第五章【対峙】5

「愚か者が! 何をしている!」


 緊迫に満ちた、しかし聞き慣れた声に私の心の緊張が少しばかり安らぐ。誘導されるように振り返れば、其処には灰色の彼が手に松明たいまつを持って浮遊していた。その隣には、やはり同じように松明たいまつを持った朽葉がいる。私が何か言うよりも早く、朽葉が告げる。


「早く、僕達の後ろへ」


 震えながら地面に立つ両足を何とか動かし、私はその言葉に従う。彼ら二者の間から改めて見上げた先では、開きかけている血染めのような目玉が尚も此方をじとりと見つめている。


 しかし、それ以上に目蓋が開こうとしている様子は無かった。灰色の彼と朽葉が、それぞれ手に持っている松明たいまつを金色の生物に見せ付けるように高く掲げる。すると、赤い目玉の面積が少しだけ減少する。金色の生物は先程よりも細い目で私達を捉え続けていた。


「朽葉、こいつを連れて先に行け」


 灰色の彼は前方を見たまま、ぼそりと言った。


「……分かった」


 朽葉は答え、付いて来て、と私に向けて言う。私は一度、朽葉を見た後、灰色の彼を見遣る。


「早く行け。私もすぐに向かう」


「さあ、早く」


 両者から急かされ、私は朽葉の後に付いた。灰色の彼は松明たいまつを掲げたまま金色の生物に僅かに近付いて行く。私は先のように何かを言おうとして口を開くのだが、言うべき言葉を見失う。その背に、何を言えば良いのか。


「早く」


 朽葉が先程と同じ言を焦燥を強めて放つ。


 結局、私は灰色の彼に何も言わないまま、その場を離れるに至った。先導するように浮遊する朽葉の後を追いながら、胸中に苦々しい悔悟かいごが広がって行く。


「……すまない」


 走りつつ喉奥から絞り出した言葉は意に反して震えていた。朽葉は振り向かぬまま、大丈夫、と一言告げる。


 朽葉の持つ松明たいまつは聖なる火のように煌々こうこうと燃え、いつの間にか暗くなり始めている辺りを力強く照らした。時々、ぜるような音が、ぱちぱちと耳に届く。それは内耳ないじの奥底にこびり付くようにして離れず、何処か警鐘のような響きを以て私を苛んだ。


 彼は、無事だろうか。いや、無事に決まっている。今まで彼の言に嘘は無かった。だから今回も例外無く、そうなるに決まっている。私は確証の無い自らの思考を真実と思い込みながら朽葉の後を駆けた。


 やがて、先日に見た少しばかり大きな平屋の家屋が見え始め、私は少なからずの安堵を洩らした。


「裏の井戸で火を消して来るから、先に入っていて」


 家の前まで来ると朽葉は早口に言い、家の裏側へと回って行った。


 私は言われた通り玄関戸を引き、素早く中に駆け込む。戸を半分だけ閉めて朽葉の戻りを待っていると思ったよりも早く彼は戻って来た。その手にある松明たいまつの火は消えている。彼は戸の隙間を器用に潜り抜けると、そのまま手早く戸を閉める。勢いが強かったのか、がたんと大きな音が生じた。続いて施錠の音が響く。


「おい、あいつが、灰色の彼が来るんじゃないのか」


「大丈夫、来れば分かる。それより君はどうして外に出たの。家で待つように言われなかったかな」


 ふよふよと綿のように浮かびながら、朽葉は若干の責める音を含んで問い掛ける。自らの名と同じ、朽葉色の二つの目がじっと此方を見据えていた。


「……言われていた。迷惑を掛けてすまない」


「どうして外に出たの?」


 問い掛けが重ねられる。私は、その真っ直ぐな目に耐え切れず、僅かに視線を外して答えた。


「あいつが、なかなか帰って来なかったから。心配になったんだ。だが、こんなことになった。私の責任だ」


 朽葉は黙して答えない。私は、先程からずっと気掛かりになっていることを尋ねた。


「あいつは、大丈夫なんだろうか」


「大丈夫、平気」


 予想外にも早く返された言葉とその内容に、驚きと安堵を覚えつつ私は顔を上げる。朽葉は、その美しい目を守るように一度だけゆっくりと瞬きをした。


「先日も話したかもしれないけれど、あの生き物は火が苦手なんだ。ああして対峙したことも今日が初めてじゃない。それ程回数は多くないけど、そのたび松明たいまつ行灯あんどんかで追い払って来た。此方が火を持っていれば襲い掛かって来ることは無いよ。だから今回も大丈夫。気にしなくて良い。それより、さっきのは本当?」


「さっき?」


「帰って来なかったから心配になったっていう所」


 朽葉は、今度は二度、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「ああ、本当だ。それが、どうか?」


「そうか、本当なんだ。良かった」


「良かった?」


 話が見えて来ない。加えて、先程の朽葉の言葉の中に気になる点があった。私はそれも含めて朽葉に尋ねようとした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る