聖女、疑問を晴らす
「それで? 何が聞きたいのだ?」
「確かめたいんです。私達がどうして『こう』なったのか」
「ほう」
教授は落ち着いていた。
いつも通りの泰然とした表情で、動揺は見られない。それがどういう意味なのか、俺にはまだ判断できない。
グラスの中のワインがゆらゆらと揺れる。
「その件は『不明』ということになっていたはずだが」
「でも、よくわからないことがあるんです」
「よくわからないこと、か」
「はい。それは、教授がどこの誰なのかということです」
疑問に思っていなかったわけじゃない。
ただ、わざわざ聞いても仕方ない、と、流していた案件。
「みなさんが『こう』なったのは私が変身する一、二年前──今からだと最大で三年くらい前、でしたよね?」
「そうだ」
「じゃあ、教授が大学教授になったのはいつなんでしょう?」
「変身する前から大学教授だったから仕事を続けている。ただそれだけのことかもしれないだろう?」
「それだと辻褄が合わないんです」
政府は俺たちの変身を隠そうとしていた。
なら、大学教授なんていう目立つ人間が「変わって」しまったことを公にさせるだろうか。教授の背格好なら
政府の方針が嘘、というのはほぼありえない。となると……。
「一応、私も調べてみたのよ。そうしたら面白いことがわかったわ」
ラペーシュがくすりと笑って言う。
「教授は既に五、六年程度大学にいる。検索してもあなたの変身前と思われる名前は出てこない。つまり、少なくともあなたは最初から今の姿で大学に所属したことになる」
これはおかしい。
「だとするとどういうことになるかしら?」
「教授はもっと前から変身していて、一から大学教授になったか──それとも、そもそも変身をしていないか」
「後者だとすると不思議ね? 教授の本を出す能力や老いない能力は全てトリックだったのかしら」
ラペーシュが大学の学生にも話を聞いたところ、教授は昔からあの姿で見た目は変わっていないそうだ。つまり、最低でもマンガみたいに老けない体質は持っている。
前者なら能力があって当たり前だが、俺たちに変身時期をズラして教える必要はあったのだろうか? それに、もし教授が昔、例えば十年前とかに変身していたのだとすると、一人だけ不自然に間が空いていることになる。朱華たちと俺、瑠璃に関しては半年から一年程度の間隔である程度安定しているのに。
もし、空白期間にも『変身者』が現れていたのなら辻褄は合うが、だとすると俺たちの他にも一つか二つのグループが存在することになる。そんな存在がいればラペーシュが察知しているはずだし、政府が俺たちに拘る必要もない。
「………」
教授は黙ったまま動かない。
俺たちはゆっくりと話を続けた。
「私の考えはこうです。教授は、あの映画の教授本人なんじゃないですか?」
「……どうしてそう思う?」
「映画の中で教授は異世界の英雄たちを呼び寄せていたじゃないですか。あれって大きく言えば私たちの身に起こっているのと同じことじゃないかな、って」
何故か召喚ではなく憑依? 転生? になってしまっているが。
ラペーシュがさりげなく俺に歩み寄り、傍らに立ちながら。
「どうかしら? 当たっていても外れていてもそれはそれでいいのだけれど」
「私たちは別に教授をどうこうしたいわけじゃありません。ただ疑問を解消したいだけです」
よからぬことを企んでいるのならとっくにやっているだろう。
だから、俺は追及を後回しにしていた。追及したところで戦いがなくなるわけではなかっただろうし。
それからしばらくの沈黙。
教授はふっと笑うと、グラスの中のワインを飲み干した。
「ああ、その通り。吾輩は教授。大図書館の司書にして、あの
やっぱり。
すると、教授とラペーシュはある意味似たような立場だったわけだ。邪気を呼び寄せたりしていない時点で教授は素の転移者なんだろうが。
「どうしてこの世界に来たの? 敵は倒したんでしょう?」
「うむ。……しかし、倒した時点で既に時空はボロボロになっていてな」
遠い目でドームの天井を見上げる教授。
ラペーシュが指を振ってワインのお代わりを注いだ。
「英雄達を送還した後、図書館の修復に取り掛かった吾輩だったが、誤って自分自身を転移させてしまったのだ。あの戦で力の大半を使ってしまったため、うまくコントロールができなかったのだろう」
一人、この世界に落ちて来た時は途方に暮れたという。
「幸い、上手く政府に保護してもらい、身元と最低限の生活資金を用意してもらうことはできたのだがな」
「随分頑張ったわね」
「異世界については多少詳しかったからな。異世界とは本当に異世界なのだと知っているだけでもやり方は随分楽になる。売り物になる知識もあった」
知識と知恵を餌にこの世界で暮らし始めた教授は当然、図書館に帰ることを考えた。しかし、やはり力が上手く使えなかった。
敵によって与えられたダメージと、それから教授自身が図書館から出てしまったことが原因と思われる。
仕方なく彼女は長い目で見ることにして、少しずつ力を回復させながら学校に通い、飛び級で次々と進学していった。そうして今の大学教授という地位を手に入れたのだ。
教授の専門は民間伝承。
「この世界には魔法がない。しかし、過去に起こった『不思議』の記録は多く残っている。例えば神隠しとかな」
そうした現象が転移の助けになるかもしれないと思ったらしい。
「とはいえ、なかなか状況は好転しない。業を煮やした吾輩は回復してきた力を用い、強引に転移を試みようとした」
試みは当然のように失敗した。
「力が足りなかった。この世界で力を用いるのにも慣れていなかった。結果として起こったのは世界の歪みを大きくすることと、それから不完全な召喚だった」
「それが邪気の顕在化と『変身者』の登場かしら?」
「そうだ」
自嘲気味な笑み。
「お主たちがそうなったのも、化け物と戦う羽目になったのも全て吾輩のせいなのだ」
「原因が分からないって言っていたのは嘘だったということ?」
「全くの嘘ではない。どこをどうしてそうなったのか吾輩にも理解しきれていないのだから。……とはいえ、それは言い訳か」
世界の歪みが広がったことで、この世界は少しだけ『不思議』が起こりやすくなった。
存在自体が『不思議』なものである変身者の登場によってそれはさらに顕著となり、邪気の集積や実体化、それを祓うことによる世界の安定などが起こるようになった。
「私たちがこうなったのは意図した結果じゃなかったんですね」
「ああ。おそらくお主ら──というか、お主らのオリジナルは『敵』によって損壊した世界の住人だろう。その魂、というか存在がこの世界にいる同一存在と重なり、変身者が生まれたと思われる」
教授が前に語った推測もあながち嘘ではなかったらしい。
ラペーシュが小さな大賢者の姿をじっと見つめて、
「元の世界へ帰るのは諦めたのかしら?」
「いや。まだ完全に諦めたわけではない。力は引き続き回復させているし、吾輩は不老だからな。時間はいくらでもある。それに、もう一つの望みもあった」
「もう一つ?」
「世界の歪みというのなら、吾輩自身もその一つだ。お主らと共に邪気を祓って行けば歪みが正され、余分なものは排除・送還される可能性がある」
世界中の邪気を祓い尽くせば帰れるかもしれない、ということか。
「……壮大すぎる計画ですね」
「そうだな。実際、微速前進しているかと思えば魔王なんぞに大半を吸われていた」
「悪かったわね」
そう言いつつ、ラペーシュはあんまり申し訳なさそうじゃなかった。
「じゃあ、今のあなたには本当に余計な力がないわけね。一応、これでも警戒していたのだけれど」
「やはり、吾輩を無力化しに来たのはそれが理由か」
「当然でしょう? 世界を跨いだ魔法なんて何が起こるかわからない。万が一にもアリスを巻き込ませたくはなかったもの」
「……いえ、あの、ラペーシュさんって本当に私のこと大好きなんですね?」
「まだ伝わりきっていなかった? なら、今ここで押し倒してあげても」
「ストップ! ストップです!」
美少女魔王様は舌打ちして止まってくれた。
それを見ていた教授はジト目で、
「何をやっているのだお主らは」
「いえ、いつものことと言いますか……」
苦笑して居住まいを正す俺。締まらないことこの上ない。
「じゃあ、やっぱり邪気祓いは続けた方が良いですね。週にボス二、三体程度じゃ世界中の分まではまかないきれないでしょうけど」
「待ちなさい。世界中の邪気を祓われたら私まで死ぬじゃない。存在の置換が終わってからにしてもらわないと」
「できるんですか?」
「この世界の人間として作った小桃と置き換えを行っているでしょう? アリスの傍にいれば邪気は浄化されて、徐々に独立存在へ生まれ変われるはずよ」
「それならゆっくりやっていけばいいですね。私が大学生になれば週二くらいでボスを討伐できるかもしれませんし」
その頃にはもっと仲間も増えているかもしれない。
世界の歪みが正されきったら俺たちはどうなるのか、という問題があるが、そこはもう考えても仕方ない。
今更元に戻られるのは困るが、既にアリシアになってしまっている以上、どっちかというと俺がゲームの世界に送られる? 戻される? 方がありそうな気もする。そうなったらそうなったで楽しそうだ。ただ、もう少し学生も満喫したいので今すぐは困る。
「いや、待て」
ここで教授が口を挟んでくる。
「吾輩が黒幕だとわかったのだぞ? 恨み言を言うなり、排除しようとするなりあるのではないのか?」
「いえ、そういうのは特に」
「しても仕方ないでしょう、そんなこと」
俺とラペーシュは顔を見合わせて首を傾げた。
「だって、教授だってやりたくてやったわけじゃないんですよね? もちろん最初は戸惑いましたけど、今となってはこの生活が楽しくて仕方ないわけですし」
「あなたの理論で行くと私の世界だってどうなっているかわからないのでしょう? 必死に戻っても仕方ないし、アリスといるのは楽しいし。何より、契約もしてしまったもの」
教授と戦いやら殺し合いやらをするつもりならみんなを送ったりはしない。彼女がそういう人ではないと思ったからこそ、このタイミングでこうして話をしたのだ。
俺はパーティリーダーとしての教授に十分すぎるほど感謝しているし、黙っていたことに恨みもない。
だいたい、本気で隠し通すつもりならもうちょっと何かしら方法があるだろう。
「教授は隠居していてもいいですよ。あの本を出すにも力が必要だったりするんじゃないですか?」
「そうね。っていうか、ここまで来たらあなた一人くらいいてもいなくても大差ないでしょう。むしろ、積極的に仲間を増やせるならそっちに注力した方がいいくらい」
「……お主ら」
はあ、と、ため息をついて二杯目のワインを飲み干す教授。
彼女はぺたん、と、芝生の地面に座りこむと苦笑を浮かべた。
「こちらは殺される覚悟もしていたのだぞ。せめて引っぱたくくらいしたらどうだ」
「悪人じゃない人を叩いても仕方ありません」
「ベッドの上で懲らしめる方なら考えてもいいけれど、あいにく年上は好みじゃないのよね」
「じゃあラペーシュさんって百歳は超えてないんですか?」
「アリス? レディに歳を聞くのは失礼じゃないかしら?」
「これは失礼しました」
慌てて謝ると、ラペーシュは笑って「冗談よ」と言ってくれた。
「教授? ワインのお代わりはいるかしら?」
尋ねられた教授は立ち上がると「いや」と首を振った。
「どうせなら帰って飲み直す。このワインも美味いが、吾輩にはビールが合っている」
「そう」
ラペーシュもまたワインを飲み干すと、二つのワイングラスを消失させた。
「あなたって変なところで年寄りくさいのよね。おじさん臭い、とでも言った方がいいかしら?」
「なにおう!? ビールは別におっさんの飲み物ではないぞ! ファンタジー世界なら女子供も飲んでいる!」
「あ、いつもの教授ですね」
俺は思わず噴き出した。
すると教授はバツの悪そうな顔になって「別によかろう」と目を逸らす。そういう表情をしていると普通に見た目通りに見えるから不思議だ。
「……はあ。どうせなら、アリスにも実際に飲み比べて判断して欲しいものだな」
「そうですね。二十歳になったら飲ませてください」
「二十歳になったら押し倒してもいいかしら?」
そうして、俺たちは結界を解除してシェアハウスに戻った。
ラペーシュの魔法のせいで会話が聞こえていなかったスタッフの皆さんには酒飲んで帰ったようにしか見えなかっただろう。
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