君が聞いた波の音を私も聞きたい

烏川 ハル

前編

   

 その少女は目を閉じたまま、堤防の縁にちょこんと腰掛けていた。後ろから強い風が吹いてきたら、簡単に落ちてしまいそうな格好だった。

 髪はおさげで、服装はセーラー服。足には何も履いておらず、浅い海ならば、そのまま水に浸かって遊べそうだった。

 とはいえ、現在この辺りは完全に干上がっており、少女の足下ではテトラポットが剥き出しになっている。もしも落ちれば大怪我をするだろう。


「そんなところに座っていると危ないよ」

 静かに近づきながら、声をかけてみる。海辺で遊ぶ人間を危険から守るのも、私の仕事の一つだからだ。

「あら? あなたは……」

 少女はゆっくりと瞼を上げて、くりっとした茶色の瞳をあらわにする。不思議そうな表情で何か言いかけるが、最後まで言い切らず、途中で言葉を飲み込んでいた。

 私の話しかけ方が悪かったのだろうか。ならば、最初からやり直そう。

「こんにちは。ここで何をしていたのかな?」

 今度は問題なかったらしく、少女は微笑みを浮かべて、きちんと答えてくれたが……。

「波の音に耳を傾けていたの」

 不可解な回答だった。

 いや「耳を傾ける」が「聞く」という意味なことくらい、私にもわかっている。しかし、その対象が「波の音」なのは、私の理解を超えていた。完全に干上がった海で、そんなものが聞こえるはずないのだから。

「波の音……? 君には波の音が聞こえるのかい?」

「ええ、私のひと夏の思い出」

 どうやら少女は、実際に何か聞いていたわけではなく、ただこの夏の出来事を振り返っていただけ。夏に聞いた波の音を、改めて思い出していたようだ。

「ああ、なるほど。一種の幻聴ってやつだね」

「あらあら、幻聴だなんて……。あなた、ずいぶんと風情のない言い方するのね」

 少女がクスクスと笑う。屈託のない笑顔であり、彼女にその気がないのはわかっていたけれど、それでも私は、なんだか責められている気分だった。

「申し訳ない。私たちは、そういうのが聞こえるようには出来ていないから……」

「あら、大丈夫よ。だってあなたは、こうして私が見えるのでしょう? そのうちきっと、聞こえないはずの音も聞こえるようになるわ」

 少女はそう言い残して、まるで煙みたいに消えてしまう。

「……!」

 驚いた私は、急いで仲間のところに戻り、この体験を報告した。

「みんな、聞いてくれ。たった今、あそこの堤防で……」

   

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る