聖女、トイレを我慢する
次のボス戦こと廃寺でのバイトはバレンタインの数日前に行うことになった。
タイミングとしては金曜日の夜。いつもなら土曜の夜なのだが、
『土曜だとあんた、また無茶なスケジュール組むでしょ』
『そうだな。チョコレート作りは日曜にしておけ。そうすれば疲労しても丸一日休めるだろう』
と、仲間たちから助言を受けた。
前回のような失態は俺としても避けたい。ありがたく聞き入れることにして、
お互いがどんなチョコを作るかわからないよう、それぞれに作業するというのもアリだったのだが、芽愛から「やだ。アリスちゃんと一緒に作りたい」と強く希望があった。味を褒められるのは慣れているので、むしろ「一緒に作業」というところに価値を感じているらしい。
『あ、姉さんには釘を刺しておきました。芽愛の家に押しかけてまで撮影を始めたりはしないはずです』
『そうなんですね。それは少し安心しました』
代わりに、
『いい、二人とも。くれぐれも余計なことはしないでね?』
本命チョコ攻撃を警戒する
今更釘を刺されても、既にクラス内でじわじわと「本命チョコキャンペーン」が広がりを見せている。当日は鈴香のところにも多数の本命が集まることだろう。
俺たちの笑顔に何かを感じたのか、鈴香は「何かするつもりなら私にも考えがあるわ」とSっ気を感じる笑みを浮かべていた。
何が起こるか若干不安だが、まあ、チョコを贈り合うだけのイベントが殺伐とすることもないだろう。
それから、ボス戦当日まで、雑魚相手のバイトが週末に開催されることになった。
これは瑠璃の経験値アップのためだ。
ボス戦が不安なのは俺もよくわかるが、逆に疲れてしまわないか……という懸念については、
『私は平日暇ですから、問題ありません』
とのこと。
その平日がトレーニング漬けでは結局変わらないのだが、そのあたりはノワールにも注意してもらった。それから毎日、夜に軽い治癒魔法をかけて肉体への負担を和らげておく。
ぬいぐるみやクッションや雑貨類が増えて少女趣味になった瑠璃の部屋へ赴き、施術のために服を脱いでもらった時は女同士とは思えないほど動揺していたが、接触してかけた方が効率的なだけだ。これが朱華やシルビアならともかく、俺が瑠璃を押し倒すわけもない。
瑠璃もこの治療が気に入ったようで、
『アリス先輩。できたら、ボス戦の後もこの治療、続けていただけませんか?』
なんて言っていた。
別に俺としては構わないのだが、肉体の成長という意味ではあまり治さない方がいいはずである。だからこそ軽い治療に留めているわけで、治してまで無理をするよりはトレーニング量を減らす方が理にかなっている。
そう言ったら「そうですか……」とわかりやすくしょんぼりしてしまったので、疲れた時はいつでも言って欲しいと付け加えておいた。
『アリス。あたしにも治癒魔法かけてくれない?』
『朱華さんに必要なのは安眠を促す魔法だと思います』
『そんなのかけられたら眠くなっちゃうじゃない』
エロゲで夜更かししてないで寝ろ、と言っているのだ。
と、そんなこんなであっという間に大型バイトの日がやってきた。
当日までにシルビアや教授、ノワールはいつも通り色々と準備をしていた。俺は衣装と聖印さえあれば力を発揮できるので、シルビアに乞われるまま聖水を量産したり、ノワールの手伝いをして彼女の負担軽減に努めた。
連日頑張ってトレーニングしていた瑠璃も自信がついてきたようだ。
「後はいつも通り、みんなで無事に帰ること……ですね」
清めた身体に聖印と衣装を身に着け、寝る前の分の祈りを今のうちに捧げる。
朝晩のお祈りは当初の五分よりも伸びることが多くなっている。
あれこれと祈っていたら時間を超過してしまったり、逆に雑念が入らなくなって時間が勝手に過ぎてしまうようなことが度々起こる。
さすがにこの前のように三十分突破、とかはないが……体調は悪くない。気持ちもしっかりと澄んでいる。
「行きましょうか」
リビングへ移動すると、瑠璃以外の全員が集まっていた。
みんなボス戦用の装備。最も軽装なのはチャイナドレス(in防寒用の肌着)な朱華。教授は何やら大きなリュックを背負っており、シルビアはいつも通り白衣に大量のポーション。
そしてノワールは、いつもよりも厚手のメイド服に身を包んでいた。各部にはベルトが装着されてナイフや拳銃、手榴弾などを装備しており、この前言っていた通り、気合いの入った戦闘メイドといった雰囲気だ。特に、妙に重厚なスカートが気になるのだが、
「ノワールさん、これめくってもいい?」
「はい、構いませんよ」
いいんだ。
言った朱華自身若干驚いている様子だったが、紅髪の少女はそれでも「じゃあ、せっかくだから」と手を動かした。中にあったのは大人っぽい下着とガーターベルト──ではなく、ズボン風のインナーと、スカート裏にまで装備された装備の数々だった。
「ノワールよ。その装備はさすがに重いのではないか?」
「はい。ですので、従来よりも動き回らない戦い方になるでしょうが……瑠璃さまが加わってくださった以上、それで問題ないかと」
瑠璃はまだまだステップアップ段階。ゆくゆくは雑魚を蹴散らしつつ戦場を踊るようなこともあるかもしれないが、現状は隊列を崩さず落ち着いて敵を迎え撃つ戦い方になる。
となれば、ノワールも前衛の一人として、瑠璃とは別方向の敵を迎え撃つ方がいいだろう。撃ち尽くした銃を捨て、手榴弾を消費していけばその分だけ重量も減るので、状況に応じて遊撃に回ることも可能だ。
「さて、その瑠璃だが……。アリスよ。少し様子を見てくるか?」
「そうですね。朱華さんじゃないので、寝落ちしていたりはしないと思いますが……」
と、瑠璃の部屋に移動しようとしたところで、件の少女がやってきた。
「すみません、遅くなりました」
衣装はこれまで通り、ジャージの上下。得物は摸造刀と木刀。ジャージの中に装着したベルトを使って背中に差す形を取っている。手には薄手のグローブが装着されており、武器が汗で滑らないように、また、ちょっとした攻撃から手を保護できるようにしている。
(ちなみに初代木刀はゾンビの腐肉が完全に落ちなかったので廃棄され、新しい木刀へと交換されている)
表情は悪くない。ほっとしつつ、俺は微笑んで後輩を迎えた。
教授は「気にするな」と鷹揚に頷いて、
「体調、精神状態。その他、問題はないか?」
「大丈夫です。……その、アリス先輩を参考に瞑想を試してみたら、眠ってしまいそうになりまして」
「聞いた、アリス? この子、寝落ちしかけてたみたいよ?」
「後輩の失敗を喜ばないでください!」
朱華がどこまで意図したかは不明だが、このやりとりには瑠璃もくすりと笑顔を浮かべた。少しは気持ちが解れたのなら良かったと思う。
俺たちはぞろぞろと家の外へ移動して、
「今回はいつもの車より一回り大きいのをレンタルしてきた」
運転席に乗り込むのは教授だ。ノワールに運転まで任せるのはオーバーワーク──ということで、行きの運転は買って出てくれるらしい。もしも検問で止められた時用に免許証と身分証と政府発行の許可証もしっかりと用意している。
今回はノワールに助手席へ座ってもらい、他のメンバーは後部座席に分かれて座る。
広いので普通に座れそうだが、俺はひょいっとシルビアの膝に乗せられた。
「シルビアさん、これだと重くないですか?」
「重いけど、くっついてるとあったかいんだよー」
「……なるほど」
重い、と言われて若干イラっとしたのは内緒である。自分から聞いたんだろという話だが、重いならわざわざ抱えるなよ、という話でもある。
あるいはこれが体重を聞かれてムッする女子心理なのだろうか。ぶっちゃけ、人一人が重くないはずはないわけなのだが。
「現地まではかなりある。気を張らずに休んでおけよ」
「ちょっとしたお弁当やお菓子も用意していますので、良かったらどうぞ」
成人組からの忠告+助言。
遠征も初めてではないので俺たちも少しずつ慣れてきている。
「じゃ、私はしばらく寝てようかなー」
「あたしもお菓子持ってきたのよね。瑠璃、食べる?」
「え、ええと……」
瑠璃が「これでいいんですか?」というような視線を送ってくるが、俺にできるのは笑みと共に肩を竦めることだけだ。
「実際、気を張りっぱなしじゃ疲れますよ。……いきなりポテチを開ける朱華さんはどうかと思いますが、瑠璃さんもリラックスしていてください」
「……そうですね」
ふっと息を吐いた瑠璃は朱華の差し出したポテチの袋に手を伸ばし、一枚をつまんで口に運ぶ。焦がしバターの香るバター醤油味。見るからに、そして匂いからして美味しそうである。
「おい、朱華。それは絶対、つまみとして美味いやつだろう」
「教授さまは前を見て運転をお願いします」
「そうそう。食べたければまた買えばいいんだし。運転しながらお酒は飲めないでしょ。……アリスも食べる?」
「時間的に絶対、身体に良くないので止めておきます」
「……あっ」
二枚、三枚と手を伸ばしていた瑠璃が「そういえば」という顔で硬直した。
途中、ドライブスルーに立ち寄ってトイレ休憩を取りつつ現地へ到着した。
前回も別の意味で苦労したが、きちんとしたトイレに寄れたら寄れたで大変だった。主に、俺たち全員、コスプレとしか言いようのない格好をしていたせいだ。
人目に触れる時用にコートは持ってきていたものの、朱華以外は滅茶苦茶ごわごわする。瑠璃もジャージなのでまだマシだが、他のメンバーはぶっちゃけ、コート兼用みたいな装備だ。教授は念じるだけでローブを消せるので普通にトイレに行けたが、俺とノワールは脱ぎ着の問題もあって諦めた。
(余談だが、朱華が「教授は男子トイレでも入れそうよね」と言って殴られていた)
「こんなこともあろうかと、トイレに行けない人用ポーションもあるよー」
「シルビア先輩、それは身体に悪いものでは……?」
「大丈夫。身体にはそんなに負担かけないから」
一定量の水分を身体に循環させ直しつつ、残った水分は微細な吸水物質が吸って容積を減らしてくれる。吸水物質は普通にトイレに行った時に痛みもなく排出される……らしい。どこまで本当かは不明だが、実際に飲んでみたところ尿意は収まったし痛みもなかった。
さて。
車を停めたのは廃寺付近の適当な空き地だ。周囲には民家も人気もなく、しんと静まり返っている。待機していた政府関係者に挨拶をしてから、手入れがされていなさそうな石段を上がっていく。俺は足を運びながら結界を張った。
「廃寺ってどうして生まれるんでしょうね……」
瑠璃がぽつりと呟くと、何気ない口調でシルビアが答えた。
「関係者が老衰とか病気で死んじゃったから、とかじゃないかな。県とか市とかは邪魔だから壊したいだろうけど、じゃあそのお金はどこから出すのって話だし」
「……世知辛いですね」
他人の不始末を自費でなんとかしよう、なんてできる人間はなかなかいない。まして、宗教関係の施設だと罰が当たるんじゃないか、なんて思いもあるだろうし。
そうやって放置されていけば変な噂も生まれるだろうし、邪気が集まっていくのは当然だ。
果たして。
石段を上り切った先にあったのは、かろうじて建物としての原型をとどめているだけの、見るからに廃寺といった感じのものだった。
周囲は森。
「この際、建物は壊して構わないと言われているが、延焼には注意するように。特に朱華」
「はいはい。……そんなのばっかりよね、あたし」
肩を竦めつつも了解する朱華。そんなやり取りをしている間にも邪気は集合して形を成しはじめ──。
「……これ、凄いです」
経験の少ない瑠璃でさえわかるほどに、強いプレッシャーが生まれた。
互いの攻撃の邪魔にならない程度に散開し、武器を構える俺たち。そして、
「《
「っ!」
「とりあえず先制攻撃だよっ!」
俺の魔法、ノワールの銃撃、シルビアの強酸ポーションが、邪気によって作り出されたたった一つの巨大な影にぶつかる。
錫杖によって強化された魔法+仲間たちの攻撃を受けてなお、まだまだこれからだとばかりに咆哮を上げた化け物は──大きな胴体と複数の首を持つ、まさしく異形の怪物だった。
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