聖女、スーパー銭湯に行く

 目が覚めると、すぐ近くに朱華の顔があった。


「っ!?」


 一瞬、悲鳴を上げそうになってから昨夜のことを思い出す。

 感傷的な気分になった挙句、彼女へ「一緒に寝て欲しい」と頼んだのだ。

 何をやっているんだ俺は。

 我に返ってみると恥ずかしすぎる。こういうことをするから「放っておけない」評価をされるんじゃないのか。

 内心「うわぁ……」となりつつ、どうしたものかと思案。下手に動くと朱華を起こしてしまうし、このままでいるべきか。

 起きているのに身動きできないのも若干辛いというか、目を開けていたら朱華の寝顔が間近にあり、閉じていたら静かな寝息をはっきり感じられてしまうんだが……。

 と。


「……ん」


 ぴくん、と動いたかと思うと、もぞもぞし始める朱華。

 寝ている時というのは意外なほど気配に敏感なものである。結局起こしてしまったようで、程なく彼女の瞳はゆっくりと開かれ始めた。

 じー、っと、数秒見つめ合って、


「……あー。おはよ、アリス。よく眠れた?」

「はい、お陰様で。……その、ご迷惑をおかけしました」

「気にしなくていいわよ。久しぶりにのんびり眠れたし」


 それはエロゲで夜更かししなければいいだけでは。

 まあ、厚意は素直に受け取っておくべきなのだろうが、それはそれとして……少し自己啓発というか、気分の入れ替えが必要かもしれない。

 座卓まで這っていってノートパソコンを開くと「あー、まだこんな時間じゃない」とか言っている朱華を見ながら俺はしばし考え、


「朱華さん。私は決めました」

「なによ急に」

「私、今度こそ修行します!」


 拳をぐっと握って宣言すると、半眼の表情と「また変なこと言い出したわね」という冷ややかな声が返ってきた。






「で? なんで急に修行なのよ?」

「もちろん、弱い私の心を鍛え直すためです」


 シャワーにお祈り、朝食といった朝のルーティンを終えた後、少し時間を置いて十時過ぎくらいにシェアハウスを出た。思い立ったのが日曜で良かったと思う。

 で、冷たい反応をした割についてきてくれた朱華は俺の返答にため息をついて、


「だから、あんたはそれでいいって話だったじゃない」

「はい。なので、私がそういうのを気にするタイプなのは諦めました」


 考えないようにと無理をしても大した成果は得られない。


「だから、細かいことを気にする前に、もっと建設的な視点を持てるようにしたいんです」

「具体的には?」

「聖職者って奉仕者だと思うんです。だから、世のため人のためになることをして自分が満たされていれば、余計なことは考えないんじゃないかと」

「で、聖職者っぽく修行ってわけ」


 まあ理屈はわかった、とばかりに頷く朱華。


「……なんか逆効果になりそうな気もするけど」

「え?」

「なんでもない。それよりこれ、どこに向かってるのよ」

「修行って言っても、滝行は前回挫折したじゃないですか」


 滝に行きたいと鈴香達に告げたところ、何故か海水浴とエステと森林浴に化けた。あれはあれで楽しかったし、大変リフレッシュできたのだが、修行かというとノーだ。

 かといって再チャレンジしようにも、日帰りで滝までは結構遠い。


「なので、代わりにスーパー銭湯です」

「あんた、そこだけ聞くとアホの子にしか聞こえないわよ?」


 ひどいことを言われた。


「べ、別に何も考えていないわけじゃありません。ちゃんと修行になると思ってここにしたんです」

「わかってるってば。ここならサウナとかあるもんね。あと水風呂もあったっけ?」

「……そういうことです」


 「冷たい」のが用意できないなら代わりに「暑い」だ。滝とまではいかないものの水風呂もあるので、ここなら自分を苛められる。


「なるほど。でも、銭湯ならみんなで来れば良かったわね」

「それだとみんなで湯舟に浸かって『あー楽しかった』で終わるじゃないですか」


 いや、ノワールには温泉でリフレッシュして欲しいし、教授もなんだかんだ風呂好きだから喜ぶだろうが。そういうのはまたの機会にしておきたい。なんなら今日の帰りにチケットを買ってみんなに渡してもいい。

 それに、ノワール達を誘うとなると瑠璃を誘わないわけにはいかない。

 瑠璃に嫉妬する気持ちを吹き飛ばすための修行なんて、恥ずかしくて本人に言えるわけがない。


 というわけで、受付でお金を払って入場。

 映画に行くよりは安い、くらいの額。朱華の分も払うと言ったら「んー……いや、いいわ。どうせ結構長居するんでしょ?」とのこと。仕方ないので代わりにデザートでもご馳走することにした。


「男女別なんですね」

「水着で混浴のところもあるらしいわよ」

「それなら家族でも楽しめますね。あとは……恋人同士とか?」


 デートで銭湯に行く図というのもなかなか想像しがたいが、恋人同士で温泉旅行は割と普通だ。そう考えればお手軽に良いお風呂を楽しめるのはなかなかアリかもしれない。


「で、まずはどこ行くの?」

「最初は普通にお湯に浸かりましょうか」


 脱衣所で裸になってお風呂スペースへ。

 さすが、スーパー銭湯と言うだけあって色々なお風呂が並んでいる。日曜なのでそこそこ客入りもあるようだ。年配の方が中心かと思いきや、二十代・三十代くらいの姿も意外とある。みんなリフレッシュを求めて来ているのだろう。

 俺達はしっかりと身体を洗った後、数ある風呂の中から温泉っぽいオーソドックスなものを選択。身体がぽかぽかして気持ちいい。


「はー……。温泉って入ると気持ちいいわよね」

「入るまでが億劫ですか?」

「だって、温泉旅館ってだいたい遠いし。それに結構やばいのよああいうとこ。若女将にマッサージ師に、場合によっては媚薬効果のある温泉とかあるし」


 またしてもエロゲあるあるの話だった。

 特に、女だけとか恋人同士とか、恋人でなくても男女の友人同士とかで行くのは危ないらしい。いや、それ全部駄目じゃないだろうか。

 女子中学生二人が休日にお風呂でするには特殊すぎる話題で盛り上がった(?)後、俺は適当なところで湯舟から上がる。


「じゃあ、私はサウナ行ってきますね」

「行ってらっしゃい。あたしは適当に楽しんだらロビーか娯楽スペースにでも行くわ。あんまり根詰めるんじゃないわよ」

「あはは……。まあ、修行ですからね」


 根を詰めないとは答えられず、笑って誤魔化した。

 サウナ室へはお風呂フロアからそのまま行けるようだったが、いったん出て自販機でペットボトルの水を買ってから入った。自分を苛めるつもりではあるが、水分くらいは補給しておかないと逆に長くもたない。

 入っただけで熱気を感じる部屋の中には比較的若い年齢の女性が二人ほど座っていた。美容のために頑張っているのか、その表情はストイックな修行僧のようである。サウナって中年のおっさんが談笑しているイメージだったんだが、男用とはえらい違いだ。

 とりあえず、ぺこりと会釈をしてから隅の方へ座る。お互い修行中ならあまり関わらない方がいいだろうと──。


「そんなに遠くに座らなくてもいいのに」

「ほら、こっちおいで」


 話しかけられた!?

 二人ともさっきの表情はどこへ行ったのか、可愛いペット動画でも見てるような顔で「来い来い」と手招きしている。

 無視するのもアレなので寄っていくと「日本語わかる?」「何歳?」と矢継ぎ早の質問。

 なんだこれ。

 結局社交場なのは変わらないのか、気づけば俺はそのまま女性達と仲良く談笑していた。不思議なことに、会話を楽しんでいると暑さも和らいで感じられる。修行としてはどうなのかと思うが、ダイエット等が目的であれば良い方法なのかもしれない。


「じゃあ頑張ってね」

「無理しちゃ駄目だよー」

「はい。ありがとうございます」


 先に出て行った彼女達に笑顔で答え、俺は修行を続行。

 居るだけで汗がだらだら流れていく。あっという間にぬるくなってしまった水をちびちび飲みつつひたすら耐える。

 結構きつい。

 だからこそ修行になるはず。心頭滅却すればなんとやら、という言葉もある。無心だ。無心になればこれくらいなんでもないはず。

 時計を気にしなくていいように目を閉じて時を過ごし──。


「あ」


 水が尽きた。

 一本しか持ってこなかったし、中身は有限なのだからなくなるのは当然。ただ、俺には死刑宣告のように思えた。このまま座っていればガチで自分の限界に挑戦できるだろうが──それを考えると朱華やあの女性達から言われた「無理はするな」という言葉が蘇ってくる。

 かといって、水を買ってもう一度ここに戻るというのもなんとなく違う。

 むぅ……としばらく躊躇してから、


「切り上げましょう」


 無難な決断を下した。

 サウナから出た後は、そういえば水風呂に行っていなかったと思い出してそちらへ向かう。火照りまくった身体で冷たい水に浸かると妙に心地いい。

 このままずっと浸かっていたい……と、ほっこりしたところで急に水の冷たさを感じた。一度感じてしまえばそれはどんどん襲ってきて、全身から寒さが襲ってくる。

 だが、ここで出たら修行にならない。

 俺は寒さを一生懸命堪えてそこに留まり、


「……限界です」


 このままだと確実に風邪をひく、と危機感を覚えたところで水から上がった。

 冷え切った身体を普通のお風呂で適度に温めたら脱衣所へ。気づけば結構な時間を過ごしてしまっていた。

 服を着て脱衣所を出、ロビー等を探すと……いた。朱華は娯楽スペースの一角でほうじ茶(無料)片手にマンガを読んでいる。

 なるほど、利用料を自分で払ったのはこれが目当てか。


「朱華さん」

「ああ、アリス。お疲れ様。どうだった、修行は?」

「ひたすら自分を苛めるのは悪くない感覚ですね。効果は何度も続けないと出ないかもしれませんが……」

「あのさ、あんたって絶対Mよね」

「公共の場で変なこと言わないでください……!」


 とりあえず、お昼時になってしまったのでご飯にしようということになった。ちょっとしたレストランまで併設されているのがスーパー銭湯のいいところだ。

 俺はちらし寿司と茶碗蒸しのセット、朱華はカツ丼をチョイス。

 食後は俺持ちでデザートの杏仁豆腐を食べ、熱いほうじ茶でひと息ついた。


「午後はどうすんの?」

「せっかくなのでもう一、二セットやっていこうかと。朱華さんは先に帰ってもいいですよ」

「いいわよ別に。マンガ喫茶来たようなもんだし」


 それもどうかと思うのだが。


「でも、ま、ある意味いい方法なんじゃない?」

「? 何がですか?」

「修行。要は教授の言ってる共鳴ユニゾンを進めたいってことでしょ? だったらあんたの場合、自分を苛めるのは間違ってないと思う」

「そこまで細かい事は考えてなかったのですが……」


 朱華の言う通りなのだろう。

 俺にとっての聖職者像である聖女アリシア・ブライトネスはいつも人のために何かをしようとしていた。ゲームストーリーの都合と言ってしまえばそれまでだが、描写された内容を素直に受け取れば、アリシアは自分のことよりも人のことを考える献身的な人格のはずだ。

 滝行を考えたのが対不死鳥に備えて強くなるためだったように、俺はもう一度、アリシア・ブライトネスに近づこうとしているのだ。


「水風呂とサウナで覚醒できたら物凄くお手軽ですね」

「自分で言ってどうすんのよ」


 朱華と別れた俺は、再び自分を苛めにかかった。

 サウナで適度に自分を痛めつけたら水風呂に浸かり、またサウナで汗をかく。今度はちゃんと水も多めに用意した。

 暑さや寒さに耐えるようと必死になっていると余計なことを考えなくて済む。

 無心というほど格好いいものではないが、ある程度意識を研ぎ澄ますことはできた。


 だからなのか、俺は久しぶりにアリシアの声を聞いた。


『もう、私? 私はそんなに格好いい人間じゃありませんよ?』


 聖人はみんなそう言うのだ。


『そうは言いますが、私はあなたなんですから。お互い様だっていうこと忘れないでくださいね』


 お互い様。

 それこそ、俺はアリシアみたいな善人じゃない。一緒にするのは良くないと思うのだが。なんとなく、言っても押し問答になりそうなので止めた。


『ふふっ、そうしてください。それから私? 一つ先に進んだあなたなら、一つ、新しい力を使えると思います』


 新しい力?


『念じれば自然とわかるはずです。あなたなら心配いらないと思いますが、みんなのために役立ててくださいね?』


 それきり、アリシアの声は聞こえなくなった。

 こんなに普通に会話(?)したのは初めてな気がする。これは俺とアリシアが近づいている証拠なのだろうか。相変わらず精神汚染の気配とかはないので実感は湧かないし、それはそれで別に構わないのだが。

 新しい力か。


「とりあえず、やってみましょうか……」


 小さく呟いて精神を集中する。

 刹那。

 俺の手の中に、妙に見覚えのある長柄の物体──アリシアの錫杖が現れた。


「は?」


 思わず上げた声に、サウナにいた人達の視線がこっちを向く。慌てた俺はもう一度意識を集中してさっさと錫杖を消した。

 いやもう、いきなりにも程がある。

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