「母親――か」
「え……?」
「重要なのはツチノコが実在しているか否か、じゃあない。茅野さんが母親との思い出にどう決着をつけるのか、だ」
「ぁ……」
「子供の頃見た”ツチノコ”とそっくりだったから、彼はこのマムシをツチノコと呼んだんだ。ということはおそらく、彼が幼い頃に出会ったツチノコの正体も妊娠したマムシだったのだと推測がつく」
「だったら茅野さんのお母さんがツチノコを追いかけて、取り逃がして帰ってきたのは……」
「追いついたのか、それとも追いかける最中かはわからない。どちらにせよ、どこかで気づいてしまったのだろう。息子が出会った”ツチノコ”はただのマムシだったのだと。だから茅野さんの母親は……」
「嘘を、ついたんですね。不器用な息子さんが、本気になってツチノコ探しにとりくんでいたから。茅野さんは自分のことを”狼少年”だと言っていました。だけど、ツチノコみたいな曖昧なもので、本物じゃなかったとしても――それを追いかけるという気持ちだけは、嘘じゃなかった。誰にも否定できない、本物だったから。茅野さんのお母さんは、その気持ちを守りたかったんですね」
「……かもな」
先輩は何か言おうとして、結局それを飲み込むみたいに唇をきゅっと結んだ。
そして次に口を開いたときには、声が震えていた。
「俺には、わからない。この真実を茅野さんに告げていいものか。ツチノコの正体を告げることは、彼と母親との思い出に傷をつけることになりはしないか……だが理性はこうも言っている。用務員の業務内容には、害虫や害獣の簡単な範囲の駆除も含まれている。マムシは猛毒を持つ生き物だ、茅野さんの職務を尊重するならば、マムシの存在を隠すわけにはいかない……」
「なあ」先輩は、らしくもない弱々しい声色で問うた「お前は――どう思う?」。
「……ぼくは……ぼくは」
その問いに、ぼくもうまく答えられなかった。
たしかにそうだ。先輩の言う通りなんだ。
ツチノコの正体は妊娠したマムシだった。少なくとも、今回のツチノコはそうだった。茅野さんが幼少期に遭遇した個体はもしかしたら違ったのかも知れないけれど。
それでも、今回のツチノコの正体を知ってしまえば、彼の過去の美しい思い出にまで傷をつけてしまうのかも知れない。この真実は、彼には告げないほうがいいのかも知れない。
だけど反面、用務員の職務上学内のマムシを無視するにはいかない。もしもぼくらがマムシの存在を茅野さんに告げず、学内に残ったマムシが学生を襲えば、きっとこの仕事に真面目に取り組んでいる彼は自分を責めるだろう。「僕がマムシを駆除できていれば」って。
わからない。どっちが正解なのか。
先輩と同じだった。ううん。天才の先輩ですら出せない答えを、ぼくみたいな普通の人間が出せるわけ……ないんだ。
だって本当の謎は、人の心なんだから。
その謎に、答えなんてないんだ。
二人の思考が硬直していた。その時だった。後ろから追いつく足跡と声。茅野さんが、来たんだ。
「おーい、二人ともー! どうだった、ツチノコ、見つかったかい!?」
「か、茅野さん!」
ぼくは反射的に茅野さんの前に立ちふさがった。
「あ、あはは。お疲れ様です」
「う、うん。お疲れ様。それで、ツチノコは――」
「……取り逃がしちゃいました」
「え……?」
「ごめんなさい茅野さん。ぼくも先輩も必死で走ったんですけど、取り逃がしちゃって。学園の外にすごい勢いで出て行っちゃったんです。さすがに学外に出ちゃったら追いかけるんのは無理そうです」
ぼくが選んだのは、茅野さんに真実を告げないことだった。
マムシはどうにかしてぼくと先輩で――無理そうなら誰か別の人とか業者さんに頼んで駆除してもらえばいい。
ただ今は、茅野さんの思い出を守りたかった。
だけど――。
「……ありがとうな。その先にいるんだろ」
「えっ、茅野さん!?」
ぼくの隣をすっと通り抜けて、茅野さんは溝の近くまで歩いていった。
そしてそこに鎮座し、ぼくらを威嚇するようににらみつけるマムシと対面したのだった。
「やあ、お前も――母ちゃんなんだな」
ツチノコの正体”妊娠したマムシ”に向かって、彼は優しい声色で話しかけた。
「子どものために食うもん探してたんだよな。生きるために必死だったんだよな。大丈夫、何もしないよ。近くの山にでも放してやるから」
そういうと茅野さんはツチノコ捕獲のために準備していた防具を身に着け、鮮やかな手並みで蛇捕獲用のカゴにマムシを閉じ込めてしまうのだった。
こうして”ツチノコ捕獲作戦”は、あっさりと幕を閉じた。
茅野さんによるマムシの捕獲という結果をもって。
「マムシも捕まえてめでたしめでたしだ。手伝ってくれてありがとな、お二人さん。今度何かお礼でもするからよ、今日は遅いしもう帰んなさい」
茅野さんは穏やかにそう告げた。
だけどぼくはまだ理解できていなかった。素直に疑問をぶつけるしかなかった。
「茅野さん……どうしてわかったんですか?」
「わかったって、何をだい?」
「ぼくが嘘をついたってことです……」
「ああ、それね。『ツチノコを取り逃がした』って僕に言ってくれたお嬢ちゃんの
「ぇ……知ってたんですか、ツチノコの正体」
「そりゃあねぇ、小さなころはサンタクロースを信じてるもんだけど、歳をとればみんな気づくだろ? 同じさ。あの時みたツチノコはきっと……僕の見間違いだった。母ちゃんはこんなどうしようもない息子でも、本気になって何かに取り組めるよう励ましてくれてただけなんだって。わかるさ、たいして成長なんてできなかったけど、もう歳だけは一丁前に重ねた大人なんだから」
「……」
それ以上なにも言えなかった。
学園の施錠が始まり、ぼくと先輩は帰らされることになった。
暗いから途中まで先輩が送ってくれることになり、一足先に荷物をまとめて校門の前で待ってくれている。ぼくはというと、頭のもやもやが晴れなくて、今まさにマムシをつれてどこかへ行こうとする茅野さんの背中に一人声をかけた。
「あ、あの!」
「ん、なんだい?」
「茅野さんはツチノコを捕まえたらお母さんに誇れる立派な大人になれるかもしれないって言ったじゃないですか」
「は、はは。そんなこと言っちゃってたっけ。恥ずかしいな、忘れてくれよ。ツチノコを見つけられるかもって思ったら、年甲斐もなくはしゃいじゃったんだ」
「恥ずかしくなんかありません! だってさっきも、茅野さんは手際よくその”ツチノコ”を捕まえたじゃないですか! あんなこと、ぼくにも先輩にもきっとできませんでした。茅野さんが用務員さんとして……ちゃんと蛇の捕獲のやり方を勉強したからできたことです。真剣にお仕事に向き合ったから今の茅野さんがあるっていうか……だから、自分を負け組だなんて言わないでください!」
「お嬢ちゃん……」
「ぼくも、先輩も、ちゃんと知ってますから。校舎やグラウンドの整備、生け垣の手入れ、いろんなことしてくれてるの知ってます。ぼくらが安全に過ごせるように、マムシだけじゃなくて、害虫とか駆除してくれてるのも……全部じゃないかもだけど、ちゃんと見てますから。だから……ぼくたちにとって、茅野さんはもう立派な大人なんです!」
「……ありがとう、嬢ちゃん」
茅野さんはにっこりと笑い、
「将来いい女になるよ。なんせ僕の母ちゃんにそっくりだからね。うん……いい男を捕まえて、いい母ちゃんになりなよ。お嬢ちゃんの隣には……もういるだろう、”いい男”が」
「え、それって……い、いやいや、先輩はそういうんじゃなくて!」
顔を真赤にして否定するぼくに茅野さんはケラケラと笑いかける。
「お嬢ちゃんも本気で追いかけたいモノがあるならさ、後悔しないように今、この時間を必死で駆け抜けなよ。そして捕まえるんだ、自分だけの”ツチノコ”をね。おじさん応援してるからよ」
そう言うと彼は踵を返して去っていった。
茅野さんと別れたぼくは、校門の外で待っていた先輩と合流する。
「なんつーか、結局茅野さんは俺たちが思うよりちゃんと大人だったって感じだな」
先輩はそう締めくくった。
「ですね」
ぼくも同意する。
あの人の思い出を守りたいだなんて勝手に悩んでたけど、結局彼は自分でそんな悩みを吹っ切ってしまったのだ。
ぼくも先輩も、やっぱりまだまだ未熟なんだなって実感した。
ぼくから見れば一年上の”先輩”でもそうなんだから、後輩のぼくなんて本当にまだまだ発展途上に違いない。
結局今回の”ツチノコ”はニセモノだった。
今までのぼくらの活動と同じ。何かを見つけたと思って、追いかけても、ハズレばかりで。真実は指の隙間からすり抜けて、手の中には散々な結果だけが残って。
なんのために頑張ってるんだろうとか、自分ってなんなんだろうとか、思い悩んで。
だけど――。
茅野さんが教えてくれた。ニセモノだらけの世界だけど、何かを求めて、追いかける本気の気持ちがあればさ。
嘘じゃないんだ、何かを求めたその気持ちだけは”ホンモノ”なんだって。
帰り道、先輩が呟いた。
「大人ってなんなんだろうな」
そんなの天才の先輩がわからないなら、当然ぼくにだってわからない。
わからないけど、ぼくは微笑んでこう答えた。
「先輩、これは大いなる謎ですよ」
「謎、か。そう言い換えるとどうにかなる気がしてきたな」
「でしょぉ? お得意の謎解き、期待してますよ」
「そんなもん、大人になるまでわかんねェかもしれないだろ」
「だったら答えが出るまで、ぼくも一緒に探しますから。だって二人揃ってこそ”謎解き活動”じゃないですか」
そこまで言って、ハッと気づいた。
自分の言葉を思い返す。
なんか、今のぼくの言葉って……「大人になっても一緒にいたい」って意味なんじゃないの?
遠回しに――告白、してない!?
先輩、気づいたかな? 気づいちゃったらどうしよう!?
ぼくは先輩の顔を恐る恐る覗き込む。
夜の闇と長い前髪に隠れて、全然見えない。
答えは――わからなかった。
それからは二人並んで、無言で歩いた。
ああ、恥ずかしい。顔から火が出そうだし。数日くらいは気まずくて先輩の顔を見られそうにない。
でも、ポロリと口に出して、自分の気持ちに気づけたんだ。
大人って何なのかわからないけど。
少なくとも、ぼくは――。
大人ってなんなのか。
答えを出せたその時、先輩がそこにいてくれたらいいなって思ったんだ。
ΦOLKLORE: 17 “野槌 UMA-Girl” END.
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