榎本遥香の蓄音機
Kitsuny_Story
第1話 青の革命
「夢の中に一匹のコウモリが出てきた。そのコウモリは、私にある提案を持ち掛けてきた」
目の前の女性は夢の話をしていた。私はそれを黙って聴いている。まずはクライアントの話を聴く。それが夢を旅するための地図になる。その地図を手に、私は他人の夢を旅していた。「夢旅人」…それが私の肩書だった。
とても暑い日の昼前に、そのクライアントは事務所にやってきた。白い長袖のシャツにスキニージーンズという恰好だったが、その女性からは品の良さが感じられた。それはきっと、彼女がとても綺麗で鋭い目をしていたからだと思う。私はその女性のことを以前から知っていた。雑誌によくインタビューが掲載されていた。主に経済関連の雑誌だった。
彼女の名前は「山岡美月」と言った。彼女が全国的に有名になったのは、20代前半の若さで地方銀行の取締役に就任してからだった。祖父がその銀行の相談役だったのがきっかけだったらしい。彼女が経営に携わるようになり、最初に推し進めたのは社員の服装改革だった。
それまで総合職の社員にはスーツ着用、エリア職の女性社員には古臭い制服着用を義務付けていた。彼女はその義務を取り払い、全員にジーンズを履くよう命じた。ジーンズを履きさえすれば、他は何を着てもよかった。もちろん古い体質がこびりついた地方銀行だったから、最初は内外から多くの反発があった。ただしばらくすると、この服装革命は大きな成果をもたらした。
行員がジーンズ姿になることで、古びた昭和の雰囲気が一層された。ジーンズを履いた行員たちは心が若返り、イキイキと仕事をするようになった。それに伴い銀行のサービスは格段に良くなり、新規融資案件や新規口座開設数が急増する。あのジーンズを履いて働きたいという若者も増え、遅れていたデジタル改革もどんどん推し進められた。
気づくと彼女が来てから二年も絶たぬうちに、都市銀行をも脅かす存在になっていた。大学生が就職したい会社ランキングでも上位をキープするようになり、古びた地方銀行は日本を代表する大銀行へと成長した。彼女が行ったこの革命を、ジーンズの色から「青の革命」と人々は呼んだ。経済関連のメディアはこぞって彼女の特集を組んだ。とても綺麗な目を持つ女性革命家「山岡美月」…彼女はこの時代のカリスマになっていた。
「美月でいいですよ」カリスマ女性はコーヒーを一口すすってそう言った。
「じゃあ私のことは遥香と呼んでください」私もコーヒーを一口すすってから言った。私の名前は「榎本遥香」と言った。他人の夢を自由に旅することができる「夢旅人」として事務所を開き、細々と仕事をしていた。
美月さんはそのとき二十五歳で、私は二十三歳だった。同年代の女性二人が向かい合ってコーヒーを飲み、これから夢について語り合うところだった。
私のところに来るクライアントの相談は大きく分けて二つあった。一つは悪夢に関するもの。いつも怖い夢を見るから、上手く眠れなくて寝不足になっている。だから夢の中の怖いものを排除してくれという依頼だ。この依頼が一番多くて、私は怖いものと戦うための武装をして夢を旅した。時には怖いものを武器で殺したり、もしくは話し合いで夢から出て行ってもらったりした。
もう一つの依頼は記憶に関するものだ。とても良い夢を見たのに、起きたらその内容を全く覚えていない。だからその夢の内容を教えてくれという依頼だ。そのとき私は紙と鉛筆を持って夢を旅した。夢の中の世界観や出来事を詳細にスケッチし、依頼人に渡す。写真を撮ることは夢の中ではできないから、私は絵を描いた。もちろんきちんと色も塗る。
私の絵はとても好評らしく、夢の絵を渡すと満足気にクライアントは帰って行った。中には涙を流す人もいた。私はこちらの案件の方が好きだった。大好きな絵を描くことができるから。
「いつから絵を描き始めたの?」美月さんは周りを見回しながら言った。私の事務所の壁には何枚か絵が飾られている。すべて私の絵だった。
「小学校5年生からですね」
「きっとその時、遥香さんの中で何かが起こったんでしょうね」美月さんは言葉をそっと置くように言った。私はその言葉にピクッと反応する。
「小学5年の時、父の仕事の関係で大阪から栃木に引っ越したんです。それで新しい学校に馴染めなくて…不登校気味になってしまって」
「それで部屋に引きこもって絵を描くようになった」
「その通りです」
「そのとき引きこもっていた部屋の壁は何色だった?」
「えっと、あ、白です」壁の色?
「だから、こんなにカラフルな絵が描けるのね」美月さんは頷きながら言った。
「壁の色と絵の色って関係あるんですか?」
「もちろん。白い壁に囲まれていると鮮やかな色で埋め尽くしたくなるものよ」
「そういうものですか」
「私にはこんなにカラフルな絵は描けない」
「美月さんも絵を描くんですか?」
「ええ。でも私は茶色い絵しか描けない」
「茶色?」美月さんは意を決したようにテーブルに肘をつき前のめりになった。それを見て私も少し姿勢を正して座り直した。
「ねえ、これは夢の相談と関わってくるんだけど、どうして私が茶色い絵を描くようになったか話してもいい?」
「もちろん、ぜひ聴かせてください」
私はプロの夢旅人だ。だから夢の話は聴きたい。でもそれだけじゃない。私はこの人に憧れてるんだ。このカリスマ女性の美月さんの虜になってしまっているんだ。この人のことを全て知りたいのだ。
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