きさらぎに雨が降る
イゼオ
序章 春になったら
第1話 春になったら①
倉庫に逃げ込んだ男は分厚い鉄の扉に鍵をかけ、更に魔術の錠を施した。
『あいつ』相手では気休めにしかならないだろうが、少しは安心できる。
窓から差し込む月光が倉庫内を白々と照らしている。
殺風景な倉庫の中央には、シートに覆われた巨大な物体があった。
男は白い息を吐きだす。
火の気のない倉庫の中は、凍りつきそうになるほど寒い。もうすぐ二月も終わるが、はたして自分は春を迎えることができるのか。
いつになく感傷的だ。自分らしくない。
男は自嘲気味に笑った。
そして、すぐに気を引き締める。
四人いた仲間のうち、生き残っているのは自分だけだ。他はみんな殺された。
二人は突如隠れ家に踏み込んできた『あいつ』に抵抗する間もなく頭と胸を撃ち抜かれて即死した。
もう一人はつい先ほど、男と一緒にほうほうの体で隠れ家から逃げ出し倉庫にたどり着く前に足を撃たれて倒れた。見捨てて逃げてきたが、もはや生きてはいまい。
すぐに殺さなかったのは、『あいつ』の罠だったと思う。
わざと足を撃ち、先行していた男が助けに戻ったところで二人まとめて始末する魂胆だったに違いない。狙撃手がそういうやり方をすると聞いたことがある。
ただ、わかっていても、倒れた仲間の助けてくれという声が耳にこびりついてどうしても消えない。
仕方がなかった。見捨てなければ俺も殺されていたと自分に言い聞かせる。
皆、小悪党ではあったが、気のいいやつらではあった。
俺たちはきっとろくな死に方をしないなと冗談のように言い合っていたが、それが本当になってしまった。
人と人ならざるものの調和と均衡を司る協会――その保安部が擁するワイルドハントの狩人に狩られる羽目になるとは。
表の法では裁けない存在に鉄槌を下す冷酷な暗殺者たち。目をつけられたら最後、人だろうがバケモノだろうが等しく始末される。
法治国家である現代日本において、協会が殺人の許可を与え、かつ政府がその行為を黙認しているというワイルドハントの狩人の存在は半ば都市伝説のように語られ、実在するかどうか疑わしいというのが業界の定説だった。
存在を匂わすことで魔術犯罪を行う者に対する抑止力になっているのだと、まことしやかにささやかれてきたのだ。
呼び名もまた、それらしい。
ワイルドハントとはヨーロッパ各地に伝わる死者や妖精、そして神で構成される伝説の狩猟団の名で、見た者はすべて死ぬと言われている。
誰が呼び始めたのかは知らないが、保安部の死神どもにはぴったりだ。
本当に都市伝説であってくれればよかったのにと思う。
ワイルドハントの狩人が実在するなんて、知りたくなかった。
男たちは、元々大したグループではなかった。
魔術を使い、時には犯罪に手を染めて金を稼ぐ魔術師崩れの集まりだ。
拝み屋の真似事に退治屋もどき、怪異を利用した詐欺だってやった。
当然、協会には所属していない。所属すればさまざまな恩恵はあるが、研究の開示や所持する魔術財産の申告義務など面倒も増える。協会が掲げる人と人ならざるものの共存なんてお題目にも興味はないし、だったら身軽な方がずっといい。
男たちは、人を殺したことはなかった。皆、存在は信じていなくとも、心のどこかで狩人を恐れていたのだと思う。
だがある日、男たちは一線を越えてしまった。
蒐集癖のある仲間の一人が、とある好事家が貴重な魔導具を手に入れたと聞きつけた。近々大金が手に入る予定なのと、酒が入っていたせいで気が大きくなっていた男たちは魔導具を盗み出すために好事家の家に忍び込んだ。
ところが家人に見つかってしまい、男たちは弾みで一家を殺してしまった。計画も何もない、ずさんな犯行だった。
魔術を用いた隠蔽工作を施し、なんとか警察の目はごまかせたが、男たちの犯行はすぐに協会の知るところとなった。
そして、さほど時を置かずして男たちの前に『あいつ』が現れた。
あの狩人が。
扉の方から物音がして、男の心臓が跳ねた。
誰かが鍵の具合を確認している。
唐突に発砲音がして、男は身をすくめる。鍵に向かって発砲したようだ。あいつに間違いない。
逃げ出す時に確認した、あいつが携行していた銃はベルギー製のFNP90――短機関銃くらいのサイズで、パーソナルディフェンスウェポンに分類される。使う弾薬は5・7mm弾だったはずだ。
人体やボディアーマーに対して高い威力を発揮する弾薬ではあるが、魔術錠を破るほどではない。ただし、カスタマイズされていなければの話だ。
男が祈るように拳を握りしめていると、三発目で発砲音は途絶えた。
扉は破られていない。
胸をなでおろしたのも束の間、今度は扉が大きくきしむ音が響いた。
男は目を疑った。
分厚い鉄の扉が、まるで巨人に殴られたみたいにひしゃげたのだ。
呆気に取られている間に二度三度と衝撃音が響き渡り、ついに扉が耐えきれず壊れて吹き込んだ。
男は泡を食ってシートの陰に隠れた。扉と一緒に吹き飛んだコンクリートの破片がぱらぱらとシートにぶつかる。大きな音に驚いたのか、男の足元をネズミが駆け抜けていった。
男は唾を飲み込む。
魔術か、それともある種の異能か。
いずれにしても、自分の手に負える相手ではない。あんな力を行使できるのなら、視界に入った瞬間身体をねじ切られて即死だ。
しかし、だったらどうしてわざわざ銃を使っているのか。
そこで閃いた。
距離制限だ。少なくとも、短機関銃ほどの射程距離はないと見ていいのではないか。
ならば、どうにかなるかもしれない。
男は口の中で小さく起動呪文を唱える。シートの中が一瞬だけ淡く光り輝く。
男はシートを取り払った。中身が露わになる。
巨大で無骨な人形――魔術で動くゴーレムである。材料は泥がポピュラーだが、このゴーレムは石でできていた。
男たちの商品の一つで、一度聞いただけでは覚えられないような名前の神様を信仰する宗教団体の幹部に頼まれて調達した代物だった。
宗教団体がゴーレムなんて何に使うんだという問いに対し、細い目が特徴的な幹部の男は、「自衛のためですよ」としか答えなかった。
なんにせよ、高級外車を数台買ってもお釣りがくる値段のゴーレムをぽんと買えるあたり、相当羽振りのいい教団のようだ。わけのわからない神様でも、すがりたい人間は案外多いのかもしれない。
自分の窮地も救ってほしいが、今は神頼みよりゴーレム頼みだ。
大事な商品だが、背に腹は代えられなかった。
膝をついていたストーンゴーレムが立ち上がる。直立したゴーレムの大きさは3メートルを超え、ちょっとした小山のように見える。
ゴーレムの起動と同時に移動した男は物陰から目を凝らす。
月光に照らされたワイルドハントの狩人が、ゴーレムと向き合っていた。
狩人は、薄褐色の肌の、まだ顔に幼さが残る少女だった。
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