第一章【振り返れ】5
私は彼との会話に見切りを付け、寄り掛かっていた柱から身を離す。そして、ここ数日そうして来たように店内をうろうろとしながら数多の菓子売り場を目に映す。菓子商店の女主人から気に入りの処を見付けるよう言われてはいたが、これといって特別に惹かれる売り場は今の所は無かった。
各売り場には必ずと言って良い程に試食する場が設けられており、実際に売られている菓子の二種類か三種類くらいが小さな白い皿に綺麗に並べられている。だが、私は元来、
そもそも試食というものは、その商品がどんな味をしているか確かめる為のものであって、少量を口にすれば済む筈だ。たとえば、団子なら一つ、薄皮饅頭なら四等分の内の一つ、そういった具合にだ。
ところがどうだろう、客の多くは私の見る限り、並べられている試食の品を全て食べ尽くさんとするかの如く、次々とそれらを口に運ぶのである。最初に見た時など、思わず呆気に取られてしまった程だ。その時は、たまたまそういう場面に出くわしてしまっただけかとは思った。
しかし、以降に私が見たどの売り場の試食の品も同じような目に遭っていたので、この町の人間は少し常識に欠けるのかもしれないという判断を私は下しつつあった。
今日も今日とて、その光景は変わらない。常識に欠けていないとしたら、一体どういうことなのだろう。そんなにも飢えているのだろうか。
そういえば、灰色の座布団のような猫のような――名前が分からない――彼は、私が食事をする行為を不必要と称した。時間の無駄だと。空腹を覚えるのは錯覚に過ぎないと。ならば、彼らはどうなのだろう? この町の人間は皆、空腹を覚えるものの、それは彼の言うようにただの錯覚に過ぎないというのだろうか。その錯覚に踊らされて、それを満たす為にあのようにがつがつと食べているのだろうか。
分からない。此処は分からないことだらけだ。自分に関しても同義のことが言える。私は何故、気に入りの処を此処で見付けなければならないのだろう。
「お一つ、如何ですか」
不意に聞こえた声が私の思考を中断させる。声のした方へと振り向くと、一人の売り子がほんの少し首を傾け、にこりと笑っていた。年の頃は十六か十七か、下ろすと肩辺りまでに届くのだろう黒い髪を後ろでまとめている。手の平を宙へと向けた右手は試食の皿を示し、その皿には
「いや……せっかくだけど」
「そうですか」
途端、しゅんとしてしまった様子の彼女が私は少しばかり気の毒になり、売り場を後にしようとしていた両足を留めて私は言った。
「やっぱり貰うよ」と。
そう言って私が
「食べるのか」と。
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