聖女、先輩になる
昼休みのうちにシルビアへ「一緒に帰ろう」と連絡した。
普段は別々に帰ることも多いのだが、今日に関してはいっぺんに帰った方が話をしやすいだろう。
シルビアからも了解の返事が来たのでほっとひと息。
……と、思いきや、俺は放課後までそわそわしっぱなしだった。
「何かお土産とか買って行った方がいいでしょうか?」
帰りのHRを終え、校門前で集合するなり尋ねると、朱華とシルビアは揃って笑った。
「どっちかというと、向こうが持ってくる側だよねー」
「向こうもそんな余裕ないだろうけどね」
確かに、俺もあの時はいっぱいいっぱいだった。
身体が変わってしまった上、女子の服まで着せられて、挙句「別の場所で知らない人と生活してください」だ。困惑するに決まっている。
俺は深く頷きを返して、
「じゃあ、できるだけ快く迎えてあげないとですね」
両手をぎゅっと握りしめたところ、左右の頬がぷにっと突かれた。
「なんであんたがそこまで緊張してんのよ」
「いつも通りのアリスちゃんでいいと思うよー?」
「それはそうですけど、どんな人が来るかわからないんですよ?」
場合によっては対面した瞬間に頭が真っ白になるかもしれない。
と、朱華は軽く肩を竦めて、
「ま、なるようにしかならないでしょ、実際」
シルビアはいつも通りのほほんと笑って、
「ドラゴン娘とか来たらどうしよっか、アリスちゃん」
「実際、ドラゴン娘どころか雄ドラゴンが来る可能性だってあるんですよね……」
やっぱり緊張して当然ではあるまいか。
シェアハウスに帰るまでに俺が深呼吸した回数は、実に十回以上だった。
「……着きましたね」
「そうね。じゃ、さっさと行きましょうか」
「時間的にとっくに着いてるだろうしねー」
もう一度深呼吸をしてから、と立ち止まった俺をよそに、さっさと玄関へ向かう二人。
慌てて追いかけ、朱華が鍵を開ける間に呼吸をした。
「ただいまー」
シルビアが声を上げる中、俺は、玄関に見慣れない靴が揃えて置かれているのを見た。
女子用のスニーカー。中学生くらいの子が履きそうな可愛らしいデザインだ。綺麗に洗ってあるが新品ではない。履き慣らされた感じがある。
もともと女子だったのだろうか。
足のサイズまで変わらなかったとなるとかなりの偶然だが──いや、このスニーカーが最近まで履いていたものとは限らないか。慌てて昔の靴を引っ張り出してきたのかもしれない。
そこまで考えたところで、ノワールがリビングの方からやってきた。
「お帰りなさいませ、シルビアさま。朱華さま。アリスさま」
「ただいま、ノワールさん。新しい人は?」
「はい。リビングでお待ちいただいております」
答えるノワールもいつも通りだ。
メイドとして無様な姿は見せない、ということかもしれないが、少なくとも傍若無人な相手ではないのだろう。ようやく少しだけ安心しながら靴を脱いだ。
朱華、シルビアに続くようにしてリビングへ足を運ぶと、ノワールがすっと後ろについた。なんとなく「大丈夫ですよ」と言われている気がする。
果たして──。
「おお、帰ってきたか。先に始めているぞ」
教授が和菓子と緑茶を飲みながら将棋をさしていた。
見た目の子供っぽさからすると渋すぎる趣味だ。と言ってもあのゲーム、プロを目指すなら子供のうちからやらないと間に合わないんだったか。プロ棋士も変人揃いと聞いているので、案外、教授みたいな小学生もいるかもしれない。
って、そうじゃなくて。
この際、教授はどうでもいいのだ。新しい住人の知らせを聞いて早上がりしただけだろうし。この人が何か食べているのもいつものことだ。
問題は、向かいに座って将棋の相手をしていた少女の方。
「───」
彼女は、俺達が入り口あたりで立ち止まった時点で席を立ち、こちらに向き直っていた。
その容姿は、俺も含めたメンバー達に負けず劣らず印象的で、思わず言葉を忘れて見惚れてしまう。
肩まで伸びる髪は艶やかな黒。
教授やノワールのように「黒っぽく見える」ということではない、烏の濡れ羽色、なんて比喩を思い出してしまうようなシンプルな色は、彼女の瞳にも宿っていた。
顔立ちはどこか人形的。シルビアを西洋人形に例えるなら、少女は日本人形。日本人である俺としては親しみを感じずにいられないタイプの美しさがある。
身長は俺より高い。朱華よりは僅かに低いだろうか。すっと背筋を伸ばした姿勢のせいか、印象としてはもう少し背が高くも感じられる。
身に着けているのは何の変哲もないカジュアルファッション。
どういうわけかサイズが合っていない感じだが、そのせいで萌え袖かつロングスカートになっていて、見た目の印象とのギャップを作り出している。
これはこれで可愛いし、着物に身を包んだらおそらくもっと似合うだろう。
と。
そんな少女の、黒く澄んだ瞳が俺達を順に見渡す。
シルビア、朱華ときて、次に俺を見た彼女は「あっ」と小さく声を上げた。綺麗な声。朱華が頬をぴくりと動かしたので、声優センサーに反応があったのかもしれない。
でも、なんで俺?
不思議に思っているうちに、少女は唇を笑みの形に綻ばせ、俺達に向けて深く一礼した。
少し硬すぎる印象はあるものの、どこか「和」の趣を感じさせる動きだった。
顔を上げた後、小ぶりかつ艶やかな唇がゆっくりと動いて、
「初めまして。
堂々とした、礼儀正しい挨拶。
順番が色々違っているとはいえ、俺の時とは大違いだ。
なんというか、我がシェアハウスの新人は、俺が心配していたのとはまるきり逆方向に「凄い」人物なのかもしれない。
「じゃあ、さっきのってこれから使う名前でいいんだね?」
「はい。政府の方から『別人として振る舞うように』と言われましたので。早月でも瑠璃でも、お好きなようにお呼びください」
「わかった。じゃあ瑠璃ちゃんだねー」
とりあえず俺達からも自己紹介(名前と元ネタ)をした後、渋る教授を宥めつつ将棋盤を片付けた。
全員で腰を落ち着け、ノワールが淹れてくれた紅茶を一口飲んだところで、シルビアが一瞬にして新人──瑠璃との距離を詰めた。
俺にはとても真似できない。
思わず妙な感心をしてしまい、
「えっと、じゃあ瑠璃。あんたの元ネタは? それと歳は? もしかして年上だったりする?」
朱華もか。
内心ツッコむ俺をよそに瑠璃が頷いて、
「はい。私──『早月瑠璃』は十五歳です。以前、私がとあるゲームで使ったキャラクターでした」
「ゲームって?」
「TRPG……と言えばわかりますか?」
「なるほど、そう来たか」
教授が深く頷く。TRPGについては俺もなんとなくは知っていた。
RPG、特にMMORPGに近い遊び方を機械を使わずに行うジャンルだ。まあ、正確に言うとチャットや計算のためにPCやスマホを使うことはあるんだが、重要なのはNPCやモンスターの行動やダンジョンマップの設定、ストーリーの分岐などを全て
つまり、シナリオを含むデータを追加し放題。
主人公となるPC(プレイヤーキャラクター)もプレイヤー(三~五名程度のことが多い)が名前や設定、性格から戦闘能力まで設定できたりするので非常に自由度が高い。
性質上、創作を行う人間とは相性が良く──そうした縁か、自分の書いた小説のキャラクターになった、という経歴のシルビアは「私もやったことあるよー」と声を上げた。
自分の作ったキャラになった、という意味で瑠璃はシルビアに近い。
あと、半分オリジナルキャラクターである俺も似通った部分があるか。
「ふむ。瑠璃よ。お主が早月瑠璃として振る舞い慣れているのはゲームで使っていたせいか?」
「はい。それもあると思います」
「それもある、と申しますと……?」
ノワールが不思議そうに首を傾げる。説明が二度手間になるため、詳しい話は俺達が来るまで取っておいてくれたらしい。
お陰で心の準備ができていたのだろう。瑠璃は落ち着いた表情のまま答えた。
「私、こうなる前から女の子に憧れがあったので。その、女装なんかもしたことがあって」
「え」
俺は、ぽかん、と口を開けたまま硬直した。
他の面々(瑠璃を含む)が一斉にこっちを見る。変な反応をしてしまったと後悔するが、今更後には引けない。
「あの、瑠璃さんは、こうなる前は男性だったんですか……?」
「……はい、そうです」
恥ずかしそうに目を伏せて答えた彼女は、その、物凄く可愛かった。
馬鹿な。
自然に振る舞っている上に私物っぽい服だから、てっきり元から女だったんだろうと思ったのに。
愕然とする俺の脇腹を朱華がちょんちょんと突いて、
「ちょっとアリス。その反応、下手すると失礼よ」
「だ、だって、私、普通に振る舞えるようになるまですごく大変だったんですよ!? なのにこれじゃ、凄く負けた気がするじゃないですか!」
「うん、瑠璃ちゃんのこと褒めてるのか違うのかよくわからないねー」
「落ち着けアリス。そこのシルビアのように、変身したことを大喜びするタイプもいるのだ。自分と比べても空しくなるぞ」
「気にしないでください。私、実際に女の子になったことはありませんから。アリス先輩にはいろいろ教えていただきたいです」
「……アリス先輩?」
混乱していた思考が、その単語によってぴたりと止まった。
「はい。あの、お気に召しませんでしたか?」
「い、いえ。でも、その。瑠璃さんとは同い年ですよね?」
すると瑠璃はにこりと笑って答えた。
「いいえ。十五と言いましたが、設定的に『数え』で十五歳なんです。その方が私としても都合がいいので、朱華先輩やアリス先輩より一学年下と考えていただければ」
「数え……」
「ええ。私、設定上は武家の姫なので」
武士がいたころの日本っぽい世界で生まれた武家の姫。それが彼女──瑠璃の元ネタらしい。
女子とはいえ武家の子なのだからと幼少期から叩き込まれたお陰で大抵の武器は扱うことができ、中でも刀と薙刀は大の得意。
生まれつき僅かながらに備えた霊力を頼りつつ、人の世を脅かす怪異を夜な夜な退治して回っている、というのが大まかな設定なのだとか。
「きちんとデータ上でも表現していました」
若干誇らしげに言う辺りは、ああ、なるほど男子だ、と妙に納得。
これには朱華も表情を輝かせ、
「やったじゃないアリス。待望の前衛よ」
「うむ。メインの能力が武技となると元キャラそのまま、とはいかぬだろうが、やってみれば身体が憶えているだろう。TRPG出身なら物理法則はある程度無視できるだろうしな」
「教授さま、そうなのですか?」
「あのゲームは基本、データ優先演出後付けだからな。イラスト上はロリな神官だろうと、筋力が人間の限界値ならでかいグレートソードを問題なく振り回せる。クリティカルすればワイバーンだって一撃だろう」
「いや、なんかよくわかんないけど……どうせならオーク斬り殺して欲しかったわ」
それはわかる。
瑠璃もなろうとしてなったわけじゃないんだから言っても仕方ないんだが。
「そういえば、瑠璃さんは大丈夫ですか? その、ご実家とかご友人とか」
「……あー。はい、一応」
こうなる前の瑠璃は大学生だったらしい。
一人暮らしはせず実家から通っていたため、変身した朝も家族に発見されることになった。当然大騒ぎである。
ただ、医者に行って政府に連絡して──という例の流れを経た結果、一応は納得してもらえた。
唯一、父親だけが割と強硬に「うちの子として扱えばいい」と聞かなかったそうだが、変身という事例が広まること自体がまずいのだ、と説得を受けて渋々了承してもらえたのだとか。
「へー。頑固そうな親父さんね」
「親父……父は和菓子職人をしているんです。一応、俺──私を跡取りとして考えていたみたいなので、手放しがたかったんじゃないかと」
ああ、教授が食べていた和菓子は瑠璃が実家から持ってきたのか。まさか本当に菓子折り持参で来る新人がいるとは。
というか、和菓子屋には最近、ちょっとした縁があったような。
「ふうむ。吾輩にはわかってしまったような気がするが……まあ、口に出さないでおくとしよう」
「その節は美味しいお饅頭をありがとうございました」
「い、いえ、こちらこそお買い上げありがとうございました」
ノワールさん、そのタイミングで言ったら教授の格好いい台詞が台無しではないでしょうか。
それにしても、和菓子屋の長男が変身して家出か。
しかも以前から女装癖があって変身したことを大喜び。そう考えると親御さんが若干不憫な気もするが……俺には、瑠璃の気持ちがよくわかってしまった。
俺の場合は変身してからだったが、女子としての生活にかけがえのない価値を見出してしまったのは同じだ。
だから、俺には瑠璃を非難できない。
緊張も、敗北感も押し込めて笑顔を作ると、俺は瑠璃に向けて言った。
「歓迎します。一緒に頑張りましょうね、瑠璃さん」
少女はびっくりしたような顔で俺を見た後、大きく頷いてくれた。
「はいっ。よろしくお願いします、アリス先輩」
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