聖女、デートに誘われる
買い出しの日の夕食は鍋だった。
大根おろしのたっぷり入った、いわゆる「みぞれ鍋」だ。具材としては鶏つくねと各種野菜。食べ応え満点な上、自然と野菜を食べられるのが心憎い。
俺がシェアハウスに来たのが初夏に近かったのもあって、これまではあまり鍋が出なかった。
しかし、ここの流儀は把握している。ご飯のおかずに鍋を食べるのではなく、鍋にしっかり集中してからシメをいただくタイプだ。
もちろん、教授は食事開始と同時に缶ビールの蓋を開けた。
「うわ美味しそう。肉もしっかり入ってるじゃない」
「うむ。これからは鍋の季節だな」
「鍋の時は戦争だからねー。気合い入れないと」
メンバーからも歓声が上がった。
「え。あの、ノワールさん。鍋争奪戦はそんなに激しいんですか?」
「具材はたっぷりありますので、焦らなくても大丈夫ですよ。シルビアさまは大袈裟すぎます」
不安になって尋ねれば、ノワールはくすりと笑って答えてくれた。
良かった。これまでの鍋が熾烈な具材争奪戦だった記憶はないのだが、あれがお客様用のまったりモードだったとしたら戦慄していたところだ。
小食になったとはいえ、俺だって育ちざかりには違いない。夜中にお腹が空いて起きてしまう、なんていうのは避けたい。いや、ノワールは喜んで夜食を作ってくれそうではあるが。
「では、いただきましょう」
「いただきます!!」
食事が始まった途端、戦争とまではいかないにせよ、次々に具材が鍋から消えていく。
ノワールの言った通り量は十分であり、俺の器にもこんもりと野菜やつくね、大根おろしが確保された。若干のスープと共にそれらを口に運べば、様々の具材から出たうま味による複雑な味が幸福感を与えてくれる。
「美味しいです、ノワールさん」
「それは良かったです。どんどん食べてくださいね」
「はいっ」
俺は各種具材をバランスよく。朱華は肉多め。シルビアはバランス良いものの量が多め。教授はさっき言った通りビール片手に鍋をつまんでおり、ノワールは白ワインをちびちび飲みながら周りの世話をしつつ、自分も食を進めている。
みんなで鍋というのも良いものだ。
芽愛達とはまだ経験がないが、いつかやる機会があるだろうか。誰かの家で、とかいう話になると、お洒落にチーズフォンデュパーティとかになってしまいそうな気もするが。
俺も、もっと料理を練習しないと。
鍋も奥が深い。具材を入れて煮るだけに見えて、具材の組み合わせや下ごしらえの仕方、味付けなど凝れる部分はいくらでもある。これからもノワールの手際を参考にしていかないと。
「あ、そうだアリス。お願いがあるんだけど」
「はい? お願いですか?」
不意に朱華に声をかけられる。
何かあったのだろうか。首を傾げつつ、変な頼みだったら断ろうと内心で決める。
例えば、ラノベを装った官能小説を読んで感想文を書けとか。
「うん。もし暇なら明日、デートしてくれない?」
「あ、なんだ。そういうことですか」
全然普通の頼みだった。
幸い明日は予定もないし、付き合うのはやぶさかではない。俺は快く頷いて、
「もちろんです。……って、あれ?」
変な頼みではなかったものの、驚くべきフレーズが交ざっていたような?
「あの、朱華さん? もしかしてデートって言いました?」
「言ったわよ? ……んー! この鶏つくね最高!」
平然と答えた少女は鶏つくねに歓声を上げ始めてしまったが……いや、待て。「言ったわよ?」で済ませるんじゃない。
いつもなら料理への賛辞に「ありがとうございます」と返すノワールもぽかんとした表情を浮かべて、
「朱華さま? 明日はアリスさまとデート、なのですか……?」
「はい。アリスがOKしてくれたので、明日は外食してくると思います」
答えながらにんじんとニラをぱくつく朱華。
だから食べている場合ではなく、
「待て、お主らいつの間にそういう関係になったのだ!?」
「あ、アリスちゃん? 女の子の身体が好みなら私も悪くないと思うんだけど、もしかして高校生以上には興奮できないとか……!?」
「待ってください、濡れ衣です!」
大騒ぎになりつつ、朱華に「デート」とやらの目的をみんなで吐かせた。
「別に大した話じゃないのよ。二人で遊びに行ってくれればいいだけ」
と、
「なんだ。驚いて損したよー」
「ですが、朱華さまが率先して遊びに出るなんて珍しいですね? 新しいゲームの発売日とか、でしょうか?」
「いや、最近のゲームは通販やDLで手に入るからな。むしろイベント関係ではないか?」
「みんなあたしをなんだと思ってるのよ。まあ、普段の言動はだいたいそんな感じだけど」
因果応報じゃないか、というのは置いておいて。
「じゃあ、本当にただ遊びに行くだけなんですか?」
「それ、本当にデートじゃない?」
「だからデートだって言ったんだってば」
シメの雑炊を口に運びつつ、朱華。
「つまり、お主はアリスを落とそうとしている、ということか?」
「そうなのですか、朱華さま!?」
「いや、違うってば。……ん? 違わないかも? どうだろ?」
「どっちなんですか」
「だから、健全な百合的デートでいいのよ。あたしの体質改善に効果があるかどうか確かめるために」
「?」
詳しく話を聞くと、こういうことだった。
「あたしが鬼畜エロゲ体質なのは知ってるでしょ?」
「ものすごく独特のフレーズですが、まあ、知ってます」
簡単に言えば性的なピンチを誘発しやすい体質だ。
電車に乗れば痴漢に遭う、共学校に行けば変態教師に狙われる、一人で海で泳ごうものならチャラい男がナンパしてくる、エロゲプレイヤーの集まるオフ会に出かければ当然のように紅一点になる……エトセトラ。
あくまでも確率が高くなるという話だし、その気がない相手に性犯罪を犯させるような強制力はないのだが、ちょっとした危険を高確率で引き寄せるという時点でなかなかにハードだ。
朱華が出不精なのは、周りに仲間や友人がいないとこの体質のせいで碌なことがないから、というのもある(はずだ)。
「これって、あたしがエロゲ出身だからだと思うのよ。ってことは、別のジャンルに乗り換えられれば体質がマシになるんじゃないかなって」
「あー。だから百合なんだね」
「待ってください、シルビアさん。一人で納得しないでください」
「考えてみてよアリスちゃん。百合って女の子同士の話でしょ? だから、合法的に男を排除できるんだよ」
「いえ、その前段階がよくわからないんですが」
突っ込んで聞いたみたところ、要は鬼畜エロゲっぽくないシチュエーションに身を置くことで「エロゲのメインヒロイン」という枠組みから抜け出そう、ということらしい。
「それじゃあ私が相手じゃダメだよねー」
「シルビアさんが相手だと百合は百合でも百合エロゲにしかなりませんからね」
「え、あの、そんなに簡単に体質って変わるものなんですか?」
「さあ?」
首を傾げる朱華。そこはわからないらしい。
教授が「うーむ」と呻って、
「やってみる価値はあるかもしれんな」
「本当ですか……?」
「うむ。これは、我々がどういう存在なのかを問う試みでもあると思う。オリジナルそのものなのか、オリジナルと同質ではあっても全く同じではないのか、というな」
朱華がオリジナルの朱華の性質をそのまま受け継いでいて変えようがないなら、いくら頑張ってもエロゲ体質も変わらない。
しかし、同じ存在であっても成長・変化が可能であるのなら、体質改善できるかもしれない。
「オリジナルの存在自体を変質させようとするなら、ソフトメーカーにファンディスクを出してもらわなければならない。それはさすがに骨だからな」
「んー、まあ、それも多分無理だけどねー。私、前に
後付けでオリジナルを改変しても、既に「なってしまって」いる俺達への影響はないということか。
「あれ、それだと朱華さんの体質、治るかもしれませんね……?」
少なくともオリジナルと連動し続けてはいない、ということになる。
すると朱華はにっと笑って、
「だから協力してくれる、アリス?」
嫌、と言えるわけがない。
俺は笑って頷きを返した。
「わかりました。私で良ければ協力させてください」
俺が「あれ? つまりそれって朱華と一日いちゃいちゃしろってことじゃ……?」という思考にたどり着いたのは、眠りにつこうとベッドに入ったその時のことだった。
翌日、俺はいつもより十五分早く起きた。
身嗜みに悩む時間を取るためである。何しろ、
「女の子同士のデートってどんな格好していけばいいんだ……?」
男女のデートさえ未経験の俺にそんなことがわかるわけがない。
いや、まあ、朱華相手に何の準備もなく「本当の恋人同士のような」演技ができるかといわれればノーだし、するつもりもない。なのであまり時間をかけて悩みたくない、という心理が働いた結果が「十五分の早起き」である。
とりあえず顔を洗ってシャワーを浴びながら、俺は頭を悩ませて、
「……まあ、いつも通りでいいか」
朱華の望みは百合っぽいシチュエーションらしい。
特に、ソフトなデートが良いようなので、あまり気負っても仕方ないだろう。ああいうのは当人達に変な気は一切なく、素直に遊んでいるくらいがちょうどいい。見ている側がそれを百合だと解釈するのだ。
自分なりの結論を出した俺は急ぐこともなく朝の日課を済ませ、鈴香達と遊びに行くときと同じように外出用の服を選んだ。
白系のワンピースに黒いタイツ。鞄は小さめのものを合わせて、アクセサリー代わりにロザリオを下げる。気合を入れたお洒落ではないが、お嬢様達に合わせてかなり大人しいスタイル。余所行き感は十分に出るだろう。
そういえば、朱華がどういうデートをするつもりなのか聞かなかったが……バッティングセンターとか連れて行かれたらどうしようか。
まあ、それはそれで初々しい失敗デートっぽく見えるかもしれないので、気にしないことにする。
「よし、と」
鞄の中に入れていくものを再度チェックした後、いつものようにリビングに下りた。
「あ、アリスさま」
すると、すぐさま俺を発見したノワールが何やら近寄ってくる。朝の挨拶は顔を洗う時に済ませたのだが。
「あの、アリスさま。……遅くなる時は早めにご連絡くださいねっ」
「なっ」
可愛らしい声で耳うちされた俺は思わず赤面してしまった。
見ればノワールも若干頬を染め、期待と共にからかうような色合いを瞳に浮かべていた。
朱華やシルビア、教授のいるところで言わないでくれただけ有難いけど、そういう冗談はやめてほしい。
俺はため息をついて「わかりました」と答える。
「朱華さんが『ラーメン食べて帰ろう』とか言い出すかもしれませんし、気をつけます」
ノワールもこれにくすりと笑ってくれた。
「そうですね。……それは少しありそうな気がします」
で、当の朱華はというと、いつもよりも多少早めに起きてきた。
「おはようございます、ノワールさん。アリスも、おはよ」
顔を洗ってすっきりしたにしても、普段より明瞭な挨拶。
彼女の顔を見た瞬間、無駄な緊張が走ったのを感じつつ、俺は憎まれ口を叩いた。
「昨日はよく眠れましたか?」
「ああ、うん。さすがに昨夜は早めに寝たわよ。たまにはしっかり寝るのもいいわね」
「……む」
なんで今日に限ってそんなに素直なのか。
徹夜して一睡もしてないから今日は中止、とかいう展開も若干覚悟していたというのに。
「アリス、そろそろ行けそう?」
朝食を終えた後、俺は一度部屋に戻った。
外出用のコーデに着替え、時間つぶしにラノベを読んでいると、適当なところで部屋のドアがノックされる。
「はい、大丈夫です」
ドアを開けると、そこにはTシャツにジャケット、パンツという格好の朱華がいた。鞄はカジュアルかつスポーティな黒いバッグ。
特にメンズを選んでいるわけではないものの、紅髪かつスタイルの良い朱華が着ると妙に決まって見える。
少なくとも普段の部屋着よりはずっとデートっぽい。
「……ズボンなんですね」
ぽつりと感想を言うと、軽く肩を竦めて、
「動きやすい方が楽じゃない。いざって言う時に走って逃げられるし」
「え、あの、私はスカートなんですけど」
ナンパされたり悪の組織に狙われたりする可能性を考慮しているのか。
今からでも男装してこようかと一瞬考えたところで「大丈夫よ」と肩を叩かれた。
「逃げる時はちゃんと手引っ張ってあげるから」
「………」
アニメなんかでよくある「お嬢様を連れて逃げる主人公」の図を想像してしまった俺は、慌てて首を振ってイメージを打ち消した。
「そもそも、そんな目に遭いたくないです」
「うん、知ってる」
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