2,2 時間が止まる場所 Relativity・転

 沈みかけた夕日が冷たい。

 木漏れ日が肌を撫でるたびに、ぞわぞわと鳥肌が立つ。

 ぼくは圧倒されていたんだ。

 五角形のしめ縄に封印された怪異”時間の止まる場所”を前に。


「ふム」


 だけど先輩は、そんなぼくの動揺なんて知らねーよ、とばかりにボサボサ頭をかきながらさらりと言ってのける。


「で、どっちが入るんだ?」

「どっちって?」

「入って検証するんじゃあないのか? 入るとしたら、どちらか一人だろう。依頼人の体験が仮に真実だとしたら、入った人間は『停止』するはずだ。もしも『停止』しちまったら誰かが引っ張ってしめ縄の外に出すまで終わらない可能性がある。だから安全のために『入る役』と『出す役』が必要だ」

「……」


 先輩の言ってることはよくわかる。

 この調査依頼を完遂するなら、中に入って検証するのは当然だ。

 だけど今のぼくは正直言って、ビビっていた。

 情けない。いろんなオカルトを追いかけてきたマニアだっていうのに、山の中の薄暗い不気味な場所に来ただけでコレだなんて。

 ぼくはきっと、何も言わず小動物みたいな潤んだ瞳で先輩を見つめていたに違いない。

 根負けしたように、先輩がはぁーっとため息をついた。


「ま、もしもの時は助けてくれよな」


 しめ縄の下をくぐろうと身をかがめる先輩。

 その姿を見て、ぼくは――胸騒ぎがした。

 なんでだろう、先輩がこの中に入ったら……入ってしまったら。


「っ――!?」


 その時だった。ぼくの脳裏に不可思議な幻影ヴィジョンが映し出された。

 ぼくの膝の上で横たわる先輩。腹部には刃物のような何かが刺さっていて、どす黒い血が蝶の羽のように美しく、無慈悲に拡がってゆく。

 ぼくは必死で先輩に何かを呼びかけている。だけど声は届かない。先輩の瞳の光は徐々に暗くなって、やがて――。


「ぅ――な、何……今の――!?」


 プチン――。

 そこで幻影は途切れた。テレビの電源を突然落とした時みたいに。


「はぁ、はぁ……」


 虫の知らせ、とでも言うのだろうか。

 現実の記憶じゃないとは思うけど、とても現実感のある映像だった気がする。

 見ると、実際の先輩は今も元気に立っていて、今まさにしめ縄の内側に入ろうとしていた。

 あれ? この光景さっきも見たはずじゃ? もしも記憶が正しければ、次に先輩が言う言葉は――。


「「ま、もしもの時は助けてくれよな」」


 言葉が二重になった。ぼくと、先輩の声が重なったのだ。

 先輩はやっぱり、さっきぼくが聞いた言葉と全く同じ言葉を言った。

 デジャヴ、というヤツかもしれない。

 混乱していた。先輩がしめ縄の内側に入ろうとする姿を二回みた。同じ言葉を二回聞いた。先輩自身も、「お前、なんで今の言葉……」と困惑してぼくを見る。


「わかりません……わかりませんけど、たぶん、ダメです」

「何?」

「ダメなんです、先輩がこの中に入ったら、きっと……良くないことが起こる……気がするんです」


 先輩はポカンとした顔で返す。


「珍しいな、お前が俺の心配してくれるなんて。明日は雨かあられか、あるいはひょうか」

「こっちは本気で言ってるんですからね!」

「わかったわかった。ヤバそうなら、今日はもう帰るか? 暗くなってきたし、これ以上遅くなると遭難する可能性も出てくる」

「……ぼくが、入ります」

「いいのか? ヤバそうな予感がするんだろ?」

「先輩が外に残ってくれたほうが安心です。なんとかしてくれそうですから」


 ぼくはそう言って、先輩にカメラを渡した。


「お父さんが遺してくれた大切なカメラですからね、落とさないでくださいよ」

「ああ」

「先輩――信じてますから」

「”信じる”ってのは俺の信条に反するんだがな。とはいえ、最大限努力しよう」

「それでこそぼくの先輩です!」


 ぼくは先輩に笑いかけた。精一杯の強がりだった。

 正直、ビビってる。ここはヤバい、脳がビリビリ揺れてるのがわかる。

 だけどここで立ち止まってどうする。


「お父さん……」


 そうだ。思い出せ。お父さんのこと。

 彼が亡くなった”不可解な事件”のことを。

 あの謎を解くために、”都市伝説フォークロア”を追いかけてきたんだ。

 今更こんなところで――立ち止まってられない!


「ン――!」


 ぼくは思いっきり身をかがめ、しめ縄の下をくぐり抜けた。


「……?」


 その瞬間だった。

 先輩がぼくの腕をつかみ、引っ張っていた。


「ちょ、先輩とめないでくださいよ! 今、ぼくが超絶カッコいいモノローグとともに覚悟決めて踏み込んだトコなんですから! 見せ場ですから!」

「お前……何、言ってんだ?」

「え?」


 先輩は不思議そうにぼくを見ていた。

 何がおかしいんだろう。さっきまでの会話と全然今の状況がつながっていない気がした。

 断絶している。まるで――まるで二人の間で時間がズレてしまったみたいに。

 ぼくは必死に声を絞り出して、答えた。


「何って……今まさにしめ縄の中に入ろうとしたんじゃないですか」

「成る程……そういうことかよ。ってワケだ……」


 先輩は顎に手を当てて、ブツブツと何かを思案していた。


「あ、あの先輩……どういうコトですか? 何が起こって……」

「お前、今日が何月何日かわかるか?」

「え、そりゃあ当然」


 ぼくが先輩に今日の日付を答えると、先輩は「ふム」と納得したようだった。

 その後また何かを考え込んだ。

 一人だけ納得してんじゃないよ、とぼくが額に青筋を立てているのに気づいたのか、先輩はぼくに向かってこう告げたのだった。


「それは三日前の日付だ」

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