第30話 適切な距離⑰

「あたしが先に行くよ」

 六花りっかがヒヅメをにらみつける。途端、ヒヅメの動きが目に見えて遅くなった。

「……何だ?」

 ヒヅメの陰に隠れている佐古さこが眉をひそめる。

 六花の力だ。魔術や超能力とは違う、目に宿る異能――魔眼である。

 六花の魔眼は、目で捉えた対象を一時的に停止させることができる強力なものだ。

 だが、効果にはブレがあり、抵抗力の強い相手だと完全に停止させるのは不可能だ。反応を見る限り、ヒヅメの抵抗力はかなりのものらしい。

 だとすれば、真白が使う力も減衰されるだろう。

 だとしても――。

 真白ましろは意識と視線をヒヅメに向けた。巨大な手で幹をつかみ、真ん中からへし折るイメージで力を解き放つ。

 ぶちぶちと肉が引き千切れるような嫌な音がして、ヒヅメの巨大が軋んだ。効いてはいるが、やはり完全に破壊するには至らない。抵抗にあった時特有の反動でかすかに頭痛がする。

澄人すみと、どう?」

 ヒヅメから目を離さず六花が問う。澄人は、ヒヅメの身体の中央からやや上よりを指さした。

「二人のおかげで視えたよ」

「真白!」

 六花が叫んだ。

 真白はすかさず澄人が指さした部分に力を向ける。今度は、強引に手を突っ込み触手の束をこじ開けるイメージだ。

 液体が飛び散り、ヒヅメは耳を塞ぎたくなるような声を上げた。

「な……」

 佐古が絶句する。

 力でこじ開けた触手の束の隙間に、赤黒い球体が見えた。

「あれがヒヅメの核みたいだね」

 澄人の目もやはり特別製で、霊視ができる他、隠されているものを見抜くことができるのだ。

「よし。こいつで」

 部屋の隅に放っていたバックパックに飛びついた六花が、中から思わず目をむくほどの大きな拳銃を取り出した。

 S&WM500。超強力なマグナム弾を使うリボルバーで、その威力はデザートイーグルの50AE弾を遥かに凌ぐ。おそらく拳銃弾の中では最も強力なものだ。あんなものまで携行していたとは。

「これでも食らえっ!」

 六花は球体に照準を合わせると、引き金を絞った。室内に轟音が響き渡る。

 50口径の銃口から放たれた500S&W弾は、狙い違わず球体に命中した。風船を鋭い針でつついたように、球体が勢いよく破裂する。びしゃりと液体が床に飛び散った。力なくくずおれたヒヅメは黒い塵となって消えていく。

 真白は細い息を吐き出した。どうやら、倒せたようだ。

「仔山羊をこんなにあっさり……。なんなんだよ。おまえら」

 佐古は怯えたように後ずさるが、すぐに背中が壁にぶつかった。

「佐古さん、さっき自分で言ったじゃない。――ワイルドハントの狩人だって」

 六花はにこりと笑うと、無造作に近づいて巨大なリボルバーを佐古に突きつけた。

「ねぇ、お話を聞かせてほしいな」

 佐古は小刻みに首を横に振る。

「ペイルホースに関してなら、俺は何も知らない。ただ売っているだけだ」

「んー、そう。だったら、今はそれでいいよ」

「……?」

「ホントかウソかは、専門家が引きだしてくれるからね」

 訊きだす、ではなく、引き出す。保安部にはそういう魔術を使う専門家がいる。拷問などせずとも、望む情報を得ることに長けたプロフェッショナルだ。

 佐古は顔を引きつらせた。六花の言葉が脅しではないことを直感したのだろう。

「それより、教えてほしいんだけど」

 六花は銃口を佐古の額に押し付ける。

「あなたは、あなたがドラッグを売った人やその家族、周りの人間がどうなるかって、考えないの?」

 しばしきょとんとしていた佐古だったが、少しして唇を歪めた。

「何を訊くかと思えば。考えるわけがないだろ。そんな想像力があったら、売人なんてやってない」と、佐古は開き直ったように言う。

「おまえたちもだろ」

「ん?」

「仕事で殺す相手の事情を、いちいち考えるのか」

 真白は息を呑んだ。

「……」

 真白からは、六花の表情は見えない。任務に関しては、六花はある程度割り切っているように見えるが、それでも完全に肯定しているわけではないと思う。真白同様、後ろめたく思う部分もあるはずだ。そしてその感情は、間違いなく相手の背景に起因する。

 殺しても誰も悲しまない、文句のつけようがないくらいの完全な悪人ならいい。でも、そうじゃなかったら――。

 佐古は淡々と続ける。

「『こいつを殺したら家族や恋人、友人が悲しむかな』って、毎回考えたりしないだろ。仕事だから殺す。同じだよ。俺だって、仕事だからただ売っているだけだ。使ったやつや周りの人間がどうなろうと知ったことじゃない」

「一緒にしないで」押し殺した声で、六花は言った。

「……なに?」

「あなたは悪をまき散らす。あたしたちは悪をなくそうとしてる。全然違う」

「っは。なんだそりゃ。子どもが正義の味方気取りか。そうやって、命を奪うことを正当化してるつもりかよ」

 佐古は薄ら笑いを浮かべる。

 無意識に、真白は拳を握っていた。隣の澄人が視線を向けてくるのに気づいたが、真白は見返すことができない。

 なにが悪い、と思う。

 正当化することの、なにが悪い。

 自分を守る防衛本能みたいなもので、それがなければとっくの昔に精神がどうにかなってしまっているだろう。

「――かもね」

 肩をすくめると、六花は銃を下ろした。

「……う、ぐ?」

 途端、佐古は固まった。酸素を求めてか口をぱくぱくと動かそうとしているが、それすらもままならない。六花の異能だ。

 六花は苦しそうに顔を歪める佐古を下から見上げて問う。

「ここであなたの命を奪うのは、正しいことかな。教えてよ、佐古さん」

「六花、殺すのはまずいんじゃない?」

 足早に近づいた澄人が六花の肩をつかむ。

「そうだね。佐古さんには、まだ生きていてもらわなきゃね」

 呪縛から解放されたように、佐古は膝をついて大きくあえぐ。

「……バケモノが。メドゥーサかよ」

 佐古の言葉に、六花はわずかに肩を震わせた。

 メドゥーサはギリシャ神話に出てくる頭が蛇の怪物で、その目で見た人間を石に変える。似た異能を持つため、保安部の中には、揶揄やゆ半分、畏怖いふ半分で六花をメドゥーサと呼ぶ者もいる。

 時折、任務の後などにそれを口にするろくでなしもいるが、六花はいつも笑って受け流している。当然、いい気持ちはしないと思うのだが。

「石にしないだけ温情でしょ」

 六花は佐古を見下ろしながら、携帯端末を取り出した。操作して耳に当てる。

雨越あまごえです。任務外ですが、魔術犯罪者を一人確保しました。場所は――」

 保安部に連絡しているようだ。手際がいい。

 六花が状況を簡潔に説明するのを横目に、真白はグロック17をバッグにしまった。

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