2,3 時間が止まる場所 Relativity・結


 逢魔時おうまがとき

 文字通り、「う時」を意味する言葉が日本には伝わっている。夕暮れは、現世うつしよ幽世かくりよが交わる瞬間なのだ。

 古来から人は生と死、二つの世界が交わるこの時刻こそがこの世ならざる何かと出会う瞬間だと考えてきた。

 最も原始的な民間伝承フォークロアの一つだ。


「三日前の日付って……つまり、ぼくがしめ縄に入ってから三日経ったってこと……!?」


 混乱するぼくと困惑する先輩の間でいろいろと問答があったけれど、結論からいうとぼくは三日後の夕方までいた。

 あるいは時間跳躍タイムスリップとでも言えばいいのだろうか。

 狐につままれたみたいな感覚だった。


「それにしても――」


 ぼくは唇を尖らせる。


「せんぱぁーい、ぼくがしめ縄の中で三日間もしてたのを黙って放っておいただなんて、ひどい人ですね!」


 だけど先輩は困ったような表情でただ頭をかくだけだった。

 歯切れの悪い様子で彼は答える。


「いや、お前は停止なんてしていない。して、いなかったんだ」

「え、何言って……だってぼくの時間は確実に止まって、三日後にも同じ場所に立っていたんでしょう? 依頼に記された体験と全く同じですよ。ここは、時間が止まる場所だったんですよ!」

「そうだな、お前の主観ではそうなっているのか」


 先輩は不可解なことを言った。


「言葉で説明しても納得するのは難しいだろう。百聞は一見にしかず、だ。ここにお前から預かったカメラがある。三日前の夕方、お前がしめ縄の中に入った後に何があったのか――そのことも記録されているが……」


 そこまで言って、先輩は黙ってしまった。

 迷っているみたいだった。何に?


「先輩?」

「本当に、知りたいか?」

「もちろん、ぼくは真実が知りたいです。そのためにここに来たんですから」

「そうだが、しかし知らないほうがいいことだってこの世界にはあるだろう。もしかしたら、カメラに映っていないことが――お前の主観こそが真実なのかもしれない。時間が止まる場所は本当にあって、中に入ったお前の時間は実際に三日間停止していた。それで終わっても、だれも責めはしない」


 先輩はときどき、こうやって妙にまどろっこしい遠回しな言い方でごまかそうとする時がある。

 そういう先輩はイラつく。軽く背中を蹴ってやりたくなる。


「いいから見せてください!」


 ぼくは強引にカメラを奪い取り、側面の液晶画面で録画を再生した。

 狙いは三日前の夕方。ぼくがしめ縄に入った直後の時刻だ。


『それでこそぼくの先輩です!』


 この言葉は覚えてる。ちょうどしめ縄に入る直前のぼく自身の言葉だ。

 映像では、不安な面持ちの女子高生が冷や汗をかきながら身をかがめていた。

 この言葉の数秒後に、ぼくはしめ縄の下をくぐり、内側へと入った。

 その直後――映像の中の少女は五角形の中心でピタリと立ち止まった。

 したのだ。

 やっぱり時間が止まった? そう思うのもつかの間、カメラの中の少女はカメラの撮影者――つまり先輩に向かって振り向き、こう言った。


『せんぱぁーい、やっぱり何も起こりませんでしたぁー♡』


「……は?」


 カメラの中の少女は、ケロリと笑顔に変わっていた。


「ていうか、こんな言葉言った覚えがないんだけど……」


 間違いなく外見はぼくのハズなのに、カメラの中の少女はぼくが言った覚えのない言葉を続けてゆく。


『ざぁんねん♡ ここもハズレでしたかー。神隠しとか時間停止とか、結局は全部にすぎなかったんですねー』


 なんてぼくが言いそうにないセリフをヘラヘラと口走りながら、”彼女”はしめ縄をもう一度くぐって今度は外に出た。

 そして次の瞬間、信じられないことに――。


『せぇーんぱい♡』


 先輩の腕に思いっきりしがみついていたのだ。


「な、なにやってるのー!?」


 ぼく自身と全く同じ外見と声で、ぼくでは到底しないしできないであろう芸当を平然と実行する”彼女ぼく”。

 さらに追い打ちとばかりに、先輩に対して見事な涙目上目遣いで訴える。


『でもでも、先輩♡ この場所やっぱり怖いですぅー。家まで送ってもらえませんかぁ?♡』


 語尾にハートマークが乱舞していそうな媚び媚びのアニメ声で先輩にくっつく画面の中の少女。

 『あ、ああ』と先輩は”ぼく”の豹変っぷりに困惑したまま二人で下山していった。

 その日の映像はそこで終わった。


「な、なんで……なんでこんな、これ、ぼくじゃない……誰……?」


 ワナワナと震える唇。

 もうワケがわからない。ぼくの主観は確かに三日もの時間を”跳躍”した。

 だとすると体はしめ縄の内側で”停止”していたハズ。

 ……だったのに、実際は”ぼくの姿をした何か”がしめ縄の外に出て先輩と何食わぬ顔で会話して、あまつさえ――こんなにくっついて腕まで絡めて!

 ぼくだってまだこんなことしたことないっていうのにさ!


「先輩」

「な、なんだ?」

「このまま”彼女ぼく”を家まで送ってあげたんですって?」

「そ、そうだな。震えていたから。放って帰ったらかわいそうだろ?」

「まさか……まさかですけど、手、出してませんよね? 弱った女の子の心につけこんで、”送り狼”シてませんよね?」

「……シテナイヨ、ナニモ」


 先輩は汗ダラダラでなんとか返答を絞り出した。

 幸い、というべきか残念ながら、というべきか。嘘じゃないようだった。

 知らないうちにエロ――じゃない、エラいことになっていたらもったいな……じゃなくて、とてもよくない。青少年の健全な育成に、何か良くないことが起こっていたかもしれない。とにかくヤバかったに違いない。


「その日、家に送ってからはいつもどおりだ。次のまた顔を合わせても特に不審な様子は見られなかった。普通に学園に来て、普通に授業を受けていたようだ。だが――」


 先輩は続けた。


「三日目の今日、は急に不可解なことを言ってきたんだ」


 その内容はだいたいこうだったらしい。


『もう一度あの山に行きたいです。今度は二人で、しめ縄をくぐりませんか?』


 先輩もちょっと不審に思ったらしいけど、三日前だって先輩の目線からすれば何も起こらなかったわけで、危険はないだろうと判断して渋々ついてきたらしい。

 そして、現在に至る。

 念のため同時ではなく、先輩は先導する”ぼく”よりも後からしめ縄に入ることにしたそうだ。”ぼく”は同時に、というか先輩を中に入れようとしたらしいけど、それは先輩が断った。

 先輩も、どこか”彼女ぼく”に疑いを持っていたからだろう。それが幸いしたのかもしれない。

 結果、しめ縄の中に再び入ったぼくが正気を取り戻した。三日間の記憶は綺麗サッパリと消え去っていたのだった。先輩は、しめ縄の中に入らずに済んだ。


「結局……なんだったんでしょうか」


 ぼくと先輩は二人で下山していた。

 日が落ちて、夜になっていた。目印も懐中電灯もあるし、先輩からすればもう何度か通った道だし。たぶん遭難する心配はなさそうだった。

 先輩はぼくの問いに、少し考えてから答えた。


「記憶喪失って説はあるかもな」

「え?」

「脳に干渉する特殊な物質があの空間に充満していたとしたらどうする? たとえば幻覚作用のあるキノコの胞子が舞っていたとしたら。あの場所に入った人間は脳になんらかの干渉を受け、三日後に三日間の記憶をすべて失う。そういうルールと考えられなくはない。結局のところ実態は不明で、全て無理のある推測でしか無いが」

「……」


 先輩もあまり自信がないのだろう。

 この説には、ぼくも納得できなかった。

 だってあの時のぼくは、確かに先輩を中に入らせるのは危険だとわかったんだ。

 直感だけど、根拠のない直感だからこそ信じられることだってある。

 ぼくがぼくである限り、仮に自分が入って安全を確認したとしても、先輩をしめ縄の内側に誘うなんてことはありえないんだ。ぼくはそれを絶対にしたくないと思った。だからそれをやろうとした”彼女”は――。


「”彼女アレ”は――ぼくじゃなかったと思います」


 ぼくは続けた。


「彼女はぼくの顔を真似て先輩を連れ去ろうとする”山の怪物モノノケ”だったんだと思います。しめ縄は一般的に、”現世うつしよ”と”幽世かくりよ”を隔てる”境界”の役割を担っています。きっとあの五角形は一種の”結界”だったんです。”山の怪物モノノケ”を閉じ込めるための」


 そして、こう結論付けた。


「結界の中に入った人間に”山の怪物モノノケ”が憑依して、狙った”真の獲物”を誘い込む……。そう、怪物の真の狙いは、先輩だったんです」


 ここまで言って、さすがに自分でも馬鹿げてると思った。

 だけど先輩は、


「そうかもな」

「え?」


 意外にもぼくの説を肯定したので、ぼくも一瞬呆気にとられてしまった。

 彼は照れくさそうに頬をかきながら言った。


「やっぱああいう態度、お前らしくねェよ。なんていうか、変に素直すぎるっていうか。もっとひねくれてるのがお前だからな。中身が入れ替わっていたって説は頷ける」


 「それに――」先輩は続けた。


「『時間は相対的』、だからな」


 先輩は最後にそう呟いた。

 ……? 最初はその言葉の意味がわからなかった。だけど少し考えてわかった。


『不思議なことなど、この世には何一つない。時間は相対的なものであり、体験は全て主観でしかない。故にあらゆることが起こりうる』


 先輩は三日前――ぼくからすれば今日、この場所に到着する前からこんなことを言っていたじゃないか。

 そのままの意味だったんだ。相対性理論とかそういう小難しい意味じゃなくて。「ぼくは主観的には三日間を認識していない」けど「客観的には三日が経過していた」。時間が止まる場所なんてなくても、この”ズレ”を生み出すことは可能だったんだ。

 「何者かに身体が乗っ取られる」という怪現象さえ起こってしまえば。

 もしかしたら、先輩は最初からこの現象も結論も全部予測していたんじゃ……?

 だったら自信なさげに語った「幻覚キノコ」の仮説は、真実を隠すためのカモフラージュ……?

 ブルル、と背筋が震えた。

 これ以上考えても仕方がない。きっとそれをきいても、彼ははぐらかしてしまうだろう。先輩は素直じゃないし、ひねくれてるんだ。ぼくと同じで。

 先輩がぼくの性格を知っていたように。ぼくもまた、先輩を知っているから。

 だから、今は――。


「ねぇ、せんぱい」

「なんだ?」


 ぼくは先輩に向かって手を差し出して。

 震える唇で、こう言った。


「せんぱいが迷子にならないよーに……下りるまで手、つないでてあげてもいいですよ」


 先輩は少しだけ驚き目を見開いてから、不敵に微笑んだ。


「ああ、助かる」




   ΦOLKLORE: 2 “時間が止まる場所 Relativity”   END.

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